文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年3月6日】歯の治療のために、私は息子の家に数日間滞在しました。歯を抜いたため、私は軟らかい食べ物しか食べられませんでした。その日、息子の妻が彼女の母親と妹を食事に招待することになり、私は彼女たち義理の親戚のためにお菓子を用意しました。息子夫婦は一緒に台所に立ち、豪華な料理をいくつも用意しました。
みんなが食卓を囲んで座ったとき、私は自分が食べられる軟らかい料理がないことに気づきました。その瞬間、心の中で不満の念が湧きかけましたが、すぐに気づき修めました。息子の妻は少し気まずそうに、「お母さんが食べられる料理がないですね」と言いました。私は優しく「大丈夫、何でも食べられるよ」と答えました。すると息子の妻が、「コーラチキンの中にジャガイモがいくつか入っていますよ」と言いました。私は「いいわね」と言いました。
すると突然、息子が訳も分からず激怒し、コーラチキンを「ドン!」と力をこめて私の前に叩きつけ、怒りながら「ジャガイモを食べろ!」と言いました。
義理の親戚が見ている中で、私はとても恥ずかしい思いをしました。私は小さな声で「座って、私のことは放っておいて」と息子に言いました。しかし、息子はまるで狂ったように私を指さして大声で「黙れ!」と怒鳴りつけました。息子の妻が「お母さんにちゃんと普通に話して。鶏肉を切ってお母さんが食べられるようにして」と言いました。息子は皿から鶏肉を取り、怒ったように台所へ行きました。
孫が涙ぐみながら父親(私の息子)に向かって「おばあちゃんに、ちゃんとした話し方をすればいいのに」と言いました。孫が私のために声を上げてくれたのを見て、私は少し気持ちが楽になり、「子どもまで泣かせてしまった」と冗談めかして言いました。息子は不機嫌そうに茶碗半分ほどの鶏肉を切り、「ドン!」とまた私の前に叩きつけるように置いて、「食べろ! ご飯に混ぜて食べろ!」と冷たく言いました。
胸が塞がる思いで、私は立ち上がって洗面所に行き、乱れた気持ちを落ち着かせました。その時、義理の親戚が「お姉さん、早くご飯を食べに来て」と私を呼びました。私は静かな声で「今行きます」と答えました。
息子は、彼が刻んでくれた鶏肉のそぼろを私が食べていないのを見て、「その肉をお椀に入れてご飯に混ぜて食べろ!」と私に怒鳴りました。
しかし、私は息子の態度に強い嫌悪感を覚え、彼が怒りながら刻んだ肉そぼろを食べたいとは全く思いませんでした。それどころか、衝動的に「母親を人前で侮辱するなんて、平手打ちを食らわせたい!」という気持ちすら湧き上がりました。
しかし、理性が私に告げました。「この気持ちを放下して乗り越えなければならない。私は今日、修煉者の基準に達しなければならない。この『胯下の辱め(韓信の股くぐり)』を耐え、大きな善と忍を実践し、お客様達に美味しく食事をしてもらおう」と考えました。
私は「ご飯を食べ終わってから、それ(肉そぼろ)を食べるわ」と返事しました。その瞬間、私の中のすべての執着心と悪念が一気に消え去りました。
昼食が終わった後、私は心身ともにすっきりとした気分になりました。立ち上がって口をすすぎ、また席に戻って皆が食事を終えるのを待ちました。その後、私は立ち上がり食器を片付けようとしました。これまでは、彼らが台所を使った後はいつも私が皿を洗うのが習慣だったからです。
ところが、息子が突然立ち上がり、先程とはまるで別人のような態度で、私の手から箸を取り上げて、「お母さん、僕が片付けるから、お母さんはお義母さんと話しをしていて」と優しく言い、まるで芝居を終えた俳優のように、打って変わって別人のようになったのです。
客人が帰り、息子たちは自分の部屋に戻って昼寝をしました。この時、「息子をどう教育するか」という考えが頭に浮かびました。
しかし、私はその考えを消し、さらに繰り返し心の内を清めました。なぜなら、私の主意識が、先程のことは私の心の容量を広げるために師父が按排してくださったことだと理解していたからです。
私にとって、先程の出来事はすべて良いことでした。息子は私の業力を代わりに背負い、私の業を消してくれているのです。私は心から息子に感謝しました。
今回の師父による試験を、私は合格できましたが、満点ではありませんでした。なぜなら、最初から平然として心を動かさず、笑顔で気にせず、「ありがとう」と感謝する境地には達していなかったからです。
息子が昼寝から目覚め、私の部屋にやってきて座り、笑顔で「お母さん、夕飯は何が食べたい?」と尋ねました。その時、私の心の中にほんの少し怒りの炎が燃え上がったのを感じましたが、それを爆発させることはしませんでした。
翌日、こんどは義理の親戚が私たちを自宅に招いてくれ、美味しい料理をたくさん用意してくれました。義理の親戚は私に「お姉さん、これは全部あなたが食べられるものですよ」と言いました。さらに、義理の親戚の家の次女は、私のためにわざわざトウモロコシ粥も買ってきてくれていたのです。
食事中、息子は私の正面に座り、何度も心配そうに「お母さん、お粥は硬くない?」と尋ねました。不安だったのか、自分で味見までしてみました。また、食事中、何度も私におかずを取ってくれました。私は、これは師父が私を励ましてくださっているのだと悟りました。
もう一つの体験を皆さんと共有したいと思います。
ある時、私は同修の家にいました。彼女は言葉が止まらない感じの勢いで、大声で私を叱りつけていました。まるで人身攻撃や侮辱をされているような状況でした。その時、私は本当にドアを叩きつけて立ち去りたいと思いました。しかし、彼女が長年私に尽くしてくれた恩を考えると、立ち去ることはできませんでした。恩を仇で返すわけにはいきません。もし私がそのような行動を取れば、彼女はきっと悲しむでしょう。
同修に叱られている間、私は一言も口を挟まず、ただ彼女が私を責め続けるのを聞いていましたが、ついに涙が溢れ出しました。彼女はやっと静かになった後、すぐに私に謝罪しました。そして心から、私に泊まっていくよう勧めてくれました。
私たち2人が発正念をしていた時、師父が私に次のような場面を見せてくださいました。私は全身黒い服を着て、火葬場の方向から家へ向かって歩いて帰っているところでした。(その当時、私は誤って悟ったせいで遠回りをしており、ようやく大法の中に戻ってきたところでした)
私は悟りました。それは慈悲深い師父が山のような私の罪業を代わりに背負い、何度も何度も私を救い、修煉の道に戻してくださったのだということをです。このような方法で私の罪業を消し去り、同修に一部を分けて私を助けさせて下さり、一部は私自身が忍ぶことによって消していくよう按排してくださいました。
私は師父に対して計り知れないほどの多くの恩義を感じました。心から師父に感謝し、同修にも感謝しました。すると、心の中の不満や悔しさが一掃され、喜びが湧き上がってきました。
翌朝、第二式の功法の抱輪をしていた時、師父がまた次のような場面を見せてくださいました。それは広く明るく、清潔で美しい幼稚園の中に、数え切れないほどの小さな男の子、女の子がいる光景でした。
私はまだ大きな善の心と大きな忍の心をもつ境地に達していないのに、こんなにも多くの新しい生命を授かったことに驚きました。
大法弟子の一つの思い、一つの念、一つの言葉、一つの行いが、本当に衆生の生死を決定しているのだと分かりました。その一思一念と、無数の大穹や天体、無数の衆生の命運とが対応関係にあるのだと悟りました!
慈悲深い師父に感謝します!