文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2024年12月8日】現代の社会では「姑と嫁の関係が難しい、姑になるのは大変だ」と言われますが、私の場合はむしろ逆でした。姑は非常に横暴な人で、嫁である私はとても苦労しました。しかし、私が修煉の道を歩む中で姑は家庭内で私の修煉を助け、大法は私が本来の自分に立ち返るように導いてくれたのだと思いました。以下に、私と姑の物語を記し、大法の素晴らしさを証明し、師父への感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
1997年3月に、私は姉の導きでこの宝ともいえる貴重な書『轉法輪』を読んだのですが、その時はまだ修煉はしませんでした。後に、私が働いていた学校に法輪功を学ぶ先生がいました。彼女は私にこう話してくれました。「私たち農村の人たちは病気になっても、お金がなくて病院に行けないでしょう? 法輪功を学べば病気が治り、体も健康になれるし、元気な体で働くこともできる。素晴らしいことばかりですよ!」
その言葉を聞いて心を動かされた私は、その先生にお願いして貴重な『轉法輪』を1冊手に入れてもらいました。家に帰ると姉が、「兄2人とその妻たちも法輪功を学んでいる」と言ったので、私たちは兄の家を学法と煉功する拠点として立ち上げることにしました。
法を学ぶうちに、病気は自分の前世で積んだ業が原因であること、病気を治したいならば大法の教えに従い、他人を思いやる本当の善良な人になるべきだと分かるようになりました。
修煉を始める前、私の家族は三世代7人で一緒に暮らしていました。祖父、舅、姑、夫、私、そして2人の子どもです。家庭を取り仕切っていたのは姑で、何事も姑のいうことを聞かなければなりませんでした。
当時、私たちの家は古い建物で、みんな新しく家を建て替えたいと思っていたのですが、姑は「お金がないから」と言って許してくれませんでした。
私は村の会計係として働いており、年間500元の収入がありました。それで姑に提案しました。「お義母さん、私の稼いだお金でレンガを買って家を建ててもいいですか? 足りない分は実家の姉から2万元借りますから」と言いました。姑が同意してくれたので、ようやく工事が始まりました。
私の夫は非常に働き者で有能でしたから、1992年に私たちはついに新居を手に入れることができました。それからも相変わらず家の主導権は姑のもとにあり、すべての最終決定権は姑のものでした。
修煉を始めた後、私たちは50ムー(約3.3ヘクタール)の土地を耕し、トラクターやトウモロコシ脱穀機、精米機などの農機を所有していました。毎年多くの収入を得ていましたが、そのお金はすべて姑が管理していました。
それでも姑は、「お金がない、お金がないのよ」「うちは借金で生活しているんだよ」と繰り返し愚痴をこぼしていたので、私はそのたびに気分を害しました。そして仕方なく姑にこう言いました。「お義母さん、私たちだけで生活をやりくりしたいのですが」
すると姑はこう答えました。「もし自分たちでやりたいのなら、この家から出て行くことだね。出て行かないなら一緒にやってくしかないのよ」。そして、こうも言いました。「来年から土地の収入はあんたたちが管理してもいいけど、そのかわり毎年私には3000元を払ってもらいますよ。それから私が娘から借りた4000元もまだ払っていないんだからそれも負担してもらいます。おじいちゃんが亡くなって葬儀代もいるのよ。それもあんたたちに出してもらいますからね。家計の一切の出費は全部あんたたちが負担するんだよ」
私は「分かりました」と答えながら、心の中で「どれだけ稼げるか見せてやろう」と思いました。
私と夫は早朝から夜遅くまで畑仕事に励みました。最初の年は、収穫した作物の売上と稼いだお金を合わせた中から姑に7000元を渡しましたが、それでもお金が残ったのでそのお金で四輪車を購入し、新たに30ムーの水田と20ムーの乾田を借りることまでできました。
ある日、私の帰宅が遅くなったときのことです。家に着くと、姑と舅が部屋でテレビを見ながら話している声が聞こえましたので、邪魔をしてはいけないと思った私は台所の鍋からご飯とおかずを取り出し、自分の部屋に持って行って食べ始めました。すると、姑が自分の部屋から出てきて、私が帰宅したことに気づかないまま突然私を罵り始めたのが聞こえました。
その言葉はとてもひどいものでしたが、私はただ微笑んで、師父の教えを思い出し「何事も忍耐する」と心に決めました。
しばらくして姑が鍋の蓋を開け、中のご飯が減っているのを見ると、私の部屋の扉を開けて問い詰めてきました。「帰ってきたなら声くらいかけなさいよ! 私があんたを罵っていたのが聞こえていたのでは?」、私は笑顔で「お義母さん、家族なんですから、人を罵るのは良くないですよ」と言いました。
あるとき、姑は病気になりました。私は村の仕事で忙しく、付き添う時間がなかったので「お義母さん、お義父さんと義兄さんに病院に連れて行ってもらったらどうですか?」と言いました。すると姑は「あの人たちは信用できない」と言ったので、私は「明日は日曜日なので、私と一緒に行きましょう」と約束しました。
翌日、夫と一緒に姑を連れて病院に行き、検査を受けさせました。診断の結果は、腸ガンということでした。その後、家に帰り、姑の長女にその結果を伝えました。その後さらにガン専門の病院でも検査を受けましたが、結果は同じでした。姑はガン専門病院に入院し、手術を受けて化学療法を始めました。しかし最終的には、医師から「もう手の施しようがありません。家に帰って好きなものを食べさせてあげてください」と告げられるに至ったのです。
姑の退院後、私は病気で苦しむ姑を細やかに看病しました。おいしいものを買っては姑に差し出すのですが、姑は感謝するどころか、私に対して辛辣な言葉を投げつけました。私と姑の実の娘が同じ焼き鳥を買ってきたとき、姑は娘に向かって「あなたの兄嫁が買ってきたものなんて美味しいはずがない。食べたくもないよ」と話していました。
私はそれを聞いてもただ微笑むだけで、気にも留めませんでした。
その後、姑が亡くなり、家には小脳萎縮症を患う舅が残されました。私は舅の世話を続け、食事や洗濯、身の回りのことすべてを引き受けました。舅はまるで子どものようで、物忘れが激しく、機嫌を損ねると騒ぎ立てました。さらに舅は実の娘に私の悪口を言うこともありました。それでも私は辛抱強く、舅の体調や食事の好みを尋ね、「今日の食事は美味しかったですか?」と気遣いの声をかけました。もし舅の機嫌が悪いと感じたら、「私のどこが法に合っていなかったのだろう」と、内に向けて自分を振り返るようにしました。
修煉をする中で、私は物事に冷静に対処し、どんなことにも耐え抜くことができるようになりました。それはすべて師父の教えが私の心に深く根付いたおかげです。
姑が私に意地悪をしても執着心を手放すことができ、利益を気にしない自分になれました。舅が私に腹を立てたときも「どこが悪かったのか」と、まず自分を省みて誠意を持って舅に接しました。その結果、家族間の問題は自然に解決できるようになりました。すべてを善意と善行で対処することで、人間関係を和らげることができたのです。
師父の偉大さと慈悲に心から感謝いたします!
師父の偉大なる救い済度の恩に心より感謝申し上げます!