文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年6月30日】昨年8月19日、父が危篤状態になりました! この予期しない知らせを聞いて、私は信じられませんでした。その日の夜のうちに、私は他の町から急いで実家に戻り、病院の病床に横たわる父の姿を見ました。父の体にはいろんな管がつけられ、顔色が青ざめ、呼吸困難になっていました。母は 「お父さんは脳出血で、すでに大量出血をしたの。医者からは葬儀の準備をしてください、非常に危ない状態だと告げられた」と言いました。
この突然に起こった出来事に直面して、私は泣き崩れました。医者は「手術をするのはかまわないが、成功の可能性は非常に低い」と言いました。母は、たとえ一縷の希望であっても、やはり試してみたいと言って、手術に踏み切りました。多くの同修はこの事を聞いて、病院にやって来ました。父を手術室に送り込む時、外は大雨が降り、父の携帯のアラームが鳴りました。私は家族と同修の皆さんに、「父のために発正念をしてあげてください」と頼みました。私は心の中で、「師父、父をお助けください、もう一度父にチャンスを与えてください。これからは必ず父をサポートし、しっかり法を学ぶように促します」と師父にお願いしました。父を救うことができるのは大法しかないと分かっていました。
1998年、12歳の私は両親について、大法の修煉を始めました。小さい時から体が弱く病気がちで、年がら年中、体調は思わしくありませんでした。法を学び、功を煉った私はすっかり健康になりました。両親について、法を学び、功を煉り、大法の素晴らしさが分かっていた私は、時には、天目でとても素晴らしい光景が見えました。しかし、悟性の悪い私は、当時見たものは、ただ想像したものに過ぎず、本当に見たものだと思いませんでした。その後、1999年「7・20」に、あの恐怖の暗黒な日々がやってきました。当時、すべてのテレビ局は大法を誹謗中傷し、でっち上げの情報を流しましたので、母は邪悪の宣伝に騙されましたが、父は大法を固く信じ、いかなる影響も受けず、さらに、大法を実証することを始めました。あの当時、夜になると、私は父と一緒に真相シールを貼りに出かけましたが、あまり怖いとは思いませんでした。
しかし、年をとるにつれ、環境からの圧力もあり、学法を妨害する悪い物質が次第に多くなりました。父も私にあきれて、私の事に構わなくなってしまいました。私の心はいつも辛く感じ、内心では、法を学びたいと渇望しながらも、何かに妨害され、それを突き破ることができませんでした。社会人になってからは、仕事からの重圧、様々な人間関係からの苦悩に戸惑いながら、人を墜落させる社会環境の中で自分を見失い、名誉、利益、色欲、意地の中で苦しみ、迷い、生きる意味がわからないまま、ただ、だらだらと時を過ごしていました。
手術後、父は約20日間意識不明になっていました。その間、いろんな合併症も発病し、危ない状況がずっと続いていました。私と家族は毎日苦しみの中で過ごしました。この期間、同修達はずっと父のために正念を発してくださり、私も毎日師父の説法を父に聞かせました。父はついに目が覚めました。同修たちの協力によって、父は個室に移り、毎日多くの同修たちが父のために発正念をしに来てくださいました。父は迅速に回復し始め、人の手を借りれば、ゆっくりベッドから降りて歩けるようになりました。医者は父のこれほど迅速な回復力を見て、驚きを隠せず、とても不思議だと言いました。医者の話によると、父の病状では命が助かっても、半身不随になってもおかしくないとのことでした。
父は目が覚めてから、退院したいと言い始めました。33日目、父はようやく家に戻ってきました。退院する日、主治医とたくさんの医者たちが来てくれました。同修たちもとても喜んで、荷造りの手伝いをしてくれました。父を助けるため、同修達は私の家で、学法グループを結成しました。一方、父は言葉を妨害され、字も読めなくなり、法を学ぶ時、私は父のそばで面倒を見てあげなければならず、こうして、私も再び大法に戻ってきました。
