ネット封鎖を突破するソフトを通して、私は法輪功の修煉を始めた(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年8月4日】私は幼い頃から体調が良くありませんでした。少し天候が変わると熱が出て母を困らせていました。そんな時、いつも私は母に連れられて病院へ連れて行き、注射を打ったり、薬を飲んでいました。しかし、今までになく酷い「インフルエンザの症状」が出たので母は強制的に薬を飲ませようとしましたが、私は拒否し続け、母を自分の寝室に入れませんでした。しかし、2~3日で治り、逆に体はとても軽く、普段以上に元気になりました。

  修煉に対して家族はそれほど反対しませんでした。恐らく私がまだ子供で、どうせ遊びだからいつか諦めると思ったのかも知れません。しかし、父は別の見方をしており、私が現実から逃れるために修煉しようとしていると思っていました。父は修煉を通して神になれることを信じませんでした。私も少しその疑問が心の奥に残っていましたので、第三者として話す父の言葉に私は大きく揺れていました。修煉は遊びではなく、修煉は非常に厳粛なものだと知って自分でも諦めようかと 思ったこともあります。時に大法をとても信じていますが、時に自分の執着心に触れると信じることができず、疑問を抱きました。その時、中国の田舎に暮らす同修達の体験文章を読む時に、心の中で自分に対して残念な思いがありました。彼らは非常に純粋で大法を完全に信じています。常人の中で学位を持っている人や学歴が高い人たちは後に形成された様々な観念を抱いており、それも修煉の邪魔になるのです。

  母との関係は以前から良くありません。私は母と喧嘩をしている夢をよく見ます。師父は忍耐しなければならないと教えておられますので、母に言われても我慢して従い反対はしないのですが、時に母が傍にいるだけで私は腹がたつのです。幼い頃から母の教育法に非常に不満を抱いて許すことができませんでした。他の人が同じようなことをしたら許すかも知れませんが、母に対しては許しませんでした。しかし、よく考えると彼女は私の母であり、親子の縁で結ばれています。恐らく昔2人はこの世で親子になる縁を結んだのかも知れません。私が母に昔何かをしたのかも知れません。このように考えると母に対しても慈悲の心が生まれ、母も私の変化が大きいことに気づきました。私の性格も穏やかになり、彼女にも優しくなり、母は驚いていました。私は母に対して、「これは李洪志師父の教えですよ」と答えた。母も大法に対する誤解を徐々に解きました。母は中共の洗脳のせいで長年無神論や嘘の宣伝ばかり頭に入れており、中共の洗脳の犠牲者なのです。中国社会で中年の主婦(50代後半~60代後半)はみな同じ思想を持っていて人に優しくありません。自分の利益だけを考えるような教育を子供に押し付け、母としての優しさがないのです。何でも母の命令に従わなければなりませんでした。これは中国の特色で恐らく他の国ではそうではないと思います。私は欧米や日本・韓国の中年の女性と会ったことがありますが、彼女達は非常に優しい心を持っており、人に優しいのです。長年中共の教育を受けた女性は完全に女性らしい優しさがなく、誰にも冷たいのです。

  私には二つの重い執着心があります。一つは円満成就に対する執着心、もう一つは迫害されたらどうしようという恐怖心です。私は色々な環境に適応し、非常に慎重な性格でした。修煉前も間違いを起こさないようにと緊張した毎日を送っており、面子を大切にする完璧主義者でした。何でも慎重過ぎて私の生活はだんだん面白さを失っていきましたが、修煉後もこの癖はすぐ消えませんでした。師父は「修煉は、堂々と大きい目標を目指して修煉をするように」[1]と教えられています。 初めは間違いを起こさないように毎日緊張感を抱いて修煉しており、執着心に気づかなかったのです。長年形成された観念は簡単に取り除くことはできませんでした。常人の諺に「山河の改造は容易いが、根性を入れ替えるのは難しい」とあるように、容易なことではありませんでした。時に心性の難関を乗り越えられなかった時はとても落ち込んで、修煉を諦めようかという考えも入ってきます。私の周りにはほかの同修は誰もいませんし、誰も修煉の仲間はおらず、修煉について話す相手はいませんでした。依頼心が出て来たとき、これも執着心だと後で気づきました。身の回りの人々はみな常人で彼らを相手にしたくないとかいろいろな心が出て来るのです。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/27/277227.html)
 
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