執着を見つけ、病苦を克服する
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文/中国の大法弟子 譚彩

 【明慧日本2024年7月22日】80代の私は、今年3月5日に故郷から姉が亡くなったという知らせを受けました。葬儀に参加するために、私は帰ることにしましたが、家族は強く反対しました。師父は家族の口を借りてご教示くださいましたが、私は姉への情に執着しすぎて、家族の話に耳を傾けることができませんでした。家族の反対にもかかわらず、私は行くことを主張しました。

 到着後、ひどい貧血を起こしたので、家族が救急車を呼んで病院に連れて行ってくれました。その後の3日間、私は3カ所の異なる病院に運ばれ、数万元かかりました。輸血をする前に、医師は外部の薬局で5万元(約108万円)かけて薬を購入する必要がある治療を処方しました。これは感情への執着によって引き起こされた警鐘だと気づきました。

 私は翌日退院を要求しました。医師は「譚さん、あなたは退院できませんよ。退院してもすぐに病院に戻ってきてください。一般の人のヘモグロビンの正常値は110~330ですが、あなたは20しかありません。命が危険です!」と言いました。私は「師父が私を守ってくださっています」と答えました。

 退院後、私の体は腫れ上がり、立つのも困難でした。親戚がお見舞いに来てくれて、足がひどく腫れているのを見て、私の夫に「奥さんの足が腫れているのはよくない兆候です。彼女はもう長くありません。お葬式の準備をしたほうがいいと思います」と言いました。80歳を超えた夫は、私を抱きしめて「私たちは結婚して60年以上になります…」と言って泣きました。私は本当に悲しい別れのように感じました。家族は私の葬式の準備を始めました。

 私は「大法修煉者なので、師父と法を信じなければならない」と思いました。私は法を集中的に学び、毎日100ページ以上の『轉法輪』を読み、テーブルに寄りかかって煉功しました。師父が私を助け、世話をしてくださっていると分かっていました。私は「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい!」。(心からの九文字)を唱え続けると、足の腫れはひき、立つこともできました。

 どんな状況下であっても、私は集団法の勉強に参加し、正念を発しました。私にとって、集団学習は何よりも重要です。私は自分の内面を見つめ、執着心を見つけるために深く掘り下げました。葬儀のために故郷に戻ったのは、名声と利益への執着、見せびらかし、嫉妬、競争心、虚栄心、優越感によるものだと気づきました。また、私は口を修めていない、すぐに怒る癖があることもわかりました。

 師父は私たちにこう説かれました。「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」(『精進要旨』「佛性に漏なし」)

 私は無私無我を達成し、自分よりも他人を優先にする必要があります。以前、他の同修に気を配っていましたが、それはすべて見せびらかすためでした。突然目が覚め、師父の期待に応えられなかったことに気づきました。

 師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」とおっしゃいました。(『轉法輪』「第一講」)

 修煉における試練と苦難は、実は師父と法に対する私の信仰と確固たる信念を反映しています。この試練は強烈で、他の同修が私に正念を発するのを手伝ってくれました。師父が何度も私を死から救い、新しい命を与えてくださったことに、心から感謝しています。師父は私に多くのものを与えてくださいました。その計り知れない恩恵は言葉では言い表せません。

 今はすべてが正常に戻りました。私はまだ師父の要求を満たし、真相を伝え、三つのことを実践するという点において、真の大法弟子になるには程遠いと認識しています。今後はもっと精進し、師父の救いに応え、師父と共に真の家に帰りたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/6/2/478143.html)
 
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