文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月10日】私は1996年に法を得た大法弟子で、今年でちょうど80歳になります。学歴があまり高くないこともあり、これまで明慧ネットへの投稿をしたことがありませんでした。しかし、法を正す時期はすでに終盤に差しかかっており、今こそ、この壁を乗り越え、慈悲深く偉大なる師父に、この20年以上の修煉の歩みを報告し、救ってくださったことへの感謝を伝えたいと思います。
あの年、夫が重い病にかかり、私は夫のために大法の書を読み聞かせているうちに、二人揃って法を得ました。迫害が最も激しかった時期には、私たちは何度も北京に行って陳情し、師父のために正しいことを伝えようとしました。その度に、拘束されたり、監禁されたり、労働教養所に送られたりしました。命の危険を感じるような環境の中で、私たちはあちこちを転々とし、身を隠しながら、安住の地もなくさまよっていました。
修煉とは神聖なことであり、同時に非常に厳粛なものです。常人の中で身につけられるような技術ではなく、簡単に習得できるものでもなければ、お金で買えるようなものでもありません。修煉は常識を超えたものであり、必ず「法」による指導が必要です。師父は何度も説法の中で、「しっかり学法しなさい」と私たちに教えてくださいました。師父は学法の重要性をたびたび強調されており、弟子である以上、師父のお言葉に従って行動すべきです。師父は「長春の大法弟子は皆、法を暗記している」ともおっしゃいました。それを聞いたとき、「私も師父の故郷の弟子たちを見習おう」と思い、法を暗記しようという気持ちが芽生えました。
それからは、学法の時間に意識的に法を暗記するようになりました。法は常人の書物とは違い、天書です。だからこそ、ただ大まかに覚えるのではなく、一字一句を正確に、決しておろそかにせず覚える必要があります。私は高齢ですから、本当に大変でした。それでも、「どれだけ難しくても続けるしかない」と思い、句読点ひとつひとつを確認しながら、一つの句点、一つの段落ごとに丁寧に覚えていきました。自分の学法の時間には、すべてこの暗記の方法を取り入れ、主に『轉法輪』を拝読しています。最初の一巡目は1年以上かかりましたが、2巡目からは少しずつスピードが上がり、段落と段落もつながるようになりました。今では、大きな見出しごとに繋げて覚えることもできるようになり、何回暗記したかも思い出せないほど、すっかり身についています。
ある同修が「自分はとても早く暗記できるけれど、何を覚えているのか分からない」と話していました。でも私は違います。私は一文一文、はっきりと内容を理解しながら暗記しています。私の主元神が暗記しているのです。毎朝、発正念を終えると1時間半ほど法を学び、その後で朝食を作り、外に出て真相を伝えます。午後は集団での学法の時間以外は、ずっと法を暗記しています。
『轉法輪』の暗記以外にも、師父の他の説法も計画的に学習しており、中でも「なぜ人類が存在するのか」「なぜ衆生を救い済度するのか」「人類はなぜ迷いの社会なのか」といった重要な経文は、すべて暗記するようにしています。私の全身、全ての細胞に大法を満たすことで、正念を保てるようにしているのです。
毎朝、五つの功法を煉功し、第二功法は1時間を続けています。夕食後にも30分第二功法をし、それからまた学法します。ときにはその時間も法を暗記しています。要するに、私は十分に学法の時間を確保しているのです。子どもたちは皆、真相を理解しており、しかも別々に暮らしているため、付き合いもあっさりしていて、誰からも邪魔されることはありません。食事もとても簡素で、お腹が満たされればそれでよく、食事内容を良くしようとこだわることもありません。すべてがとてもシンプルで、無駄にする時間もないのです。