明慧法会|落後した弟を呼び起こす
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文/中国の大法弟子

 【明慧ネット2014年1月7日】『二十年説法』を読んだ後、私の心境はとても複雑になり、いっそう弟のことを心配しました。彼は辺鄙な山地に住んでいて、周囲に大法弟子がいないため、ずっと独修の状態にあって、最近の経文と『明慧週刊』を読む機会がありません。彼と何度も電話で話した中で、彼は一部の法理に対してまだ理解しておらず、または文句を抱えていることを感じ取りました。『北米巡回説法』で師父がおっしゃった「もちろんまだ十年があるということはあり得ませんが」について、弟は「今は十年も過ぎたので、何故迫害が終わっていないのか」と言って、とても納得できないようです。要するに、弟は迫害が終わる時間、修煉が終わる時間を執着していました。

 弟に早く法を正す進展についてきてもらうため、私は何度も弟を我が家に誘いました。しかし彼は、去年の冬にはどうしても家を離れられない用事があると言い、春はとても忙しいと言い、夏にはまた暑いと言いました。私も何回も弟の家に行きたかったのですが、いつも何かの用事に付き纏われて行けませんでした。それから、私に再三催促されて彼はやっと来ることを承諾しましたが、条件を付けました。つまり私は駅に行って、彼が下車した後に私たちは駅で少し会い、私から最近の新経文をもらったら、彼はすぐそのまま帰るとの条件です。なんとでたらめな考えでしょう。彼の家は我が家から3000~4000キロも離れているのです! その旅費は安い金額でもないし、互いの家庭は裕福でもないし、これは戯れことですか?! そうであれば来なくて良いと私は言って、その話はそのように中止しました。

 大法弟子はどんな事に遭っても偶然ではありません。どうして私はこんな意外なことに遭ったのでしょう。内に向けて探したら、肉親に対する情が見つかりました。弟にだけでなく、母に対する情もあります。

 母が在世中の時、私は充分に親孝行をしていなくて、母が亡くなった後は補うこともできないため、悔しくて堪りませんでした。しかし修煉してから、『法輪大法義解・長春法輪大法輔導員のための説法』の下記の段落、「つまり貴方が佛に成就できれば、貴方の父母も大きな徳を積むことになります。しかし三界を出た者はあまりいません。彼はただ徳を積んだことになり、いい事をしただけです。貴方のような息子がおり、貴方のような娘がいるから、彼も徳を積んだのです。このような要素が存在しています。しかし父母もこれによって佛になれるということは、それはいけません。それは修めなければなりません。彼はただ異なる次元の天人として福を受けるだけです」を読んでから、もしも私と弟がよく修煉したら、母に対しても恩返しできると考えました。それは私の心の底に深く隠れている執着で、私が自ら言わないと、表面からは誰も発見できません。しかし修煉はとても厳粛なことで、どんな執着心でも修煉の道に横たわる壁になりますが、ましてこれはとても重大なことで、修煉の出発点の問題です! そのために、肉親に対する情を除去すると私は決意して、もう弟の修煉状態に執着せず、弟に来るようにと誘ったりもしませんでした。修煉者はみな師父に加護されているので、すべては師父にお任せしましょう。

 私は執着を放下しましたが、しばらくして、弟はある日突然我が家にやって来ました。師父が自分を来させたと言っています。どういうことでしょうか? 数日前、彼は突然何の理由もなしに、とても我が家に行きたいと思いました。更に奇怪なのは、駅で切符はもう売り切れて、数日後の切符も売り切れていました。たとえ立ち席でも、3000~4000キロを立ったままでも、弟は我が家に行きたがりますが、立ち席券も売り切れたと窓口に教えられました。そうすると、列車に乗ることさえできなくて、どうすれば良いかが分からない時に、窓口の人は突然「あれ、どうしてここに明日の切符が一枚あるのか、しかも普通車両の指定席だ」と言いました。乗車したらその席は窓側の席で、最も理想的な切符でした。もともと金を節約するために寝台車ではなく、普通車両の指定席を買う予定だったのです。それは本当に不思議なことで、だから弟は「師父が自分を来させた」と言うのです。

 来てから弟はまた「一晩だけ泊まって、翌日の切符を買って帰る」と騒いで、彼の考えがやはり何かに遮られていると私は感じました。それで、私は自分を探して、とても焦る心を発見しました。いらいらして彼に何を話せば良いかも頭に浮かびませんでした。彼にすぐにでも法を正す進展についてほしいです。私は焦れば焦るほど、彼はかえって抵抗します。娘(同修)は弟と交流している時、私は自分の空間場にある良くないものを取り除きました。そして弟に向かって、彼を妨害しているすべての邪悪を消滅するようにと発正念しました。

