文/黒竜江省の大法弟子 慧珍
【明慧日本2015年3月8日】中国共産党の迫害によって、仕事と家庭を失った私は、1999年から本日まで、収入がなく、息子と2人で、ずっと実家に身を寄せていました。その間、私は邪悪の黒巣で4年を過ごし、出てきてから、しばらくアルバイトで生計を立てていました。2003年の夏、同修から1台の三輪自転車を借りて、私は道路に沿って、アイスクリーム売りを始めました。そうして、私は少し収入を得られると同時に、縁のある人にも出会って、真相を伝えることができました。しかし、その過程において、私には、多くの人心、例えば、面子を重んじる心、虚栄心、利益心、同級生、同僚、知り合いに出会うと、恥かしくなる気持ちなどが表れ、私はそれらの執着を掴んで、直ちに修め落とすようにしました。
アイスクリームを売る
ある日、私は幼稚園の門のところでアイスクリームを売ろうとしました。しかし、1人の女性がすでにそこに着いてアイスを売っていました。私は、自分が後に来たから、あまり前に進まないほうがいいと遠慮して、彼女から5、6メートル離れた所で三輪自転車を止めました。若いママたちがお子さんを連れて続々と幼稚園からを出てきて、幼稚園前のアイスクリーム売り場も次第に忙しくなって来ました。私は少し心を動かし、前の方へと進もうとしました。この時、1人のおばあさんが孫娘を連れて、アイスクリームを買いに来て、「あなたはもう少し幼稚園の門の前で売ったらどうですか? ここはちょっと遠いよ」と言いました。私は「門の前に、すでに売っている人がいますから」と言ったら、おばあさんは「門の両側にそれぞれ1人がいれば、ちょうどいいじゃありませんか?」と言いました。私は「それもそうですね」と言いました。
幼稚園の門の近くに行こうとした時、突然、男の人が自転車にアイスクリームが入った保冷ボックスを載せて、私の目の前にやって来ました。私は「あら、アイスクリーム屋さんがもう1人が来ましたね」と言ったら、男の人は顔つきをがらりと変えて、「あちらにいるのは俺の嫁だ。お前はひどいね。私達はずっとここで売っていたよ。一つの場所を確保するのがどんなに大変か・・・・・・」と言いました。最初、私は全くわけがわからなくて、最後にやっと、彼が私をここから追い出そうとしていることが分かりました。その時、私の心は穏やかではありませんでした。「やり過ぎですよ。私は彼女からこれだけ離れていますから、彼女の商売に影響していません」と言いました。
男の人は突然自転車を私の前に横に置いて、「誰も売るな」と怒鳴りました。身長180センチ以上の彼はかんかんになっていました。「えっ? なにが彼をこんなに怒らせたのか?」と私は思いました。数個のアイスクリームを売ってから、私は落ち着いて、その場所を離れました。しかし、心の中では、「彼と議論すべきか? 彼の間違った要素を正してやるべきか?」と思いましたが、しかし、「それは違う。やはり、自分は利益を求める心を放下していなかったため、彼のマイナスの面を触発して、彼をそんなに怒らせたのではないか。もし、彼と言い争ったら、私は彼と同じになるのではないか」と思いました。
もう一つの場所に来て、私は次の一幕を見ました。そこには、同じ商売をしている2人の商売人が喧嘩をしていて、しかも、とても激しく争っていました。師父は私にこの一幕を見せ、「大法弟子は常人と同じになってはいけない、衆生と対立してはいけない、衆生は私達が済度する対象である」ことを悟らせました。私は、先ほど、男の人と言い争いをしなくて良かったと思い、そして、自分はこの方面において、やはりしっかり修めていないことが分かりました。
平然と関門を突破する
