文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年10月19日】私は今までずっと、法を学ぶときに頭がはっきりせず、精神的にも集中できず、眠くなることがありました。 私も必死で抑えようとしましたが、効果はありませんでした。 この法を学ぶ上での重大な障害を打破するために、私は法を暗記するという形をとりました。 しばらく暗記しても、この間違った状態を根本的に変えることはできませんでした。 私はとても悩んでいました。
そして、私は法を書き写すという方法を行いました。『轉法輪』を3回書き写すのに半年以上かかりました。しかし、私はよく法を書き写すのを間違えたり、時々心が迷うことがありました。時々、夜、法を書き写すことで眠くなったとき、私のペンは知らないうちに紙に走り書きしていました。 しかし、法を書き写せば写すほど、書き写すことが好きになり、かつてのような失敗は少なくなっていきました。
4回目に法を書き写し始めた時に、法を読みたいという気持ちが出てきました。
師父はこう説かれました。
「しっかりと修める人は求めることに執着することなく自然と得ており、一切の功、一切の法はすべて本の中にあり、大法を通読すれば、おのずと得るのです。学ぶ人は自然と変化して、繰り返し通読すれば、すでに道の中にいます」 [1]
そこで、私は法を徹底的に読むようになりました。 当時は夫も家にいて、毎日夕食を作ってくれていたので、法を学ぶ時間はたっぷりありました。 眠たい、休みたい、もう勉強したくないとかの様々な妨害があったとき、師父に加持してもらい、法を読むことについての考えをしっかりと持てるようにしてもらいました。 師父は弟子たちに「法をしっかり勉強し、法を多く勉強し、法をいつも勉強し……」(インド第一回法会へ))と説かれたので、私ももっと法を勉強しなければなりません。
私は法を学べば学ぶほど好きになりました。 食べなくてもお腹が空かない、足が痛くても下ろしません。 その間ずっと、座禅しながら法を学び、声を出して読んでいました。 このようにして、次から次へと法を読みました。 時には夜通しで法を学び、功を煉ることもありましたが、全く眠くならず、さらに元気になりました。
ある日、仕事から戻ると、家の中をきれいにして、両皿を持って師父の写真の前に座り、法を学び始めました。 第二講から勉強を始めて、第三講の「師は学習者に何を与えたのか」にたどり着いて読んでいると、急に頭の左側から何か悪いものが押し出されているかのような感覚に襲われました。師父への深い感謝の気持ちを抑えきれず、ひどく泣いて声さえ出なくなりました。
しばらくして、こんな風に泣き続けることはできない、落ち着いて法の勉強を続けなければならないと気づき、泣くのを抑えて読んでいると、徐々に感情が正常に戻ってきました。
それ以来、私が法を学んでいるとき、外の子供たちの騒がしさはもう私を邪魔することはできませんでした。私はまるで別の世界にいるようで、騒音は全く聞こえませんでした。 私は純粋な気持ちで、雑念のない状態でいられますし、それは素晴らしいことです。
第六講を学んでいたある日、急に背中に激痛が走り、姿勢を変えても痛みが取れませんでした。 師父は「苦を嘗めるをもって楽とす」 [2]と説かれました。これはいいことだと思い、私は学び続けました。法を学ぶことに夢中になっていたので、いつ腰が痛くなくなったのがわかりませんでした。
やるべきことをやり終えた後、夜1時になってから第五式の功法を煉り始めました。 そこに座った瞬間、空間全体には煉功の音楽以外何もないと感じました。 虚無感に襲われた私は、師父が私の強力な思想業を取り除いてくださったことに気付きました。私は、修煉における自分の欠点を補い、師父の法を正す進展に追いつき、誓いを果たす機会を得たのです。
師父、ありがとうございます!
私がこの経験を書いているのは、まだ法を学ぶことへの抵抗を克服していない同修と共有するためです。 落ち込むことなく、正しい考えをしっかりと持っていれば、必ずこの壁を突破することができます。それは私たちに能力があるからではなく、私たちが大法弟子であるからであり「修は己にありて、功は師にあり」 [3]、偉大で慈悲深い師父がおられるからなのです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「師を拝む」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
[3] 李洪志师父著作:『轉法輪』