修煉の中で煉功を緩めてはならない
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文/中国・大連の大法弟子 普梅

 【明慧日本2016年5月16日】ある同修に正しくない状態が現れたと知って、お見舞いに行こうと決めましたが、なぜか会うのを恐れる心も生じました。努力して内に向けて探しましたが、2日過ぎても、根本的な問題を見つけられず、恐れる心と雑念が依然として存在していました。それを排斥し、正念を起こそうとしても、改善がありませんでした。

 同修を見舞いに行く朝、師父に線香を立てた時も、自分が一種の物質に包まれていると感じました。このよくない物質は全体の向上を妨げるので、ぜひ突破したいと思いました。ふと第二式の功法の口訣を思い出して、時間をみると出発するまでにちょうど30分あったので、煉功することにしました。

 煉功すると、とても強いエネルギーを感じ、浮かんできた雑念のなかに「自分は他人よりましだ」という執着を見つけました。すると、自分を包む物質が消え、内心がとても穏やかになり、念も消えました。

 しかし、しばらくすると、同修に何かを言おうとする考えが再び浮かんできました。この思想は自分ではないと否定し、続けて煉功しました。そして、「演説」したがる物質が体に付いているのが見えました。そうか、先ほどの念はその支配から生じたものだと認識しました。認識できた途端、心身ともに言葉で表せないぐらい静かになり、とても軽やかでした。この時同修との約束の時間になりました。

 穏やかな無為の心境で同修を訪ねると、同修の交流と状態も私に啓発を与えてくれ、自分の不足を認識できました。今までの自分は正しく煉功に対処できず、惰性に従い、煉功が緩んでいました。同修との交流から煉功は修煉のために欠かせない一部で、本体を変えるだけでなく、向上にも重要な役割を果たしていると認識しました。

 同修を見舞いに行く前後のことを通して、同修と共にいる時間は、師父が按排してくださった互いに助けあい、共に向上する機会でもあると感じましたが、たえず内に向けて深く探す必要があります。それで一つの全体を形成でき、旧勢力の按排を否定して、大法の超常を実証することができます。

 少しばかりの認識ですが、不足があれば、ご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/5/12/328260.html)
 
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