法を学ぶ当初、妨害がひどく、父には、何度もけいれんが起こり、家族はとても心配しました。しかし、学法を止めたことはありませんでした。絶え間なく法を学ぶ中、私は様々な神秘的なことを経験し、多くの難関と試練にも直面しました。長年常人の大きな染めもの甕の中で汚染され、自分にはもう法を学ぶ資格がないと思い、心の中の重苦しさは言葉で言い表せないものでした。ある日、法を学ぶ時、「常人の社会環境に来れば、まわりからの影響で、名誉や利益を重んじるようになり、しまいにはどんどん堕ちて行き、永遠に戻って行けなくなります。ですから、誰もが怖がって、来る勇気がないのです。しかし、やってきた者がいます。来てから常人の中で本当に駄目になりました。一生の間に少なからぬ悪いことをしたため、本当に下へ堕ちてしまいそうになりました。人が生きている間に、個人の利益のために争えば、多くの悪いことをし、たくさんの借りをつくることになります」[1]を読んだ時、私は涙が込み上げ、止まらなくなりました。私の学法を妨げている劣等感が次第に解体されたように感じました。
法を学ぶ障害を突破するとき、慈悲で偉大なる師父は絶えず私に啓示してくださり、励ましてくださいました。例えば、ある日、法を学ぶとき、私は色とりどりの『轉法輪』が見えました。また、ある段落を読むと、文字が突然光るようになり、煉功の時、私はカラフルな衣装の仙人たちが見え、とても素晴らしく雄大な光景を見ました。また、もうすぐ出航する法船も見え、別の空間の音楽も聞こえました。
師父の励ましの下、私はロケットに乗ったようにどんどん昇華していきました。私は絶えず自分を正し、そして、「師父の説法を通読し、五式の功法をすべてマスターして、師父の『論語』を暗唱し、三つのことをしっかりやり遂げ、家庭の環境を徹底的に整理し、以前、父が改めていなかった文字を全部修正しよう」と決意しました。私はできる限り法を正す進展に追いついて行こうと思いました。
しかし、それを本当に実行してみると、私の前に多くの関門が立ちはだかりました。毎回心をえぐるような思いで、体が脱皮するような感じの試練を受けました。ある日、父に師父の説法のビデオを見せようとした時、ひどく妨害され、父は見ることを拒否しました。私はとても怒って、「見なくて結構です。お父さんの事はもう知らない。私は自分で見る」と言ってしまいました。すると、ドカンと音がして、ものすごい震動がしました。振り返ってみると、父は体を丸く縮こませで、地べたに倒れ込んで、けいれんをし始め、また出血しました。私はとてもびっくりして、急いで大声で、「私は間違いました。私は間違いました! そのような言葉を発してはなりません。旧勢力の按排を全面的に否定します。お願いします。父を救ってください」と師父にお願いしました。慈悲なる師父は再度父を救ってくださいました。私はすぐに分かりました。私は心の中で、「父が回復すれば、かならず父を助けます」と師父に約束を交わしていたのです。私ははじめて、誓約の重大性に気づきました。
ある日、私は同修に電話番号を整理してほしいと頼まれました。師父が私に真相伝えに参加するチャンスを与えてくださったと分かり、とても嬉しかったのです。しかし、データーが多すぎて、普段もとても忙しい中で、整理が半分進んだ頃、私はいらいらし始め、もっと速くて簡単な方法はないかと小利口ぶっていました。その結果、パソコンのOSにトラブルが起きてしまいました。自分が間違ったとすぐ分かりました。私は師父に、「私はもう小利口ぶることはしません。真面目に取り組みます」と言いました。この時、師父は私に知恵を与えてくださり、見事に問題が解決できました。修煉は実に厳粛なものだと実感しました。
またある時、同修に三退の名簿を作るように頼まれました。これほど簡単なことで、真相伝えに参加したと言えるのかと思ったとたん、インターネットにアクセスできなくなりました。私は、修煉に些細なことはないとやっと分かりました。どんなことに対しても、正念を持って、真面目に、心を込めて取り込まなければならないと分かりました。
