大法を修煉して本当に幸運である
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文/中国の大法弟子 

明慧日本2015年7月6日】12月29日の朝、私は出勤するためバスの停留所へ走っていました・・・どれくらいの時間が経ったのでしょうか、突然一人の女性が「大丈夫ですか」と聞いてきたので、私が「大丈夫です」と返事すると、「少し待っていて下さい。車がまだ道路の真ん中に止まっているから、駐車してきます」と女性が言いました。私は「行って下さい」と言って、女性の姿を見ながら、なぜ私を支えてくれたのか? 待ってくれって言っても何をするつもりなのでしょう? と不思議に思いました。結局、彼女はそのまま車に乗って去って行って、帰ってきませんでした。私はバスの時間にも間に合わなくなり、家に帰ることにしました。

 家に戻って、鏡を見てみると、顔の半分が赤く腫れ、目は大きく開くことができませんでした。しかし出血はなく、擦り傷もありません。洋服と鞄が破れていたのを見て、やっと自分が車に衝突されたことが分かりました。私に衝突したのはあの女性に違いありません。しかし、彼女は去って行きました。車に衝突されてから気がつくまで、どのくらい時間が経ったのかもわかりません。その間のことは全く記憶にありませんでした。今思い出しても不思議です。まず自分は歩道を歩いていたのに、なぜ車道へ出たのか? そうでなければ車がどこから来たのか? どうやって衝突ぶつかられたのか? いろいろ考えても答えが見つかりません。

 記憶が無いということは、頭を打って脳に障害が残ったのだろうかと思い 私はすぐに病院にかけつけCT検査を受けてみました。検査の結果は正常でした。それから兄と甥が病院へやってきました(兄の嫁と甥は法輪大法を修煉している)。甥が目の前で手を振って、「目は見えるの?」と聞いたので、私は「見えるよ」と答えました。甥は「大法の本も読んだし、三退もしたから、何もないはず」と言いました(その時は私はまだ修煉していませんでした)。それから兄は私を自分の家へ連れ帰りました。家に入ると、姉は「あなたはここに法を得に来たのね」と言って笑って、私もつられて笑ってしまいました。この事がきっかけで、私は真に法輪大法を修煉し始めたのです。

 兄の家に泊って相談し、私は警察に通報してその女性を見つけだしてもらおうとする考えを捨てました(現場にはカメラを設置してありました)。それから二日間休むと、私の目は開くようになりました。三日目から姉と甥と一緒に法を勉強することになり、一週間後には姉が煉功を教えてくれて、甥が私の動作を直してくれました。顔の腫れも、みるみるうちに引き、薬を飲まず、何もつけずに、半月で完全に治りました。非常に不思議に思ったのは、その間ぜんぜん痛くなかったことです。師父はこのように説かれています。「この類いの事はすべて命を取りにきた例ですが、本当に危険に至るようなことはありません」。師父が私のかわりに耐え、守って下さいました。師父がまだ修煉していない私を見守って下さったのです。このような末法の最後の時期に大法の修煉に入ってこられて、業力だらけの私を済度して下さいました。本当に幸運です! この上なく喜ばしく思います! 私には師父がいます! 夢の中で、師父が自分の手で私の患部を掴み、傷を治してくださいました。煉功する時、師父の法身が右の上空にいらっしゃるのが見えました。また別の夢の中では、「勇猛邁進しなければならない」と師父がおっしゃる声が聞こえました。

 私は佛光にひたり、毎日、本を離さず、一心不乱に法を勉強し、師父のすべての経文を一通り読みました。会社では効率よく仕事をこなし、私は余った時間を利用し経文を読み、『洪吟』を暗記しました。『洪吟』と『轉法輪』を一回、書写し終えて、今は『轉法輪』を暗記し始めました。

 集団学法と煉功は師父が要求されたことなので、私は集団学法グループに参加しました。毎日法を勉強して、毎日変化し、心性が絶えず向上します。これが大法の威力であり、大法の素晴らしさと不思議さであり、また大法の慈悲と威厳の現れです。

 私の勤務している会社でリストラがあり、私の仕事は変わって、管理部門から現場の労働者になりました。自然に任せると思っていても、メンツ上と心の中がなかなか放下できませんでした。しかも更に大きな関がやってきました。

 ある日、本社から新しい工場長が異動してきました。私は以前、彼女としばらく一緒に仕事をしたことがあり、彼女の印象も悪くありませんでした。しかし、なぜか彼女は工場長に就任してから、すぐに労働者である私を真っ先に槍玉に挙げはじめ、大きな会議でも小さい会議でも私を呼び出して、あれこれ嘘を捏造しては私の事を何かしら指摘し、ただ水を飲んだだけでも指摘されました。私を見れば誰もが「今、この工場であなたの事を知らない人はいません! 工場長が直々にあなたを管理している」と言いました。はなはだしい場合、工場長は私の作業台に来て、これはこうすべきで…ここがきちんと並んでいない、あそこの衛生がどうなっているの? などなど言います。彼女はどこへ行っても、まわりにたくさんの人を連れていて、しかも全員、中級以上の幹部らです。私は本当に面目を失い、立つ瀬がありませんでした。自分は個人の生活では、きちんとする性格なので、仕事ではなおさら気を使っています。突然やってきた変化に直面して、自分がどんな気持ちであるのかさえ分からなくなりました。

 みんなは工場長は私に不公平だと思っていました。そして私が工場長と話し合ったら、わだかまりが解け、関係がよくなるのではないかと勧めてくれました。私はただ苦笑し、何も言いませんでした。しかし、心の中が何か詰まっているように感じました。姉と話したら、姉は「これはいいことだ! 彼女に感謝しなければ」と言いました。自分の心性を向上させているとは私も分かっていますが、なかなか放下できませんでした。

 師父が「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません」、「ですから、トラブルが起きるのは、偶然ではありません」[1]と説かれました。これらの問題が前世で作った恨みによるものだと分かりました。

 自らの考えを法に基づくものにし、心性を向上させ、だんだん最初の放下できない状態から、淡々と対処できるようになりました。

 以上はここ三年の、私の体験です。法に基づいていないところがあれば、慈悲に指摘を願います。

 注:

 [1] 李洪志先生の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/27/307757.html)
 
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