明慧法会|仕事と修煉の関係においてバランスをうまく保つ(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年3月27日】前の文へ

 残業する

 生産任務への社長の要請が厳しく、生産ラインの部長は機嫌を損ね、会社を去っていきました。支出を節約するために「とりあえず生産部長はいらない」と社長は決め、私が直接管理責任者になることになり、とても大きなプレッシャーを感じました。というのも、生産ラインではふだんから残業が続いており、土曜日と日曜日もいつも残業でした。そのため学法時間は確保できず、人を救う事などは言うまでもありません。私は修煉者の状態を保ちたかったのですが、それはどちらかといえば困難でした。私が来た時、社長に週休二日の条件を要求したところ、社長は同意したので、会社で私たった一人だけが毎週二日休んでいました。

 この状況に直面した私は非常にイライラして、本当にこれは修煉に対する困難だと感じました。冷静に考えてみて下さい。「大法の中での修煉、法を正すことと皆さんが法を実証する中に偶然なことはありえません。このこと自体は衆生を救い済度しているのではありませんか?」[3]と師父は説かれました。私たちがどのようにこの道を歩いて行くかだけなのです。よく見てみると、生産ラインの社員の中で、一部の人は社長が直接入社させた人たちで、一部の人はまだ三退していなかったので、今回の件はもしかしたら「その人たちに真相を伝える事を私にさせる」という事かもしれません。

 毎日出勤し、私は製造の社員との朝の会議が終わってから、その日の製造の仕事の予定を決定した後、私も一人のただの作業員として、一つ一つの持ち場で職員の人たちと一緒に仕事をし、みんなの手伝いをしながら真相を伝え三退を勧めました。ある人は深く理解したがったので、ディスクに資料をコピーしてその人たちに家へ持ち帰って見てもらい、コンピュータがない人には、その人たちを助けるために携帯電話にコピーして、携帯電話で見れるようにしたのですが、「これも真相を伝える一つの良い機会だ」という事を私は発見しました。

 時々、注文がたくさんで、うまく真相を伝えられない時は、午後から夜にかけて帰宅する時までずっと、私は事務室で真相電話をかけました。人を救う事は私の使命であり、大法弟子は人を救わないわけにはいかないのです。そうして2カ月余りが経ち、別の生産部長を招聘する事を私が社長に提言すると、社長は同意し、新しい生産部長が一人招聘される事になりました。

 もめごとで賠償請求する

 会社は比較的大きな注文を受けました。しかし原材料の買い上げが間に合わず、注文が期日通りに納品できなくなり、相手に数万元の罰金を払う事になりました。都合よいことに、この時、会社の品質検査係が原材料に関するレポートを出して「某社の原材料には品質問題が存在し、この注文もこの原材料を使っている」との説を説きました。社長は「これを口実としよう」と考え、その某社から金をだまししとり、ちょっと損失を埋め合わせる事にしました。

 もともと、こういう賠償に関する事はみな、社長の奥さんがするのですが、しかし今回、社長は私にやらせようとしました。さらに社長は私に「あなたはこの仕事を任せるのにうってつけだ」と話しました。私は「真・善・忍」を修煉しているのだから、このような愚かな事をする事にうってつけではないと決まっているではないですか? 私は心理的プレッシャーを激しく感じ、何日もよく眠れず、辞職したいと思いましたが、「それは間違いだ」とも感じました。前の勤め先では、修煉者の原則を私が社長に話した後、良くない事を、社長は私にやらせた事がなく、しかも、社長たちが良くない事をする時は、私にわからないようにやりました。しかし今のこの社長は「私はこのような事をしない」事を知っているのに、逆に私がこのような良くない事を行なわなければいけません。社長は私が真相を伝え、しかも三退をした人なのにもかかわらずです。

 困難な中では、私を手助けしてくれるのは大法しかない事を私は知っていたので、一層の学法をし、師父の説法を思い出しました。「しかし、逆から言えば、この世の人間はこのように滑落し、提供してくれた魔難はちょうどあなたに修煉の機会を与えているのではありませんか?」[4]と師父は説かれた事があります。この法を思い出した時、私の心の中で抵抗を感じていた精神的反抗はたくさん消され、「これらの面倒な事を修煉の機会とし、自分の問題を探さなければならない」と私自身に言い聞かせました。

 私は内に向けて少し探すと、実に自分にはまだこんないろいろな良くない人心がある事を発見しました。そのうちの一つは、仇のように悪を憎む心がある事で、社長が他人の金をだましとろうとしているのを一目見るや否や、ひどく怒りだし、すっかり理性を失くしてしまった事でした。二つ目は、慈悲心も何もなかったことで、人の良くない状態が見えてきた時、善念を動かして人を手伝うのではなく、常人の心を動かして他人を軽蔑し、他人を見下しさえし、自分の威信を高めていました。

 ここまで思い至った時、「法の要求に従って自分をしっかり修め、この事について善事を成そう」と私は決心しました。そうしてこの原材料の買い上げと生産過程に対して全面的な調査を私が行った結果、「プロジェクトの人員のこの事に対する調査はあまりにもぞんざいであり、その調査には実質的な証拠があるわけでもない」という事に気づき、さらに「今回の事故は主にこちら側の作業員の操作が適当でない事によって引き起こされたものであり、某社の原材料の不良によるものは小さい部分だけだ」と私は推測しました。これらの調査データに応じて私はレポートを書き、そして、賠償金額に対して計算を行った結果、社長の期待する金額の10分の1にしかなりませんでした。

