文/中国・河北省の大法弟子
【明慧日本2016年8月13日】私は定年退職した中学校の元教師で、69歳です。1995年から法輪大法の修煉を始めました。以下の文章は、2014年6月から、私が経験した魔の妨害について書いたもので、皆さんと交流したいと思います。
一、「病業の虚像」―肉体に対する迫害
2014年6月6日、私は口が歪み、目が斜めになっているのに気づきました。自分の様子を見て、私は驚くこともなく、怖くもなく、すぐに、「旧勢力の私に対する迫害を否定し、これらの虚像を認めず、必ず師父が按排された道を歩みます」と正念を発しました。
私は平常通り大法弟子のやるべきことをやりました。毎朝、煉功に参加し、午前中は法を学び、午後か夜には資料を作り、昼間に法輪功に関する資料を配りに出かけます。いつも電子製品のショッピングモールやマーケットなど、比較的人出の多い、賑やかな所に行きます
師父は次のようにおっしゃいました。「全ての大法弟子は皆、旧勢力の按排を認めないと言っていますが、それは口で言うことではなく、大法、法を正すことの要求にしたがって行えば、歴史上按排した全てを認めず、旧勢力そのものをも認めないことになります。正念が十分であれば、それを排斥することができ、それらの按排を否定することができます。(拍手)なぜならば、私たちは決してそれらを認めてはいけないからです」[1]
私は師父の教えをしっかりと心に刻み、大法から、正念をもって正しく行う勇気と力をいただきました。私は毎日電動自転車に乗って、法を正す師に手伝う道を奔走しました。また、同修と一緒に集団学法をし、ともに正念を発し、激励し、邪悪に打ち勝つ自信と勇気はますます強くなりました。しかし、当時、私の容貌に対して迫害する邪悪を徹底的に解体することはまだできませんでした。
二、魔の妨害がエスカレート
1、夫が突然入院 泣き面にハチ
2014年8月6日、私は真相を伝えるDVDを配ってから帰宅したところ、夫(大法の真相が分からず、時には反対する)はすでに救急車で運ばれ、脳梗塞で入院しているのを知りました。本当に泣き面に蜂で、自分のことだけで大変なのに、夫まで倒れ、負担はさらに重くなりました。しかし、私は怖くありませんでした。「師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか?」[2]と師父が説かれているからです。
夫が入院して、私は介護ヘルパーを頼みました。そして、夫に言いました。「あなたは心配することはありませんよ。大法はきっとあなたを救ってくださるから。私の顔は次第に良くなったじゃありませんか」。私は薬を飲まず、治療もしないのに、顔が次第に良くなったことは、夫にもかなり衝撃を与えたようでした。
夫も大法を信じるようになり、いつも大きな声で「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と念じ、その結果、病状も奇跡的に改善されました。医者は私の顔を見て、ついでに治療したらと勧めてくれましたが、「私は法輪功の修煉者です。師父は私を見守ってくださっています」と答えました。4カ月後の10月になって、私の顔は全く正常に戻りました。病院の清掃係の人が「薬も飲まず、注射もしないで、よくなったの? 本当に奇跡ですね!」と言いました。
病院で、私は夫の主治医に真相を伝え、主治医は三退しました。またリハビリの指導員、インターンの大学生2人、入院中に知り合った友達、介護ヘルパーなどにも真相を伝え、それぞれ三退しました。そして、彼らに神韻のDVD、お守り、ネット封鎖を突破するソフトをプレゼントしました。
2、夫が退院した後
夫が退院した後、私は夫の世話をして、1日中、手が離せない状態でした。夫は中国共産党に深く害され、共産党の書籍や記念冊子などを多く保存していました。今回、夫は修煉したいと思い、それらのものを全部廃棄することに賛成しました。最初の3カ月はすべて順調で、一緒に法を学び、煉功し、歩行練習もしました。しかし、それ以後、夫は邪悪に操られ、毎日でたらめなことを言い、法も学ばなくなりました。私は毎晩、ほとんど眠れず、心身共にひどく疲れました。
私は他の空間のものが見え、音が聞こえます。邪悪から「患者さんを世話するのは、あんたの修煉の道だ」と告げられました。内に向けて探して、私は驚きました。邪悪が私を引きずり下ろそうとする、悪辣な企みに気づきました。旧勢力の手配を突破するため、私は利益を求める心を放下し、毎月3600元で家政婦を雇い、夫の世話をしてもらいました。こうして、私は法を学ぶこと、大法弟子がやるべきことができるようになりました。
その時、邪悪はとても腹を立てて、「家政婦は邪魔ものだ」とブツブツつぶやきながら、さらに妨害を仕掛けてきました。家政婦は、家に用事ができたとか、体調が崩れたとか言って辞めていき、なかなか長続きしませんでした。その後、私は邪悪のやり口を見破り、家政婦が来ると、真相を伝え、人が代われば、また真相を伝え、こうして、やっと邪悪の妨害を打ち破りました。
昨年5月12日、私はいつも通りに出かけ、商店街で法輪功に関するDVDや資料を配りました。ある商店主はDVDを受け取り、「このDVDはどこから手に入れたの?」と聞きました。私が「大法弟子が自費で制作したものです」と答えると、彼はとても感激して、「法輪大法のご加護がありますように!」と大声で叫びました。私は驚きました。ふと、師父が彼の口を借りて私を励ましてくださっていることが分かりました。とても感動しました。師父はずっと私を見守ってくださっているのです。
3、修煉を放棄させようと妨害
