明慧法会|修煉において小さな事はなく どんな事でも人心を取り除く
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文/遼寧省の大法弟子 方正文

 【明慧日本2015年3月1日】わが地区の資料拠点はどんどん増えてきて、衆生を救う資料は種類が豊富で、需要に間に合っています。それに伴い、技術的な問題が少し出てきました。一部の同修のプリンタはよく故障し、技術を熟知している同修は用事で留守のため、私が代わりに技術問題の解決やプリンタ修理の依頼を引き受けることになりました。どこかに修理を必要とするプリンタがあれば、私はすぐ自転車で向かい、引き取って、修理してからまた自転車で送っていました。

 その頃は本当に忙しかったのです。しかし、大法弟子である私は、大法の事であれば、幾ら苦しく、幾ら難しくてもやるべきだと思いました。しかし、事を運ぶ中で、私は徐々にこれが単なる機械修理の問題ではなく、心を修める過程だと気づきました。

 怨む心が生じた時、内に向けて探す

 ある日、私は同修のAさんと約束して、同修のBさんの所に機械を受け取りに行くことにしました。私たちがBさんの所に着いた時、既に日が暮れていました。Bさんは厳しい顔で、「あなた達は疲れていませんか?」と聞きました。大丈夫だと答えると、Bさんは、「私は疲れました。あなた達を3時間待っていました」と言いました。機械を受け取って、Bさんの家を出てから、私はAさんに、「Bさんの言葉を聞いて、あなたはどう思いましたか?」と言うと、Aさんは「何とも思わなかった」と言いました。寛大な彼女に比べ、私は自分の落ち度に気づき、内に向けて探しました。もしかして、私たちはBさんと時間を決める際、いい加減だったかもしれません。それによって同修の不満を引き起こしまいました。3時間は確かに長すぎます。次回はもっと相手の事をよく配慮しないといけないと思いました。

 機械を修理センターに送って、帰宅したときは既に夜の10時でした。私は簡単に夕食を済ませ、昼の事をもう一度頭の中で整理してみました。その時、私はいつの間にか自分の怨む心が消えたことに気づきました。師父がそれを取り除いて下さったのだと思いました。このチャンスに、きちんとこの人心を取り除こうと思いました。

 機械を直してから再びBさんに渡さなければなりません。しかし彼に連絡すると、「この数日事情があって、機械はとりあえず預かってください。また連絡します」と言いました。あれだけ急いで修理に出したのに、今度はすぐに引き取らず、しかも私が保管してあげなければなりません。私の人心が再び出てきました。「なぜほかの人の事情を考慮しないのか?」と思った途端、私はすぐにそれが怨む心だと気づき、徹底的に取り除こうと決心しました。

 試練が続きました。数日後、Bさんは機械が必要になったと連絡してきました。ちょうどそのころ、私は別のプロジェクトで忙しく、同修の姉に連絡してほしいと伝えましたが、彼は連絡が取れないと言い、しかも急いで機械を送ってほしいと言いました。仕方なく、私は自分で送ることにしました。その時間帯はすでに公共バスはなく、タクシーで行けば30~40元もかかります。私はまず自転車で修理センターから機械を受取りましたが、その時は腕いっぱいにインクが付いてしまいました。私は、これは私のBさんに対する怨む心を引き起こす試練だと気づき、人心を起こさずに必ず機械を届けようと思いました。約束の地点に近づく頃、Bさんは、もう少し北の方向へ来てほしいと連絡してきました。「もっと遠くですか? 分かりました。必ず届けます」と、私は他のことを考えず、最後は無事にBさんに機械を渡しました。帰りに、私は大法の歌を歌いながら、自分の心性の向上を実感しました。

 同修の不足を見た時、内に向けて探す

 同修のCさんは年配の同修で、衆生を救うことをよく実行しています。彼女は三輪自動車にたくさんの真相資料を積み、よく人が集まる公衆の場に出て配ります。彼女はだいぶ年を取ったにもかかわらず、ネットに上がって真相資料を印刷し、真相DVDやお守りなどを自分で作ります。彼女はプリンタやコンピュータに不具合が出た時、よく私に声を掛けます。

