怒りやすい性格が平静慈悲に
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年7月29日】 私は強情な性格の上に、一人息子であるため、両親に甘やかされて悪くなりました。どんなことでも、自分の思い通りにならなければ、ひどく暴れ、姉たちも私に打たれて泣いたことがありました。母も私を頑なな性格だと言っていました。私は外で常に喧嘩をするので、父は相手の家族に医療費を払っていました。これが修煉する前の私でした。

 しかし、法輪大法を学んだ後、私は人を殴ったり、罵ったりすることは徳を失う事だとわかり、我慢する善の一面を持ちました。他の人が私を罵った時も、何も言いませんでした。自分の徳を守りたかったからです。徳があれば功を伸ばすことができます。仕事をする時、時々地下溝を通らなければならない時がありましたが、地下溝の上には時々人が両足を跨げて立っていましたが、私は気にしないでその下をくぐっていきました。

 1999年に共産党が法輪功への迫害を始めた後、多くの同修が共産党に迫害されたのを見て、私はすごく腹がたち、心の中は耐えられなくなり、凶悪な目つきが戻ってきました。私が北京に陳情に行ったことで、610弁公室の人が私に電話をしてきました。私はその人たちの事務所に行って議論しました。私は話せば話すほど怒りがつのり、声がどんどん大きくなって、しまいには彼らの机をパンパンとたたきました。私を見送る時、彼らは私が良い人だということは分かるが、上役からの圧力で仕方がないと話しました。それから二度と私を探したことがありませんでした。

 同修たちと一緒に協力して法を正す事をしている時でも、私は我慢できなくて、4人を殴ったことがありました。その中には私に打たれて泣いた女性の同修もいました。私に罵られた同修はもっといました。師父は「一部の人はすでにまったく指摘されてはいけないところまできており、少しでも気に障ることを言われると、我慢できず、個人の執着に触れるとすぐに爆発してしまいます。それはすでに相当頑なで大きなものになりました」[1]と説かれました。私は少しでも気に障ると爆発することは良くないと分かりました。はじめのころ私はその様にする事ができずに、常に同修と口論していました。忠告も聞かず直すこともしませんでした。しかし、師父はまた「そのとき、あなたがどのようにこれらのことに対処するのかを私は見ており、相手に口答えをしたら、実は私に口答えをしたことになります」[1]と説かれたことがありました。私は同修に口答えするのは師父に対する不敬だと思いました。これは必ず直さなければなりません!

 私のどこに問題があり、どうしたらそれを直すことができるのでしょうか? 仕方なく内に向かって探して、私は警察を恨む心、闘争心を見つけました。しかも、同修に対する情がありました。見つけましたが、どうやってそれを放下するか分らなかったので、法を多く学ぶことしかできませんでした。師父はこのようにおっしゃったことがありました。「本当に衆生に対して慈悲を持つようになった時、あなたを困らせる情はもうありません」[2]。私は善の心で衆生と接触するようになり、他の人のよいところを多く見るようになり、自分を控えめにするように努力しました。師父は大法弟子が衆生を救っているとおっしゃったことがあります。過去、人を救った神は皆大慈大悲であり、大法弟子ならば自分はもっと大いなる慈悲を修めることができると考え、徐々にそれらの良くない性格を抑えられるようになりました。

 しかし、実行することは難しいのです。他の人が私の悪口を言っているのを聞いて、私はまた耐えられなくなりましたが、すぐ本当の自分ではないと思って、それを抑えることができました。しかし心の中ではそれを放下することができず、ついにそれを抑えることができず、飛び上がってしまった時もありました。ある時、責任者は私が法輪大法の要求に符合していないと言い、あまりにもひどいことを言われただけでなく、噂を至る所に広めました。私は何回か彼女の家に行って彼女を殴ろうとしましたが、この時は自分の心の容量を大きくしようと思い、そのままにしました。しかし、私の心の中で放下できなかったので、彼女と往来することがなくなりました。後になって、コンピュータのシステムに問題があって、彼女たちは対処することができなかったので、他の同修に電話して私に助けてほしいと言いました。私は、女性の同修でも自分の意見を放下することができるなら、私も出来るはずと考え、技術の同修に連絡して、一緒に同修たちのコンピュータを簡単で使いやすい新しい系統にすることができました。

 ある時、同修がCDを作るとき、やり方が分からないため、ウイルスも一緒に入ってしまいました。私は彼と交流しましたが、結局私の話す態度が悪くて、同修が怒ってしまい、ドアを開けて私を自分の家から出そうとしました。帰る時、私は平静に彼に「ごめんなさい、私の慈悲が足りませんでした。あなたのために考えていなかったので、私の過ちです」と言いました。後になって、同修が平静になって、私たちは協力するようになりました。

 大法の本を印刷する同修は年齢が高く、老眼になっているため、印刷されている文字がはっきりしていないことに気づきませんでした。本を装丁する同修の家に行くと、家に入ったばかりなのに、あの同修がいきなり私に「責任を負わない人ばかり探して、あなたに近い人ばかりにやらせるね」と罵りました。私は平静に彼の批評を聞き、怒りたい気持ちを抑えました。その後、私たちは一緒に学法しました。学法した後、私は自分の心を見違えていました。

 同修との交流の中で、情を持つことは免れ難いのです。最近、煉功点で同修が本を読むときに文字を間違えて読んだので、私が同修に正確な読み方を教えると、その同修は「あなた自身も間違えているのに、なぜ私が改める必要があるの?」と私に言い返しました。私は何も言いませんでした。学法した後の交流の時にある同修がその同修は私に対する依頼と情があると言いました。私は自分の場が不正であることに気づき、人の情は捨てるべきだとわかりました。そうでなければ同修に、自分に、全体に対して良くないので、私は心の中から同修たちが私の欠点を指摘したことに感謝しています。

 再度私に傷つけられた同修たちに心から謝ります。申し訳ございませんでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/25/311309.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/7/22/151662.html)
 
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