生命は法の中で浄化される
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年8月3日】幸運なことに私は1998年に、大法の修煉を始めました。その後、私の世界観に徹底的な変化が起こりました。

 身近での宝探し

 あれは私がまだ病院で実修生をしている頃の事でした。研究室では、多くの先輩が自分の引き出しに鍵をかけていますが、1人だけ鍵をかけていませんでした。そこで、我々実習生は勝手にその引出しをあけてしまったのです。すると、1冊の『轉法輪』という本が目に飛び込んできました。ほかの人はまったく興味を持ちませんでしたが、私は無意識にその本を手に取りました。先輩がこれを見て、「貸してやるよ」と言ってくれましたので、私は『轉法輪』を一通り読みました。その中で特に、「気功は先史文化」という部分が最も印象深かったのです。「この本を書いた人はすごい。これだけ多くの事を知っており、はるか昔の事まで知っている」と思いました。

 本を先輩に返そうとしたところ、「ほしいなら君にあげるよ」と言われたので、私は喜んでもらいました。今までにない素晴らしい本に出会って、自分の世界観まで変わったという気がしました。以前は、自分の身体的な原因から自信がありませんでしたが、今では、何をみても素晴らしく感じ、世界が輝いているように見えて、いつもにこにこしていられるようになれました。それから10日後、その先輩が煉功を教えてくれるというので、私は喜んで学び始めました。後でほかの同修から聞いたことですが、私は自ら修煉しようとしている人間だと先輩が言っていたそうです。

 当時、旧勢力が他の人を使って私を妨害しようとしました。クラスメイトが私に修煉をやめろと言ってきたのです。「君はさびしいのか。これから一緒に出掛けよう」と言ってきた人に、「違うよ、この功法はとてもいいよ」と答えました。このことを知った担任の先生は、「あなたはまだ若い、いいと思っているのなら、もっと後にやってもいいでしょう」と私に言いましたが、「今を逃すと、あとで修煉できる機会がなくなるかもしれません」と、私は答えました。

 修煉を始めて1カ月ほど経ちました。ある晩、私は夢を見ました。たくさんの人がグラウンドで走っています。皆疲れ切っているにもかかわらず、一生懸命走っているのです。この時、頭の中である声が響きました。「あの者たちを見てごらん。法輪功を修煉すれば、君もあのようになる。それでも修煉するのか」。私は「する」と答えました。それから、また夢を見ました。夢の中でたくさんの人が小屋に監禁されていたのです。この時、また声が脳内に響きました。「法輪功を修煉すれば、いずれあのようになる。それでも、修煉するのか」。今度も私は「する」と迷いなく答えました。

 全体に帰る

 卒業した途端、政策が変わりました。きちんと内定がもらえるはずでしたが、今となっては、自分で仕事を探さなければならなくなりました。そして、1999年の初めの頃、兄の手伝いで他の県に仕事で出かけていたため、同修たちと連絡が取れなくなりました。また、仕事が忙しかったため、学法も煉功も疎かになったのです。しかし、私は常に修煉者としての自覚を持っているつもりでいました。市場にいる人々はせわしくなく歩き回っています。けれど、私は生命の本当のあり方を理解しました。私は円満成就しなければなりません。そうしなければ、来世もこの人たちのようにせわしない日々を過ごさなければならないと思っている自分がいました。しかし、当時の私は家族への情が深く、仕事を手放すことができませんでした。私と仕事をしたい人も多く、お金を稼ぎやすかったのです。

 1999年7月、江沢民は法輪功や修煉者への迫害を始めました。仕事に没頭していた私は新聞も、テレビも見ないので、この重要なことについてまったく知らず、まるで、何かに操られているようでした。ある日、私は、人があまりいない昼頃に学法しようと、『轉法輪』を市場に持っていきました。すると、隣で屋台を広げている人に、「その本はよくないよ」と突然言われました。「違います。これは善良な人になると人に教える本ですよ、見てください」と、彼に本を渡しました。彼は少し本を読みましたが、客が来たので、私に本を返しました。そして、それからは、何も言ってきませんでした。

 父はギャンブル好きで、よく私にお金を借りに来ます。私も時々父にいい顔を見せず、一緒にいたくもありませんでした。ある日、父がテレビを見ながら、何かを冷かしていました。よく聴いてみると、それはテレビが報道している法輪功についての事でした。私はそれを気に留めることなく、きっとそれは、真面目に修煉していない、個人的なことだろうと思っていました。

 しかし、2004年に実家に帰ったとき、「まだ法輪功を修煉しているのか」とクラスメイトに聞かれ、肯定した私に、彼女たちはテレビが何かを報道していたよ、と言ってきました。しかし、それでも頭が回らず、言っていることを理解できませんでした。まさか、邪悪が大法を誹謗中傷し、迫害しているとは思いもしなかったのです。今になって、ようやく理解しました。師父が法を実証するのを邪悪が妨害し、私まで滅ぼそうとしていたのです。本当に危ないところでした。

 慈悲なる師父は私を見捨てずに、夢の中で、私に悟りを開かせてくださいました。夢の中で、私は自宅のベランダに立っていました。突然、竜巻が吹いて、落ち葉もたくさん落ちてきました。どこから落ち葉が来たのかと変に思い、顔をあげてみれば、なんと、空から落ちてきたのです。そして、師父が見えました。私に微笑んでくださっているのです。目が覚めて、この夢は私に初心に戻るようにという意味だと悟りました。