 少し経ってから、弟はやはり自分の考えに固執して、「師父は十年もないと言ったのだが、十年経った今、終わるべきだがまだ終っていない」と言いました。私が「あなたの修煉はちゃんとできたのか」と聞くと、弟は「いいえ」と答えました。私は続けて「できていないのなら、どうして終わることをこんなに望むのか? 本当に終わったらあなたはどうするか」と言いました。弟は「私の次元がどこかに達していれば、そこに帰ったら良いよ。自分の修煉がちゃんとできていないせいなので、不満はない。これからも大法を修煉する人がいると師父は言ったじゃないか? その時に、私は彼らと一緒に修煉すれば良い」と答えました。

 それを聞いて、やはり弟は最近の新経文と同修たちの交流文章を読むことができないせいで、こんな法理に符合しない発言ができたと私は分かりました。私は「今、師父は法理をはっきりと我々に伝えて、質問も解答してくださって、悟らない人にご啓示もしてくださいました。このようにしてもあなたはまだ修煉できないのに、将来は本当に修煉できるのですか? 師父は次の段階に入りたいのですが、ちゃんと修めていない弟子に機会をあげるために、時間を先延ばしているのです。今の延長された時間は師父の血と引き換えられたと天目の開いた人は見えました。師父が私たちのために耐えた苦難はあまりにも多すぎます。私がどう思っているかを知っていますか? 私は延長された時間にとても感謝して、とても大切にしています。以前ちゃんと修めていなかった部分を、今後の限られた時間に補いたいと思っています。もし今すぐ終わったら、ちゃんと修煉していない大法弟子にとって、あまりにも恐ろしい」と言いました。

 娘も「2009年にある同修は、師父の新経文を読んで、師父が修煉の終わる時間を先延ばされたと分かった時、感動と感慨で声も震えました。電話をかけてきた時に、私たちにはまだ時間があるのだ、まだ時間があるのだと言いました。師父が時間を先延ばしてくださったおかげで、私を含む、一部のちゃんと修煉をしていない大法弟子に、また機会を下さったのです」と話しました。

 交流を通じて、弟の状態は少し好転しましたが、心の中のしこりはやはり完全に解かれたわけではありませんでした。彼は「どのみち生涯でこの家に来るのは今回だけなので、急いで帰る必要がない」と言いました。弟の心の中のしこりを解くことができるのは大法しかないと私は十分に知っているので、「よく新経文を読んでください」と最近の新経文を全部弟に渡しました。

 我が家にいた数日、弟は毎日もあまり寝ず、あまりご飯を食べずに、世間話もあまり話さず、箸を下ろしたらすぐ学法しました。大量に学法して、弟は修煉が終わっていない原因が分かり、師父が耐えた苦難と師父の慈悲、我々に対する期待を少し体得しました。彼を包み、彼の精進を妨げている殻が一部だけ剥がれたようなので、弟は目が覚めて、大法弟子のするべき「三つのこと」を思い付きました。彼は私に「あなたたちはまだ発正念しているのか」と聞きました。私は「しているよ。4つの世界統一の時間帯以外、時間があればまた多くしますよ」と答えました。彼はとても後悔して、「私はもう半年も発正念をしていません。原因は、発正念をするとすぐに妨害が入るので、もしかしてそれは発正念を止めるべきという啓示かなと思った」と言いました。弟よ、どんなものがどんな目的であなたに「発正念を止めるべき」との啓示を出すのか、考えたことがありますか? 私も師父が私たちに残した学法チームという方法の偉大さを改めて理解できました。弟がもし学法チームに入って同修たちと交流したなら、どのようにしてもそのような「悟り」をしないでしょう! 「帰ったら早く地元の学法チームを探そう」と私は弟に言いました。

 弟は「ここに来たのは遅すぎた、遅すぎた。もっと早く来れば・・・」と独り言を言いました。その極度に悔しく苦痛な表情は、本当に悲しくて可哀相でした。師父は『各地での説法三・大ニューヨーク地区法会での説法』で「本当に圓満成就の日になると、皆さんに教えますが、大法弟子は本当に白日飛昇していくのです。全世界はそれを見ることができます。(拍手) 圓満成就できない人は泣き崩れるしかありません! 修煉が良くできていない人はもう泣いても仕方ないと私は思います」とおっしゃいました。弟の泣くどころか、気が動転して、まったく生きていく勇気も失ったような表情を見て、私はすぐに彼を慰めて、『二十年説法』を開いて、「もちろん、修煉はまだ終わっておらず、引き続き大法弟子として行うべきことを行い、今後のことをしっかり行い、あなたにとってまだたくさんの機会と時間があります」の部分を読み上げました。

 弟は真面目に聞いて、顔に少し笑顔が現れました。今回師父か彼を来させて目を覚させ、再度彼を救ったので、弟はとても師父に感謝しています。以前に考えたことや話したことは、本当にとても師父に申し訳なく、今後は決してそのように考えたりせず、今回帰ったら経文を全部読んで、なるべく早く追いつくように頑張りたいと言いました。

 弟が徹底的にわかり、本当に大法の中に戻ったのを見て、私は嬉しいのですが、なぜかとても泣きたくなりました。ここまで書いて、涙は堪えず湧いてきました。慈悲で偉大な師父に感謝し、浩蕩とした佛恩に感謝します!

 ((明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/11/10/282144.html)
 
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