「キツイ女」から「優しいおばさん」へ
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文/蘭蘭(同修の口述を整理)

 【明慧日本2014年11月23日】大法を修煉して18年、私は大法の素晴らしさを数え切れないほどこの身で体験しました。私は「真・善・忍」の恩恵をたっぷり受けて、性格が穏やかになりました。師父は私の薬漬けの体を浄化して、心を昇華させてくださいました。大法から得た幸せは、とても言葉で表現し切れません。負けず嫌いの「キツイ女」から、だんだんと上手に教え導く「優しいおばさん」に変わった私を見て、家族や友人の誰もが法輪大法の素晴らしさを切実に感じました。

 修煉する前の私は、性格が極めて悪く、言葉遣いも荒々しく、自分が嫌いな人に口汚く罵ることは日常茶飯事でした。甚だしきに至っては、子供にも罵り方やつばの吐き方を教え、道理を弁えず、絶対に人を許さない性格はまさに異常でした。そのため、私は体が悪くなり、病気だらけになりました。しかし、その理由はまったく分かりませんでした。

 法輪大法を修煉して、自分の業力が多すぎるとやっと分かりました。そこで、私は法輪大法の「真・善・忍」の法理に基づいて自分をしっかり修めることを決めました。修煉の中で、私は次第に人を罵る悪習を改め、以前、発していた汚い言葉もいつの間にか頭から消え去ってなくなりました。

 ある日、近所の人がわざわざ私のところに来て、「以前、私達を管轄していた汚職役人の◯◯が失脚しました。私たちは再び彼を摘発しに行くつもりです。あなたは喧嘩が強いから、先頭に立って、彼をやっつけましょう」と誘いに来ましたが、私はその場できっぱり断りました。「私は法輪功を修煉しています。そんなことはもうしません」と言いました。隣人はそれを聞いて、とても不思議そうに、「以前のあなたなら、こういうことがあれば、いつも先頭を走っていたのに、今はずいぶん変わりましたね」と言いました。私は「とても恥ずかしく思っていますが、以前の私は隙さえあればすぐそれに乗じる人間でしたが、今は隙があっても私はそれに乗じません。私は『真・善・忍』に基づいて良い人になります」と言いました。

 それから、私はもういい加減に過ごすことをやめ、道理を弁えないことをやめ、何事においても人と争うのをやめ、何もかも人と比較することをやめました。近所の人は皆、法輪大法が私を徹底的に変えたと言っています。

 会社の人員整理で職場を離れた後、私は自分で職を求めて、ビリヤードホールを開きました。商売は繁盛していましたが、よく来る客は近くの中学校の不良学生ばかりでした。この学生たちは悪い習慣に染まり、異性のためにやきもちを焼き、もっと酷いのは長期に刃物を乱用して喧嘩や殴り合いをするのです。しかし、不思議なこと、私のところに来ると、彼らは皆おとなしくなります。私は彼らに「真・善・忍」の道理を順を追って上手に教え導き、良い人になるように、正しい道を歩むように説得しました。また、彼らが持っている刃物を一つ一つ取り上げました。子供たちは従順に私に従い、没収された刃物を返してほしいとも言いませんでした。

 こうして、殴り合いや喧嘩は私のところでなくなりました。いつもそうでした。これらの思春期の子供たちは実は心が単純で、とてもいい子でしたが、社会の悪い環境の中で、また変異した文化の影響を受け、彼らはとても反抗的になり、とんでもない人になっていました。私は彼らに法輪大法の真相を話し、多くの学生は次々に三退しました。その後、彼らは私の店に来るときは、いつも「法輪大法のところに行くんだよ」と言っていました。

 一部の学生は大人になって就職しても、街で私に会えば、とても親しく、「蘭おばさん、まだ法輪功を煉功していますか?」と挨拶してくれます。私は笑顔で「煉功していますよ、あなたたちは必ず『法輪大法は素晴らしい』を覚えてくださいね」と言います。師父の佛法の慈悲の力で、これらのもう少しで誤って邪道に陥りそうになっていた子供達の心をすっかり入れ替えさせました。私自身の変化、また子供たちの変化から、周りの人々は皆、確実に法輪大法の「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」の力を感じるようになりました。

 法輪大法を修煉してから、私のビリヤードホールの商売はますますよくなり、生活も次第に楽になりました。そこで、私は貧しい子供に援助したい気持ちが芽生えました。2000年、一人の顧客の紹介を通して、私は貧困な山岳地帯の小さな女の子に援助をし始めました。この女の子は小さい時に母親を亡くし、家は貧しくて卵を買うお金すらありませんでした。私は彼女に学費や生活の手当て等を提供しました。校長先生と担任の先生は感激して涙を流しながら、私に感謝しました。それから、女の子は週末や休暇になると、家に遊びに来るようになり、私は実の娘のように彼女に接しました。私は彼女に法輪大法のすばらしさと真相を話しました。彼女は三退しただけではなく、私が真相を伝え、人を救い済度する活動をとても応援してくれました。こうして、10数年が立ち、私は彼女を大学3年まで援助しました。大学を卒業した後、彼女は市内の総合病院の医者になり、幸せで円満な家庭を持ちました。師父は大法の真相が分かった彼女に福を与えてくださいました。

 数年前、私は自分の古い家を貸し出したいと考えました。私の古い家は病院の近くにあり、家賃も安く設定したので、乳癌患者の娘さんに気に入られました。娘さんはお母さんを連れて家を見に来ました。手術を受けたばかりのお母さんは、行動がまだ不便で、来た時はとても大変そうでした。お母さんは私のベッドに横になったら、とても気持ちがいいと感じ、すぐにこの場所を決め、一家はここに住むことにしました。私は彼女に「ここは法輪大法の修煉者が住んでいた家で、エネルギーが強く、お母さんにきっと有益です」と言いました。それから1年間、私はよくこのお母さんを見舞いに行き、法輪大法の真相を話し、大法の書籍を読んであげました。だんだん彼女は元気になり、病院に言われた化学療法も2回しか受けませんでした。彼女は私が大法を読むのを聞いて、とても気持ちよく感じたのです。彼女の体の回復がとても早かったため、賃貸契約を解消して、一家は帰省することになりました。出発した時、彼女はすでに大法の修煉を始めていました。この前、私は彼女のふるさとに会いに行き、すべての大法の書籍と資料を届けました。彼女は今とても状態がよく、家族全員が感謝してくれました。彼らも法輪大法の奇跡と素晴らしさを目にしました。

 10数年来、法輪大法が世の中で起こした奇跡はあまりにも多く、私の経験はその中のわずかなものにすぎません。師尊の弟子に対する慈悲なる済度に感謝いたします。師尊が「真・善・忍」の輝きを世界にあまねく伝えられたことに感謝いたします。善良なる人々よ、ぜひ「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と覚えてください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/23/300354.html)
 
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