文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月17日】私は1996年に大法の修煉を始めました。そして、同修が法を暗記しているのを見て、私もこの素晴らしい法を暗記しなければならないと感じ、深い敬意を抱きながら暗記を始めました。しかし、『本当に高い次元へ人を導く』(『轉法輪』)というタイトルの7ページだけを暗記したところで、進みが遅いと感じ、暗記をやめて法を読むことに戻りました。こうして最初の暗記の試みは中断されました。
1999年の「7・20」以降、私は6回ほど法を暗記しようとしましたが、10ページ暗記しては止まり、20ページ暗記しては止まり、最も多い時でも30ページ以上暗記したところでまた止まってしまい、最終的に法全体を暗記することができませんでした。
2021年、私は73歳になり、今度こそ法を全て暗記することを決心しました。というのも、2018年と2019年に私は一文字ずつ丁寧に『轉法輪』を2回書写し、その過程で私の心性が大きく向上したのを感じたからです。それ以前、私は非常にせっかちな性格でしたが、法を書写しているうちに無意識のうちにそのせっかちな心が取り除かれました。私は法を暗記することで、さらに大きな向上が得られるだろうと考えました。
こうして、2021年に本格的に法の暗記を始めました。今回は、進みが遅く、時間がかかるという困難に直面しましたが、諦めませんでした。過去に何度か暗記しようとして放棄してきたのは、進みが遅いと感じたからでした。その頃は私もまだ若く、今より暗記のスピードが速かったのに、その貴重な時間を大切にしなかったことが悔やまれます。現在の困難は自分で引き起こしたものであり、それを自分で受け止めなければなりません。もう逃げることはできず、ただ歯を食いしばって法を暗記するしかありません。
今回の暗記では、真相を伝えて人を救う時間以外はすべて法の暗記に費やしました。一文一文、法の意味を理解し、それに基づいて通読し、速読し、少しの間違いもなくなるまで読み込みました。そして、その段落をしっかり暗記した後、次の段落へ進むという方法で、5か月かけて『轉法輪』全部を暗記しました。
最初に暗記を終えた後、私は嬉しくなって親しい同修に電話で報告しました。それから連続して暗記を続け、使う時間はどんどん短くなりました。しかし、第6回目の暗唱を終えた後、私は気づきました。まだ一講一講を連続してスムーズに暗唱できていなかったのです。どうすれば法が自然に口からすらすら出てくるほど暗唱できるのか。その方法はただ一つ、各章を徹底的に暗記するしかありません。近道はありません。そこで私は『轉法輪』全編を改めて暗唱し始めました。第1講を暗記するのに半年かかり、次に第2講を暗記しましたが、その際には毎日第1講を復習してから次の部分を暗記しました。第3講に進むときも同様に、第1講と第2講を先に暗唱してから第3講を暗記しました。現在、私は第3講まで暗記し、第4講を暗記している最中です。
この数年間の暗記を通じて、私は非常に多くの恩恵を受けました。どうすれば真の修煉ができるかを学びました。話すこと、問題を考えること、行動することすべてが法に基づいて判断できるようになりました。同修たちは、私が暗記を通じて大きく進歩したと言います。子供たちは「お母さん、本当に変わったね」と言ってくれます。これもすべて法の暗唱のおかげです。ここで、法の暗記を通じて得た真の修煉の一例をいくつか挙げたいと思います。
ある日、私たち10人の同修で大法のプロジェクトに取り組むことになり、朝7時から午後4時まで作業を行うことになりました。協調の同修から、7時前に作業所のドアを開け、朝市で10人分の昼食を買ってくるよう頼まれました。私は快く引き受けましたが、心の中では「時間が本当に厳しい!」と思っていました。翌朝、正念を発してからすぐに家を出て、まず朝市で昼食を買い、それから急いで作業場所に行きドアを開けました。時計を見ると、まだ7時まで5分あり、間に合いました。同修たちが次々と到着し、作業が始まりました。協調の同修は10時過ぎに到着しました。私たちは午後4時過ぎまで作業を続けました。
しばらくして、別の大法のプロジェクトがあり、再び協調の同修から同じ依頼を受けました。私はまた引き受け、同じように朝市で昼食を買い、作業場所に到着しました。協調の同修はまた10時に来ました。同修たちが「何かあったんですか?」と尋ねると、彼女は「特に何もない」と答えました。私は作業が終わった後、心の中で「何だか不思議だな」と思いました。「特に用事がないのなら、どうして朝、早く来て自分でドアを開けないのだろう?」私は不満を感じ始めました。
家に帰ると、自分の考えが間違っていることに気づきました。師父はこの状況を通じて私に心性を向上させる機会を与えてくださったのです。この不満の心は、嫉妬心ではないかと気づきました。私はすぐに『轉法輪』を開き、「嫉妬心」の章を読み返しました。
