人心の放下は向上につながる
■ 印刷版
 

 【明慧日本2015年7月26日】私はの十数年の修煉の道のりは、師父の洪大な慈悲とご加護によって一歩一歩歩いてきました。師父に感謝の気持ちを言葉で言い表すことができません。自我を放下することについての自分の浅い認識を持って皆さんと交流したいと思います。

 6、7年前に同修が私に真相を伝えるCDを作って欲しいと頼んできました。同修はいくつかの具体的な要求を伝えて、私は同修が持ってきた元のCDを修正しました。それほど難しくなく、あまり時間をかけずに仕上げることができました。それを同修に渡したあと、ずっとその内容が不完全だったと思い、もっと精錬されたCDを作ろうと思いました。しかし、そうしようとすれば、もっと多くの時間をかけて画面をデザインし直し、具体的な内容を加えるとなれば、私にとってそれはかなり難しいことになります。

 同修はその後新たにCDを作って欲しいと言ってこなくなり、私もどのようにしようかとしばらく悩んでいました。その後、心を静めて考えてみると、その悩みの裏には自分の人心が潜んでいました。面倒がる心と、困難を恐れる心がありました。私は大法弟子としてどうして困難を前にしてひるんでしまうのでしょうか。これは衆生を救い済度する一大事なので積極的に引き受けるべきだと思うと、瞬時に心が晴れました。

 CDの内容をもっと豊富にし、精錬されたものにして人に感動を与えるものにしたければ、新たにデザインをし直さなければなりません。私は、使えそうな素材を探して、新たにデザインと真相を伝える内容を構想し直しました。このことを行う心構えが純粋だったので、すぐにたくさんの素材を収集でき、構想もはっきりと浮かんできました。数カ月で私は、新しいCDを仕上げました。その出来具合は自分が最初に想像していたレベルに達しており、満足しました。

 私は、この新しいCDを同修に渡して、同修に認めてもらえると思ったのですが、しかしまったく反応がありませんでした。自分の中に、歓喜心と褒められたいという人心があったために、このCDは真に衆生を救う作用を発揮できないことがわかりました。

 それから3年を経て、ある協調人が私のこのCDの良さに気付き、もっと完全なものにしてほしいと依頼してきました。これを受けて私は自分に、前に作成した時よりもさらに純粋な気持ちでCDを作ろうと自分に言い聞かせました。作成の過程で人心が出てきたとき、私はそれをすぐに排除しました。そうすると、心が清らかになり、アイデアもどんどん浮かんできました。それによってCDの内容も、デザインも、全体的な効果も前回よりもっと綺麗なものになりました。協調人の同修は修正されたCDを見て絶賛し、大量に作って高校や政府機関に配りました。

 このCDに関連する私の修煉の過程はまだ終わっていません。ある日、私は明慧ネットで同修たちのCDの内容に関する交流文章を見ました。同修たちの考えは私の考えと違っていました。私は若干、心に葛藤を覚え、自分のCDを使うべきか、それとも他の同修たちが提供しているCDを使うべきか悩みましたが、自分のCDは問題ないので、明慧ネットに掲載されるCDの一つに加えられるべきではないかと思いました。しかし、心に感じた葛藤はやはり自分のどこかに問題があると気付きました。

 私は心を静めて、真剣に学法をしました。突然ある日、師父は私に悟らせてくださいました。やはり私は「私」から脱皮できていませんでした。私が自分のCDにこだわっていたその背後には、そのCDの内容ではなく、自分がこのCDづくりに多くの心血を注ぎ、簡単に諦めることができず、自我を放下したくなかったからです。宇宙の旧勢力も自分たちのものを固持し、様々な言い訳をして自分がよいと思うものを保護し、多くの衆生の命の未来を犠牲にして正法を妨害しました。私がしたことは旧勢力とまったく同じではなかったのでしょうか。

 この法理がわかってから、自我を保護する人心を放下して内心は晴れやかになりました。同時に同修たちの基点と考えが自分よりさらに良いものであることに気付きました。人間の中で修煉し、人心を取り除き、人間の枠から抜けだして初めて向上でき、初めて法理の深さを実感することができます。

 以上は、私がCDを作る過程での少しの体験です。不足の点はご指摘をお願いします。

 改めて師父に感謝いたします。
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/7/11/312248.html)
 
関連文章