時間が経つのは本当に早いものです。桃や梨、スイカなどが市場に出回り始めました。アイスクリームがもう売れなくなったため、私は数箱の大きなスモモを仕入れて来ました。しかし、今度は、果物屋さんとライバル関係になりました。3人の中年女性が仲間で、そのうちの1人は、「私達はここで、もう十数年も売っているから、あなたはここで商売してはいけない」と言いました。私は黙って何も言わず、微笑みながらその場所を離れました。薬を売っている男の人は小さな声で、「ここは、彼女たちの私有地ではないですよ」と言うので、私は、「大丈夫です」と言いました。その女性たちは果物の箱を私の前に置き、私の商売を邪魔しようとしました。私はちょっと笑って、三輪自転車を押して、彼女たちから遠く離れた場所に移しました。
その日、私の商売はまったく影響されませんでした。前回、私は関門をうまく通り抜けることができず、心を動かしてしまって、異なる次元は私に対する要求に達しませんでした。もしその時、私が本当に平然として心がびくとも動かないでいられたら、今日の一幕も無かったことでしょう。
世間の人が三退する
その後、薬を売っている男の人にまた会いました。彼は、「その日、あなたが離れた後、僕は下敷き屋さんに、あなたは偉い、よく我慢できた、教養があると褒めてあげたよ」と言いました。私は彼に、「私は法輪功を修めるものです。師父は私達に『真・善・忍』によって自分を律するよう、また、何事も他人を優先に考えるように教えておられます」と言いました。それから、私は三退や法輪功の真相について話し、彼もたくさんの質問をして、そして、以前、他の人からも三退のこと聞いたが、いずれも聞き入れなかったと言いました。彼は「今日、私はやっと分かりました。あなたが言った通りです」と言って、喜んで三退し、『九評』などの真相資料も受け取りました。それから、下敷き屋さん、果物屋さんも三退しました。
果物を売る人たちは、よく果物を入れる皿を忘れたり、秤を無くしたりして、私はそれらを見つけたら、彼女たちのために取って置いて、彼女達に届けました。その後、彼女達の態度も大きく変わりました。ある日、私の果物はまだ少し売れ残っていましたが、1人のおばさんは、「残った果物をこっちに持って来て、売ってあげるから、あなたはお金を受け取るだけでいいよ・・・・・・」と言いました。私はお礼を言いながら、心の中では、チャンスがあれば、彼女達を救わなければならないと思いました。
師父は、今の中国人は尊い人で、すべての人の背後には大きな大穹があると説かれました。私は自分が大法弟子で、衆生が救われる希望となっていることをとても光栄に思っています。私は、「衆生は大法に対して深く理解することはなく、大法弟子の普段の言動を見て大法を理解する」と分かりました。薬を売っている男の人はどうして他の人に言われても聞き入れなかったのでしょうか。それは共産党の宣伝が彼を遮っていたからです。もし私が慌しく彼に話しても、おそらく彼はやはり受け入れなかったでしょう。しかし、大法弟子の言動は彼が真相を受け入れるのを妨害していた邪悪の要因を解体しました。そのため、彼は何も妨げられずに真相を受け入れることが出来たのです。
ある同修と交流した時のことを思い出しました。彼女は、私を見た瞬間、心がすっかり悲しくなったと言いました。なぜなら、今まで、仕事も家庭もすべて恵まれていた人が、邪悪の迫害によってこのような窮地に陥ってしまったからと言いました。私は、「まったくそう感じていません。ただ、自分が修煉の道をしっかり歩んでいないことを恥かしく思い、師父の慈悲なる済度に背いたこと、また衆生の期待に背いたことを恥かしく思っています。どんな仕事をしても、人を済度することが出来ます。それは私達が時々刻々衆生のことを心に留めているかどうか次第です」と言いました。
私は自分が大法の要求にまだまだ及ばないことが分かっています。修煉して十数年経ちました、法を正す期間ももう少しで終わります。私は必ず初志貫徹して、三つのことをしっかり行い、先史の大きな願いを果たすようにいたします。