読み終わった後、私は法理に照らして、以前自分に現れた嫉妬心の事例を見つけ出しました。たとえば、ある子が推薦で大学院に進学したとき、表面上は羨ましく思っているように見えても、実際は心の中で不平等に感じていました。また、あの人は何年も法を学んでいるのに、まだ間違いを犯している。自分は家でしっかり練習していないのに、文句を言っている。これらは一見不満を表しているように見えて、実は嫉妬心が作用していることに気づきました。そういった事例を一つ一つ見つけ出し、たくさんのことに気づきました。すべてを見つけた後、心が非常にすっきりしました。以前なら、このようなことがあると数日間も怒り続け、他の人に愚痴をこぼしていたでしょう。しかし、法を暗記することで、これらの考えが法に基づいていないこと、執着心が働いていることに気づき、すぐに法を使って自分を正すことができました。心の底から「法の暗記は本当に素晴らしい!」と思わずにはいられませんでした。
もう一つの事例です。ある朝、夫が朝食を作っている間、私はリビングでラジオを聴いていました。夫にも聞こえるように、音量を大きくしていました。すると夫が台所から飛び出してきて、「音を小さくしてくれ!」と怒鳴りました。私は動じませんでした。彼は「もし音を下げなければ、このラジオを壊してやる!」と叫びました。私はとっさに「やれるものならやってみなさい!」と言いました。すると夫は怒りに任せてラジオを床に投げつけました。その瞬間、私の怒りが爆発し、夫に対して大声で怒鳴り返し、涙ながらに彼を非難し続けました。すると、突然耳元で「また乗り越えられないね」という声が聞こえました。
その時、私は法を思い出しました。これは師父が私に心性を高める機会を与えてくださったのだと気づき、まるで夢から覚めたように悟りました。私は自分を責めました。事に直面するとすぐに常人の考えに陥り、修煉者が遭遇する大小の出来事はすべて心性を高めるためにあるもので、偶然はないのに、どうしていつも法の要求に従わないのだろうか! あなたは本当に修煉をしているのか? 本当に修煉しているのか、それとも適当にやっているだけなのか? もし本当に修煉しているなら、すぐに夫に謝るべきだ。さもなければ、それは偽の修煉だ。私は以前、とても強気で、家では私の言うことが絶対で、大人も子供も関係なく、気に入らないことがあれば、すぐ暴言を吐いていました。夫の言葉を借りれば、私はまるで学生を叱るように彼を非難していました。私は、夫に一度も謝ったことがありませんでした。
この時、師父のご配慮を無駄にしてはならないと思い、必ず法の要求に従い、夫に感謝し、謝罪しようと決心しました。そう思いながらすぐに私は台所に行き、夫に「ごめんなさい、さっきは私が悪かった。あんな風に言うべきではなかったわ。師父に叱られました。大法弟子らしくなかったですね。まるでじゃじゃ馬みたいだった」と言いました。夫の反応は私の予想を超えていました。「俺も悪かった。さぁ、食事にしよう」と言いました。私は驚きました。彼は「早く食器を用意して」と言いました。さっきまで暴風雨のようだったのに、今ではすっかり穏やかになり、私たちは楽しく食事をしました。
その時から今まで、私たち夫婦は一度も口論をしたことがありません。数か月後のことです。娘は、冷たい顔をして私に話しかける父に、私は微笑みながら答えているのを見て、「お母さん、本当に変わったね!」と大声で笑いました。私は笑いながら「法を暗記することで本当に変わったのよ。あなたも暗記しなさい」と言いました。娘は「分かった」と答えました。
結論として、修煉の道を進むためには、次のことが必要だと感じました。
1、師父と法を100%信じることが必要です。師父が言ったことはその通りに行い、法理が要求することはその通りに実行し、少しの妥協もしてはいけません。私は以前それができず、20年以上の貴重な時間を無駄にしてしまいました。今振り返ると本当に後悔しています。
2、大法を深く学び、心を込めて学法し、自分のレベルに応じて、法理の一つ一つの意味を理解し、どう修煉すべきかを知る必要があります。そうすることで、何かに直面したときに法に基づいて判断し、法に適っていればそれを実行し、適っていなければすぐに修正することができます。そうすることで、遠回りせず、神の道を着実に歩むことができます。
3、時間があれば全て三つのことに使うべきです。今、私たちに残された時間は本当に少なくなっており、もう一分一秒も無駄にできません。できる限り学法に時間を使い、多く学び、たくさん学ぶことで、師父を助けて人を救う使命を果たし、法輪大法の弟子として恥じない存在となれるのです。
私は自分がまだ師父の要求や大法の基準に遠く及ばないことを知っていますが、師父の教えを守り、厳しく自分を律し、たくさん学法し、しっかり学法し、必ず師父に従って家に帰る決意があります。