 私が行く度に、Cさんは私にぶつぶつと愚痴を言いました。例えば、同修の誰々が悪いものをいいものに見せかけて彼女に売ったとか、大法の書籍を買う際、多くのお金を払わされた等々です。私はそれはきっと誤解だと彼女に言いました。しかし、幾ら交流しても、彼女はずっと私に同じ話を繰り返すばかりでした。なぜでしょうか? 私は師父の話を思い出しました。「いかなるトラブルと出来事が現れても、皆さんに教えたことがありますが、トラブルの当事者双方が自分の原因を探す以外、第三者まで自分を考えなければなりません。なぜ自分はこのことに出くわしたのでしょうか?」[1] 「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[2]

 私は自問しました。私にそのような問題が存在するのでしょうか? 必ず理由があります。じっくり考えてみると、私自身、協調人に意見があり、本人と話しても決着を付けられない時、よく他の同修とこそこそと議論したりする習慣があります。これは間違いです。法に符合しません。私は必ずこの良くない行為を取り除きます。私が自身の問題に気づいてから、Cさんも私に他の同修の愚痴を言わなくなりました。

 私は再び実感しました。修煉において小さなことはなく、どれも人心を取り除くことができます。毎回の向上のチャンスをしっかりと掴み、生かすことは、常人の観念を改めていく過程です。

 トラブルの中で、内に向けて探す

 わが地区で週報の発行が停止し、私は責任を持ってやっていこうと考えました。師父の加持と同修の助けで、私は地方週報の編集を始めました。私は基礎から学び、同修に教えてもらうと同時に、党文化を取り除き、徐々に私が編集した地方週報は明慧の校正を経て、明慧ネットで掲載されました。私は自信がつき、一号一号と作り続けました。

 私の自信がつき始めたある日の夜、Aさんが訪ねてきて、自分の家に来てほしいと言いました。彼女の家に着くと、予想もしなかったことに、同修のDさんがそこで待っていました。Aさんは、「Dさんがあなたと話したいそうなので、私はこれで失礼します。あなた達で話してください」と言い、部屋から出て行きました。Dさんは、自分が迫害された事実が週報に書かれ、民衆の手に渡リ、それによって更に迫害を受けるかもしれないことを恐れ、今後書かないでほしいと言いました。私はそれを聞き、怒りを感じ、「私も明慧ネットから転載しただけで、あなた本人に声を掛けなかったのは私の間違いです。わかりました」と私は答えました。Dさんはそれでもずっと言い続けました。私は内心の怒りを抑えましたが、Aさんに大きな反感を覚え、「これで協調できるのか? これは裏切りではないか。私はもう一切書かない」と思いました。私は怨みを抱きながら家に帰りました。1カ月ほど、私は何も書きませんでした。地方週報もこうして再び発行停止になりました。その間、私は他の同修が続けてやるか観察していましたが、誰もしませんでした。

 多くの学法を通じ、私は自分の間違いに気づきました。それは私の心性を高めるチャンスでした。あれだけ神聖なことをするのに、人心を暴露しなければどうやって向上しますか? どうやって修煉しますか? 私はやはり続けて書くべきで、邪悪を暴露し、衆生を救わなければなりません。

 再び書き始めた後も、人心が何回も出てきました。修煉の道のりにおいて、自分はまだ多くの人心を持っていると実感しました。修煉において小さなことはなく、どれもが修煉です。内に向けて探すことこそ、着実に自分を修める宝です。今の私は着実に自分のやるべきことをやっています。掲載が上手く行かない時、私は内に向けて探し、自分の人心を探しました。法理をよく理解できているか、法を正す進展について行っているかを考えました。人心を見つけて、すぐに正せば、一つの向上を成し遂げます。

 修煉の中、私たちは絶えず自分を正し、人間の状態から抜け出し、神に向かっています。

 注:
 [1]李洪志師父の経文:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
 [2]李洪志師父の経文:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/15/299616.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/19/146940.html)
 
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