文/中国遼寧省の大法弟子
【明慧日本2014年10月24日】私は朝陽市の一般市民です。荷車引き、あるいは肉体労働者として生計を立てているので、一年中頑張っても入るお金は僅かしかありません。私は法輪大法を修煉してから、師父が他の人のことを優先に考えるようにと教えてくださったので、普段から家でも外でも、人と一切争うことがなく、良いことはできるだけ他の人に譲るようにしています。私は大法の要求に従って対処し、心の中はとても落ち着いています。
2002年、村では土地を一人ひとり均等に分けました。私たち農民は耕作に頼って生活しているので、良い土地を得れば収穫が多く、灌漑にも便利で、雨量の少ない年でも多い年でも収穫にはあまり影響がなく、生活が保障されます。農民にとって良い土地を得るかどうかが何よりも重要なことであり、誰もが良い土地が欲しくて争っていました。言うことは巧みでした。偶然その前に、村が道路を拡張した時、私は家の土地を提供し、残った良い土地も兄弟に譲りました。当時、村の人はみんな今後土地を分けることがあれば、必ず良い土地を私に分けると承諾しました。今回、村の幹部はその約束に答えべきだったでしょう。
土地を分ける時、みんなが良い土地を得ようと争いました。私は隅っこの雑草が生い茂った土地を見て、それは誰もが欲しくない土地です。その時、師父が『轉法輪』の中で説かれた「他人の要らないものが要る」を思い出しました。私は人と争わず、この荒れ地にしようと決めました。担当者は誰もが求めようとしない土地を私が希望したのを見て、少し多く分けてくれ、それは損した分を補償したということでしょう。こうして、私の土地は全部で800坪以上ありました。他人から見れば、私は家でも外でも損ばかりしていると思っているようですが、しかし、私は師父がおっしゃった、「善には善の報いがあり」[1]をずっと信じています。
それから10年後の今、本当に師父が説かれた「善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある」[1]の法理の通り、私は良い人を目指してしっかり修め、福の報いを得ました。私たちの村は今、土地を収用しており、土地の善し悪しに関わらず、200坪が30万元です。当時、損をした私が、かえって多く得ました。今の私は師父が説かれた法理をより一層信じています。良い人を目指して精進することで、私は何も失うことはなく、全ての事が順調に進むようになりました。人と争わないことで、私は以前になかった軽やかさと幸せを感じています。大法を修煉することは、私にとって生涯悔いることのない選択です。私の全家族は本当に大法により、福の恵みを受けています。
人類のどんな言葉を使い尽くしても、師父への感謝の意を言い表すことはできません。再び師父の慈悲なる救い済度に感謝いたします!
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』