直接同修を褒めることは必ずしも良いことではない
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文/湖南省の大法弟子

 【明慧日本2014年1月5日】長期にわたり、多くの同修に該当する、とても大きな問題が存在しています。それは、他の同修に会い、会話をする際に、同修達が大法の中で更に精進できるように励ますのではなく、無意識のうちに同修がいかに良く修めており、いかに素晴らしいかを褒め、甚だしきに至っては同修の間で、ある同修をおだてあげるようなことさえしています! 同修に対する行き過ぎた崇拝により、当の本人が師と法を信じ、法を師とすることができないだけでなく、他の多くの同修の執着心まで誘い、大法弟子が一体となって法を実証する上で、非常によくない負の作用をしています。

 師父は私達に「法を師とする」よう戒められました。私達は同修を褒める時、人心を持っていて、法に沿っておらず、同修の一つか、二つの面の良さだけを見て、他の方面での彼の状況が見えていません。しかも私達が思う彼の良い部分は必ずしも師父が彼に要求されている基準、及び新宇宙の要求に達しているとは限りません。何故なら、法を正す時期の大法弟子は責任が非常に大きく、成就する果位も高く、それぞれの由来する次元が違い、一部の同修は更に高く、更にはるかに遠い天体から来ており、彼が担う使命も更に大きく、法が彼に要求している基準も更に高いのです。彼が到達したところの状況はもしかすると、大法の要求にはまだまだはるかに遠いかもしれません。しかし、あなたは彼が良くできていると褒め、しかも人心を持ってそう言うと、彼の空間場に良くない物質を投げ捨てているに等しく、彼にどれほど大きな障害をもたらすのでしょうか? 知らないうちに、あなたも負の作用を働くことになるでしょう? ある同修は本来もっと良くできて、もっと大きな能力を発揮できるはずですが、彼を称賛する人が多くなれば、知らないうちに彼自身も自分が十分できていると思い、自ら自分のもっと大きな力を閉鎖してしまうのです。これは非常に惜しむべきことで、もし一地区の多くの同修がそう思い、そう言い伝えれば、他の空間では大きな良くない物質の場が形成されてしまいます。大法弟子の考えや念にはエネルギーがあり、その物質の場は大法弟子全体が法を実証する際や修煉する時に妨害をして、大法にも大きな損失をもたらしてしまいます。

 これまでに、一部の大法弟子は邪悪の迫害を受け、早くこの世を去ったり、最初良くできていたものの、その後誤った道を歩んだり、また一部の大法弟子はあまりにも酷い迫害を受けていますが、彼らがそうなった背景には、修煉中の彼ら自身の問題以外に、多くの大法弟子が法を学ばずに人に学び、全体において形成された不正な要素に影響を受けていることが原因だったかもしれません。このような例は多く、教訓も深刻です。私自身も多くの同修に行き過ぎたお世辞を言われ、絶体絶命に陥り、最終的には師父が大きく耐えてこの一切を解消してくださいました。もたらされた損失も大きかったのです。

 同修達よ、皆さん知っていますか? 私達が同修を称賛したり、過度に同修のことを崇拝したりすることは最も神々に軽蔑されることです。神々が思うには、同修を高く評価し、大法を二の次にするのは師や法を敬っていないことです。私達には自分で自分を称賛する理由がなく、良くできているか否かは神々に評価されるもので、同修が良くできているか否かは師父が最もはっきりと見ていらっしゃいます。大法弟子にはその本質が見えておらず、私達が思う良さも他の同修と比べた時、以前の自分と比べた時であって、法の基準に照らし合わせていません。師父は私達をこう戒められました。

 「神:彼らの中には、彼ら自身が良いと思う法の一面を求めに来た人がいますが、かえって彼ら自身は、法のすべてを認識できなくしている他の一面を放下できずにいます。

 師:そうした人は古くからの弟子の中にもいます。しかも、最もよく見られることは、彼らはいつも人間と比べ、彼ら自身の過去と比べていますが、各次元での法の要求に基づいて自らを量ることができていないのです。

 神:これらの問題はすでに非常に深刻になっていますが、彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います。

 師:彼らをしっかりと目覚めさせなければならないときが来たので、彼らの環境を真に修煉できる環境に変え、真の神になるようにしてあげなければならないのです。」(『精進要旨』「時間との対話」)

 もちろん、同修の良くできている部分に対しては、適切に認め、励ましてもいいのですが、必ず純粋な心で言うべきで、こう言うのは良いと思います。「今回あなたがこのようなことができたのは本当に不思議で、この法が本当に洪大で、師父は本当に偉大です」。また、こう言っても良いと思います。「ここ数年、あなたが良くできたのは、全てが師父の加持や加護によるもので、これからは更に精進し、もっと良くできるように、真に私達の誓いを果たせるように頑張りましょう・・・!」

 同修が称賛やお世辞を聞いた時、心が動じず、いつでも法に沿って物事を考える心構えで、同修の正しくない発言をただちに訂正し、これらの良くない物質が自分の空間場で形成されるのを防ぎ、自分の修煉や法を実証することに影響されないようにすべきです。実際、同修間ではお互いに褒めることはなく、お互いに励まし合い、お互いの不足を探し、検討するよう促すべきです。こうすれば、全体の場が純正になり、法を実証することや衆生を救い済度することに有益です。まさに師父が教えられたように、「大法弟子の中で更に強い正念を形成することこそ最も偉大なことです。それぞれ自分自身から始まり、私たちのこの環境を本当にとても正しいものにすることができれば、全ての正しくない要素が解体してしまい、全ての正しく行わなかった学習者は自分の足りないところに気づき、それによって、彼らが正しく行うように促すことができます」(『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」) この簡単な一言には、師父の数えきれない苦心と期待が込められています!!

 同修達よ、師父にこれ以上の心労をおかけしないように、私達は真に師と法を敬い、常に法を師とし、大法の中で絶えず精進し、真に師父が求められていることに圓容するよう、頑張りましょう!

 以上は個人の現段階での所見ですが、足りない部分があれば同修の皆さんのご指摘と圓容をお願いします!

 師父、感謝いたします。合掌。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/12/31/284862.html)
 
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