 それから、師父の按排により、私は同修の居場所を見つけることができました。同修は私に真相を伝え、共産党からの脱退や発正念をしなければならないと私に教えてくれました。そして、私は本当の名前で共産党を脱退しました。私は同修の叔母さんの家で真相DVDを見かけました。修煉者たちが天安門に行き、大法のために、師父のために冤罪を訴えていました。ある男性の声はとても大きく、宇宙まで響き渡り、天地を驚かすほどの声でした。同修たちの行動に感動して、思わず涙を流しました。なぜ自分はこれほどまでに常人の中におぼれているのでしょうか。もし、当時の自分が知っていれば、私はきっと天安門に行ったに違いありません。今思い返しても泣き出したくなります。

 同修との協力の中で精進する

 それからいろんなことがあり、私は資料拠点を手伝うことになりました。今までできていなかった分、これからはその倍努力しなければならない、と私は密かに決心しました。

 初めの頃は今までの分を補おうと同修のAさんと協力し、何かあれば、それを先に引き受けていましたので、Aさんも喜んでいました。しかし、時間が経つにつれ、Aさんとの間に軋轢が起こりました。「修煉の機会が来て、仕事をしすぎると、自分の意見ややり方が入り込み、自己中心的になってきましたね。以前のあなたはもっと純粋だったのに」と、Aさんに言われました。当時、それを聞いた私はそんなことはないと思っていました。しかし、何度も同じことを言われたので、もしかすると、本当に自分に問題があるのではないかと思いました。真剣に自分の内を探したところ、まさにAさんの言っている通りでした。同修に注意されたおかげで、ようやく気付くことができたのです。それから、明慧ネットに載っている交流文章の中で、自分を目立たないようにするという文を見て、私は目立ちすぎていたことに気づきました。

 このように、この面での問題がなくなったと思えば、時間が経つとまた同じようなことが起きました。しかも、問題がどんどん激化していき、これ以上協力できない状態に達してしまったのです。よかったことに私たちは問題の核心がわかっています。私たちがパートナーになったのは、お互いに協力し合い、師父が法を実証することを助けるためであると分かっていますので、毎回我慢してきました。そして、冷静になれた時に交流し、これは旧勢力による妨害であると悟りました。しかし、これで終わりませんでした。

 また、口げんかが起きると、お互いの欠点を言い始めるようになったのです。Aさんの欠点をたくさん言ってしまうと、Aさんも負けずに私の欠点を並べ始めました。このように言い争っているうちにお互いの声がどんどん高くなっていき、一歩も引こうとしません。あの時は、私も、Aさんも師父の教えられた通りに自分の内を探すように修煉していませんでした。ずっとこのままでは、自分はこの次元に止まったままではないかと思いました。これではいけません。私は精進しなければならない、と悟りました。私が一生懸命自分の内を探しているのを見たAさんも残されたくないと、問題にあうと、自分の内を探すようになったのです。

 2年ほど前、ある資料拠点の同修のBさんは技術に精通している同修を必要として、我々とよく連絡を取り合っていました。Bさんはとても誠実ですが、何か問題に遭うと、理性的に対処できず、修理道具であちこちを刺します。そして、分からないことがあっても、問題の主旨に合わない意見をあげます。いつも彼に逆らわれて、いい気分がしませんでした。普段は我慢しましたが、帰り道では、思わずAさんにBさんへの愚痴をこぼしていました。もし、Bさんの前で平然としていられるならば、私の次元は向上したに違いありません。それからは、私はこの方面で工夫しました。Bさんを見ると、「Bさんはとても協力的で、他の同修が人手を必要としているとき、何の迷いもなく、文句も言わずにその同修に協力するし、師父と法に対する確信もとても固い」と、思うようにしました。ようやく、私はBさんの逆らいにも笑顔で対応できるようになりました。そして、私の心性が高まるにつれて、Bさんの悪い習慣もなくなってきました。

 我々に何かの執着心があるのは、師父には一目瞭然です。師父はこれらの執着心を一つ一つ我々に認識させ、それを取り除かせてくださいます。少し前、男女の事で話したいことがあると、ある同修の叔母さんと朝に会う約束をしました。叔母さんの口調はとても悪く、弁解する隙も与えませんでしたので、その時の私は自分の心性を守ることができず、口から出た言葉も修煉者らしくありませんでした。そして、叔母さんも負けずに、さらにきつい口調で言ってきたのです。家に帰っても私はまだ怒っていました。心性を守れずに怒り出してしまったため、別空間の邪悪な要素の怨念や闘争心などが大きくなり、夜まで、頭の中にあるのはすべて相手の欠点や、言い返す方法だけでした。

 怒りながら真相紙幣を印刷しましたので、プリンターが故障してしまいました。機械の故障でようやく頭が冴えはじめ、「師父、私が間違っていました。私が怨念や闘争心に飲み込まれてしまったのです」と、心の中で師父に言いました。しかし、間違っていることに気づいてはいましたが、自分の心をコントロールできず、夜6時の発正念の時、怒りすぎたため、胸が痛み出しました。両手を組む時、「師父、この闘争心は私のものではありません。これはいらない執着心です。どうか、取り除いてください」と、心の中で師父にお願いしました。そして、6時の発正念が終わると、心が楽になり、再び朝の出来事を思い出しても、それは遠い昔の事のことのように感じ、なんとも思わなくなりました。師父に感謝いたします。心配をおかけいたしました。

 以上が私の体験です。ここに書き留めて、同修と交流したいと思います。法に基づいていないところがあれば、指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/28/299528.html)
 
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