 社長に見せたらとても怒り、社長の思う通りにレポートに書くよう私に言い、「どのように偽物のレポートを作ればいいか」「会社の立場に立って考えるように」という事を真面目に私に話しました。「私は大法弟子だから、私はただ大法の法の出発点に立って問題を見る能力しかない」と、私は自分に言い聞かせました。そこで、「私はただ、わかった事実に基づいてしかレポートを提出できず、ねつ造するべきではない」と、私は社長に言いました。社長はかっとなった様子で、私の態度を崩そうとしました。それに対して私は「大法弟子は真の修煉者だから、私は『真、善、忍』を口にする事しかできない。いや、そうではなく、それを行為の上で遂行しなければならないのだ! その上、社長も私の反応を観察しており、法輪功学習者が言っていることが本当の事か、それともやはり嘘なのかを見ているのだ」と、私は一念をしっかり守りました。

 こうして社長と対立してから一カ月後、「証拠の準備が整った」と某社が私たちに通知をしてきて、某社の弁護士が証拠を取りに現場にやって来ることになりました。社長はどこか後ろめたそうでした。そして後になってまた「一旦訴えたら、相手の金をものにできないだけでなく、もし訴訟に負ければ、訴えた費用の支払いの要請にも応じなければならないかもしれない」と予想しました。そこで、社長は金をゆすりとる考えがお手上げになってしまったので「このままでは全然だめだから、あなたの考え通りにやろう」と、私に話しました。

 私は実際の情況に基づいてこの事に公正に対処しました。会社は、この後この種の問題が現れたらすべて、私に全権の処理を引き受けさせました。それから社長は何も聞かなくなり、私の仕事に対してとても安心しているようでした。「大法弟子が法を正す期間に表した状態や慈悲、善良、純粋で正しいこと、そして大いなる忍の心を代表し、将来の社会に影響を与えています」[5]と、師父は説かれました。

 結び

 私は10数年、科学研究の仕事をした後、ここ数年で管理の仕事を始めたのですが、私の同僚と友達は大多数がみな、学歴がある知識人で、同僚と友達はみな、真相を数多く見聞きしたことがありました。その中のたくさんの人がすでに三退しましたが、まだ三退していない人たちもいました。「どうしてある人は真相を見聞きして三退したがるのに、一部の人はいかなる真相をも知っているのにもかかわらず、どんなに説得しても三退しないのか」という事に、私は困っていました。

 しばらく前に会社に実習の大学生がいました。私は今の大学の政治と哲学のコースについて簡単に質問した後、『共産党についての九つの論評』という本の中で指摘されはっきり示されている事実を彼に話しました。数分ほど話をしてから、「何と共産党がこんなに悪かったなんて知らなかった。もう私はあの党に入る事はできない」と、その大学生は言いました。「共青団も脱退しなければいけません」と私がその大学生に言うと、その大学生はすぐ同意しました。

 しかし、去年入社したもう一人の大学生は、この一年来、様々な真相も見ており、自分でもよくネット封鎖を突破してニュースを見て、いつも他の人には、中国共産党の各種の悪事を説明しているのにもかかわらず、まだ三退が終わっていないのです。今年、職を離れた時、私は最後の機会を利用して三退を勧めましたが、その大学生はやはり三退しなかったので、心の中でその大学生に対して本当に残念だと思いました。「真相を知ることが救われる希望」[6]、本当に助ける事ができるどうかは、その大学生が何を選ぶかを見なければなりません。

 知識人に二つの大きな障害があるのを私は見たのですが、その一は無神論で、宇宙の成住壊滅の法則を理解しないので、危険を感じない事です。その二は邪党文化の毒害で、利益で問題を評価し、善悪で問題を審査しないので、良し悪しは重要でないと感じる事です。これは常人の考えという角度から物を考えるという事です。

 修煉者の立場から内に向けて探したら、「自分はまだ修煉できていない方面が多く、人を救う効果が自分自身に存在するいろいろな人心からの悪影響を受けている」という事を私は発見しました。例えば、恐怖心や何でも仕切ろうとする心などのため、時には口を開けば難しくなり、時には具体的な件にまで入って行くのです。「更に、偶然に出会った人、生活の中や仕事の中で出会った人に皆さんは真相を伝えなければなりません。この世ですれ違って、話ができなかった人にも慈悲を与えなければなりません。済度されるべき人、更に縁のある人を失わないでください。実は多くの大法弟子が真相を伝えるときに、『今真相を伝えに行く』と言って、まるで今は真相を伝えに行くようですが、普段は真相を伝えていないかのようです。衆生を救い済度することは皆さんの現在の生活の中の全ての出来事に含まれています。もし皆さんがみなその重要性を認識し、はっきりと認識することができれば、更に多くの衆生を救い済度することができるかもしれません」[7]と、師父は説かれました。

 私は少しも怠けるという事ができず、時間的にとても忙しいけれども、私は努力して自分にしっかり修める事を要求し、法を正す時期の大法弟子の使命を行います。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「学習者の文章に対する師父の評注」

 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
 [5] 李洪志師父の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「あなたのために歌う」
 [7] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/13/299777.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/14/146854.html)
 
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