この期間、邪悪は夢の中で、私に対する妨害を強化しました。映画で放映するかのように映像がはっきりしていました。邪悪に「数日後、あんたは死ぬ」と言われ、また、夫に「あんたは死ぬのだ」などと言わせました。その時、私の精神状態はほとんど崩壊し、結局、邪悪の罠にはまってしまって、自分は本当に死ぬのではないかと思うようになりました。
大法の資源を損失させないため、私は大法の書籍、プリンター、空のDVDディスク、CDケース等を同修に持ち帰ってもらいました(1台のプリンターとパソコンだけは残して)。周囲や同修にもう修煉を放棄するかのような印象を与えてしまいました。しかし、私は毎日依然として真相のDVDを配り、真相を伝えました。ある日、配るDVDがなくなった時、まだ1台のプリンターとパソコンが残っていることにやっと気づきました。師父は私を手放されていない、まだ修煉の機会を残してくださっていることを悟りました。
幻影からの妨害は私を困惑させ、大法に対する誤解をもたらしました。その後、『轉法輪』第六講「自分の心より魔が生じること」を学んで目が覚め、騙されたことに気づきました。しかしまた、心配と自責の念に陥り、甚だしきに至っては「荒波は砂を洗う」のように、自分は淘汰されるのではないかと思いました。結局、邪悪は私のこの執着心を掴み、夢の中で、「私の体を解体する」一幕を演じ、その中で、私の宇宙、衆生は全部崩壊してしまう……、非常に痛ましい場面でした。一晩中苦しみました。また、「○○○、お前は解体された」という声も聞こえました。
その時、私は手を伸ばし、足で蹴り、手足は動くと感じ、立ち上がって、さらに歩くことができると分かって、自分は解体されていない、すべては幻影だとやっと分かりました。その時、大法弟子の修めた部分はすでに隔離されているという師父の説法を思い出し「邪悪はどうして私を解体することできるのか? そんなはずはない」と思うようになりました。幻影の中で、今まで法を学び、生死についての浅い悟りからですが、「生きて求める所無く 死して留まるを惜しまず 妄念を蕩尽すれば 佛を修するは難しからず」[3]を暗唱しました。
その後、邪悪はいくら目まぐるしく変化して、私を妨害しても、もう私の心を動かすことはできません。師父のお言葉を念じることに専心しました。師父がおっしゃった「何が見えても気にせずに、すべて魔の幻なので」[4]の法理をいつも銘記しています。
邪悪はまた、男の声で私に告げました。「私はすでに13年も隠れて、あんたにキリスト教、戒、定、慧の法門を修めさせたいと思っていた」。私は内に向けて探して、自分の執着心が13年も隠れ、修煉して取り除かなかったことが分かりました。修煉当初、天目が開いてほしいとか、他の空間の音声や映像を聞きたい、見たいという心があって、それほど強くなかったのですが、天目が開いたらといいなと思っていました。今になって、その執着心が利用され、もう少しで私は破滅におとしいれられるところでした。修煉は本当に厳粛なことです。
絶え間なく内に向けて探す過程で、私は同修から指摘された時「ぶつぶつ言う」尋常でない言動があること、また、恐怖心により、あれこれを疑ったりすることにも気づきました。
師父は「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます」[5]と説かれました。私はこの法を心に深く刻みつけました。師父の法によって、私は今回の生死の関門を突破することができました。邪悪の私の精神、思想に対する迫害は、刑務所の中よりも耐えがたく、辛く、あのような場面は本当に終生忘れがたく、振りかえることさえ耐えられません。
邪悪は手を換え、1カ月くらいずっと妨害しましたが、私はついにそれを突破しました。邪悪はこの種の妨害を突破した人はまだいないと言いました。自分を本当の大法弟子とみなし、本当に師を信じ、法を信じれば、必ず突破することができると体得しました。
三、修煉の漏れを正す
今回の妨害を通して、私は真剣に内に向けて探しました。迫害が始まった当初、発表した厳正声明は厳粛ではなく、内容は大雑把だと気付きました。「大法に合致しない言行はすべて破棄する」と言いましたが、しかし、具体的な内容には言及していません。例えば、1999年7.20、当時、職場が大法の書籍を取り上げた時、私も適当にあしらって、何冊かの大法の書籍を渡したこと、また、1999年10月、私が拘置所から出所する日、娘は私の代わりに「保証書」を書き、私は署名しませんでしたが、しかし、無理やりに拇印を押さされたこと、7.20以前、私の家では師父の写真を供えていましたが、警察に没収されるのを恐れて、机の後ろに隠してしまったこと、これらの行為はすべて師父に対して、大法に対して敬わず、甚だしきに至っては大法を裏切る行為でした。その後、私は再度厳粛に厳正声明を書き、同修にお願いして、明慧ネットで発表してもらいました。
法を多く学ぶことによって、邪悪の目まぐるしい妨害に対する恐怖心を取り除きました。師父は「迫害の中で逆の立場をとってしまい、既に大法弟子ではなくなりましたが、また戻ってきた人に関して話は別です」[6]と説かれています。自分は逆の立場をとっていない、師父はまだ私を放棄されていないと自信を持つようになりました。こうして、自分に正念のない劣等感を取り除きました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「何も残らず」
[4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[5] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年 元宵節での説法』
[6] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年 米国西部法会での説法」