師父からは「悪人を憐れむように」と言われました
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年7月7日】以前は、大法弟子を迫害し、自分や家族に迷惑や苦痛をもたらしていた中国共産党の人たちを憎んでいました。私を迫害する人たちが憎いです。時間が経つにつれ、彼らに嫌気が差してしまうこともありました。私は、彼らに大法の真実を理解してもらい、救われるべきだと分かっていましたが、心の中では彼らを普通の人と同じようには扱えませんでした。具体的には、大法弟子の迫害に関わっている真相を知らない警官や常人の話になると、何とも言えない嫌悪感と恐怖感がありました。

 ある日、私は学法をして、師父の『導航』「北米五大湖地区法会での説法」を勉強しました。師父の法でわかったことは「大法弟子の迫害に関わった者として言えば、彼らは自分が何をしているのかよくわかっていなかったのです。彼らがしたことは、旧勢力が早くに仕組んだことなので、救われるためには大法を積極的に正面から認識しなければならないし、それは真に救われるためです。これには私たちが真実をはっきりと語って行く必要があります。さらに重要なことは、彼らを救うために、私たちはより大きな優しさ、思いやり、許し、心の平和を修めなければならないということです」

 彼らは大法や大法弟子の迫害に関わってはいるものの、そもそも私たちと同じように天上の神々だったことを私は理解しました。ただ、彼らは旧勢力の取り決めの下で、大法に参加するために負の役割を果たすことを選んだというだけです。旧勢力の管理下で、彼らはまた、自らが円満しなければならないと考えています。この観点からすると、彼らは大法弟子が円満するために、いわゆる「試練」をあえて与えることで、自分の命の未来への希望をこの正法に託していることになります。

 師父が法を正される前は、正法の過程で生命が救済される基準が何であるかを誰も知りませんでした。人間は魅惑な世界にいて、彼らの本性には明白な側面があります。言い換えれば、私たちが最初に天上にいたとき、今この時に私たちを迫害する「悪人」や「邪悪な警官」と知り合いだったのかもしれません。想像してみましょう、当初人間の世界に下る前に、だれが大法弟子になり、だれが悪人になるのかをみんなで話し合っていたのかもしれません。師父の按排で私たちは大法弟子になりました。

 そして、私たちは次のように言いました。「もし私たちが精進せず、うまく修煉していなかったら、あなた方(世に下る悪人や悪徳警官になることを決めた神々)が私たちを「注意」しに来なければなりません」。それが人間の世界に現れている、さまざまな形の嫌がらせや迫害です。彼らのキャラクターだけが悪役であり、凶悪な警官であります。来世の神が人間界で輪廻転生するなか、人との恩怨の中で、大法弟子との因縁関係を築き(ただし、地獄の餓鬼の生まれ変わりのような悪人や悪徳警官は別です)、正法が始まってからは、悪人や邪悪な警官として登場しています。彼らは完全に武装し、警棒や実弾が詰め込まれた銃まで持って私たちの前に現れるとき、彼らは私たちと同じように人間の皮を被った存在です。そして、この人間の皮は、それぞれ被った仮面のようです。そして、この人間の皮という仮面の下にある、そもそも神でもあった、いや、もしかして私たちが知っている、身近な存在(神)であるかもしれません。

 人間の世界では、私たちは彼らに人々と同じように接しています。その結果、例え恐怖、恐れ、怒り、憎しみなどの感情が生まれます。これこそが、私たちが修め、取り除くすべきことなのです。そして、旧勢力は、それらの悪人と邪悪な警官の到来は、私たちにこれらの執着心を見せつけるためだけのものであると考えているのではないでしょうか?

 実際には、大法と照らして、いかなる人心をも取り除き、救われる命を救うべきです。旧勢力が仕組んだことを最大限に否定すること。すなわち、大法修煉で培った善良さ、寛容さ、平和を利用して、仕立て上げられた悪人、我々の迫害に参加するように仕向けられた人々を融かしてあげること。つまり、旧勢力が仕組んだ、いわゆる試練の下で修煉する必要はないのです。私たちは大法に基づき、自分の考えや心に厳しく、旧勢力が仕組んだいわゆる「試練」が機能しないようにします。そして、迫害に関わっている悪人や邪悪な警官もまた、私たちが救うべき存在なのです。そもそも正法中に輪廻転生した邪悪な警官に、望みをかけていた神々が、私たちの修煉が足りないことによって、救われる機会を失ってはならないのです。彼らは本当に世に下ることで私たちと約束を交わした神々だったのかもしれません。

 そんなことを考えたら、私は笑って彼らに憐れみを感じ、一瞬にして警戒心が大きく崩れました。大法弟子を迫害した人たちは必ず償わなければならないのです。救われる私たちが、彼らに真実を伝え、最大の慈悲をもって彼らを救うために最善を尽くす必要があります。私たちは正法時期の大法弟子であり、大法に照らして自分を修め、師父が人を救われることを手助けするためにここにいるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/29/427496.html)
 
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