同修は、「以前携帯電話に保存している大法の書籍はもう古いバージョンで、削除しなければならない」と言いました。しかし、私の家には師父の『各地での説法』の本は揃っていませんでした。携帯電話にある本は揃っているため、字を修正する時、携帯と照らし合わせてやらなければならなかったのです。その時、私は、もし、全シリーズの大法書籍があれば、なんと素晴らしいことだろうと思いました。数日後、ある同修が我が家に来た時、その話をしてみると、彼は、全シリーズを取り寄せできると言いました。私はとても嬉しくて、すぐに取り寄せました。しばらくして、45冊の大法書籍が郵送されてきました(そのうちの1冊は新しい経文でした)。しかし、私が取り寄せた本の中には、表紙が皺皺のものもあれば、しっかり製本されていないものもありました。私は「これは自分が完璧を求める心によるものだ」と分かりました。完璧を求める心も強い執着心で、取り除かなければならないことに気づきました。
父は師父に啓示され、本が揃っているかどうかを私にチェックさせました、私は1冊1冊確認をしたら、なんと、『各地での説法』は1冊足りず、その代わりに『精進要旨三』は1冊多いことが分かりました。これは偶然ではなく、きっと師父は私に何かに気づいてほしいのだと思いました。私が『各地での説法三』を出して読むと、中に「師父はあなたを見て本当に焦っています! 師父はあなたを見て本当に焦っています!」[2]というお言葉が目に飛び込んできました。私は全身が震え、時間の緊迫性を意識し、この千載一遇の機縁を逃してはいけない、必ず勇猛精進して、師父の慈悲なる済度に背かないようにしなければならないと思いました。この45冊の説法を読む時、私は理性的に法を認識できるようになり、時々全身が震え、涙がほろほろと流れました。
大法の交流文章の中に、大法を習うと人間がすっかり変わったと書かれたのを読むと、私は、なぜ自分が変わらないのだろうと思いました。その後、私は自分が着実に修めていないことに気づきました。着実に修めることができなかったのは、法理をしっかり理解していないからだと思いました。私は真剣に法を学びました。トラブルに遭って、怒りを抑えることができない時、私は心の中で自分に、「あなたは真の大法弟子なのか。本当に修めようとしているのか」とただしました。回答は「本当に修めたい、私はしっかり修めたい、正真正銘の大法弟子になりたい」でした。師父は「あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」[1]と説かれました。また、師父は「あなたの本当の自分は先天の自分であり、それは変らないものです」[3]とも説かれました。私は、「これらの自分を不快にするもの、腹立たせるもののすべては、本当の自分ではない、これは生まれ落ちた後に形成した観念や思想業力だ」と思いました。また、「これらは私ではない。先天的な私は宇宙の特性に同化したものだ。師父はそれぞれの人に修煉の道を按排され、どんな難関に遭遇しても、すべて突破することができるはずだ」と悟りました。「関門を突破したくないのは業力で、彼らがそこで必死になっているからだ。もし、それを区別して、はっきりした正念を持ち、絶えず法を学べば、きっと正念を強めることができる」と思いました。
この交流文章を書いている時も、私は自分のたくさんの執着心・・・依存心、恐怖心、怨恨心、顕示心、自我に対する執着心、情に対する執着心などに気づきました。これからの修煉の中で、私は絶えず内に向かって探し、絶えずそれを正し、三つのことをしっかりこなし、勇猛精進して行こうと思いました。再び私に修煉の機会を下さった慈悲で偉大なる師父に感謝します。合掌!
注:
[1]李洪志先生の著作:『轉法輪』
[2]李洪志先生の著作:『各地での説法三』『ニューヨーク地区法会での説法』
[3]李洪志先生の著作:『轉法輪(巻二)』