文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2025年4月23日】法の暗記を続けている中、私は内に向けて探すことと着実に自分を修めることができるようになったことを、ここで少しお話ししたいと思います。
一、法の暗記で難関を突破することができた
『轉法輪』を暗記する前は、『洪吟』や短い経文を暗記することにとどまっていました。法を暗記することは、修煉とってとても良いことだとわかっています。しかし、『轉法輪』を全部暗記するのは努力をしなければならず、難しいことだという考えがいつも私の妨げとなり、何度も挫折しました。しかし、修煉は厳粛です。自分の修煉が不十分で、確実に修煉ができず、内に向けて探すことができていないことが、修煉に漏れがあるという事実に直面し、打開しようと奮闘しても打開できなかったのです。本当に悩みました。特に、連行や不当に拘留された後、自分の修煉に大きな漏れがあることを知り、長い間その漏れを探しましたが、口を修めていなかったということを表面的に見つけるだけでした。
自分の修煉においても、人を救うことにおいても、なかなか突破口が開けないと感じていた矢先、明慧ラジオで台湾法会の交流文章を聞きました。その内容は、その同修が『轉法輪』をどのように暗記したかについての経験を話しているものでした。彼女は、『轉法輪』を暗記する過程と暗記した後の変化について話し、最後に、『轉法輪』を全部暗記し終わった瞬間に、住むマンションの前で花火が打ち上げられていました。これが師父の励ましだと彼女は悟ったのです。
この体験談を聞いて、私はとても励まされました! 「同じ大法を修めている同修があらゆる妨害を乗り越えて法を暗記することができたのなら、なぜ私にはできないのだろうか?」と思いました。そこで私は『轉法輪』を暗記しようと決心しました。
この固い決意を持って、私は明慧ラジオで法を暗記する体験談を聞いたり、同修が法を暗記するさまざまな方法を学んだりしました。一句一句を覚えていくという方法は私に合っていると思って、私は1回目の暗記にこの方法を採用することにしました。
実際にやってみると、思ったほど簡単ではなかったのです。最初にぶつかったのは肉体的な苦痛でした。夜に暗唱するため、午後からずっとパソコンを見て仕事をしていると、体が疲れてきて、夜になると頭が重くなり、とにかく寝て休みたいと思うのでした。しかし、私はすでに師父に「法を暗記します」と誓ったので、やはり毎日法を暗記し続けようと思い直しました。最初の頃、私はベッドの端に座って壁に顔を向け、次々と法を暗記していました。たまに覚えられないときは、その一句を繰り返し読み、理解できるまで読み、暗記しました。
最初は意気込んでいましたが、暗記していくうちに 「いつになったらこんな分厚い本を暗記できるのだろう?」と焦りが湧き上がってきました。焦りの心を見つけた私は、その心を取り除くようにし、主意識を固め、「法を覚えていくだけだ。時間にとらわれるな 」と自分に言い聞かせながら、続けました。
法を暗記することで、私は自分の修煉の苦境を突破することができ、私の下腹部で法輪が回っているのを強く感じました。さらに、私はしばしば慈悲のエネルギーに包まれ、人を救うために大法を伝える時、心がいつも慈悲に満ち、言葉にも慈悲のエネルギーがあると感じ、人を救う力も大きくなりました、法を暗記することで、法に対する理解も深まりました。以前は法を通読すれば、法理をある程度理解できましたが、法を暗記すると、法をより深く理解できるようになりました。
『轉法輪』一回を暗記し終わった後、やっと暗記し終わったと思い、満足感があり、残念なことはないと思いました。しかし、それを止めた時、自分の修煉が突破できない難関にぶつかりました。そんな時、師父が明慧ネットで『轉法輪』を1000回暗記した同修の記事を見せて下さいました。その同修の素晴らしい忍耐力を見て、私は本当に衝撃を受けました。私は「止めることができないのだ、一回、また一回と続けて法を暗記しなければならないのだ」と考えました。ですから、私は『轉法輪』を手に取り、二回目の暗記を始めました。
今では、毎日法を暗記することは必須で、私の生活の一部となり、新しい一日の始まりとなっています。朝、正念を発した後、法を暗記し始め、真相資料を印刷する必要があるときは、プリンターのそばに座って暗記し、それ以外の時間は、ソファに座って両足を組んで法の暗記をしています。
二、法の暗記で内に向けて探すことができた
法を暗記することでもう一つの良いことは、物事がうまくいかない時、次第に内に向けて探すことができるようになり、自分の考えを放縦しないようになったことです。例えば、私は迫害される原因となった嫉妬心を見つけることができました。以前、私は師父がおっしゃった嫉妬心が自分にはないと思っていましたし、師父がおっしゃったことは他人のことだと思っていました。その後、法を暗記し、法に同化する中で、徐々に嫉妬の表れの形がわかりました。他人より劣っていることや他人より優れていると感じること、心のバランスが取れていないと感じること、不平不満の心、恨むことなどに次第に気づき、これらはすべて嫉妬の表れであることがわかりました。また、「どうして自分は慈悲心が生じないのだろう?」と考えてきました。 法を学ぶことで、私はいつも嫉妬心や恨みといった邪念に支配されやすいことに気づきました。ですから、嫉妬心がないのではなく、大法に照らして自分を修めていないから、わからなかったのです。
自分の不足がわかってから、嫉妬心を取り除くように努力をしました。例えば、以前、同修Aさんと協力して大法のことを行うとき、私の嫉妬心はいつも働いていて、同修を見下して文句を言っていました。
今回、Aさんに横断幕の制作をかなり早めに依頼し、私は横断幕が届くのを待つだけで、すべてがうまくいっていると思っていました。
しかし、Aさんの機械が故障し、横断幕を作ることができなくなったと後でわかりましたが、横断幕を掛ける日が近づいてきました。制作できなくなったと聞いてから、私の嫉妬心が再び湧き上がり、Aさんに対する過去の不満が脳裏に映し出されました。しかし、今回、私はすぐ警戒し、嫉妬しないように、同修を見下さないようにと自分に言い聞かせました。同修は機械が故障するのを望んでいないし、プリントヘッドの購入はかなりの出費だと考え、私は嫉妬心を排斥し、「嫉妬心はいらない。私と同修は全体であり、私たちは協力して師父が法を正すことを手伝っている。私たちの全体を分離してはいけない」と考えました。私が正しい念を出すと、同修が横断幕を作る機械が復活でき、しかも、非常にうまく機能しました。予定の一週間前に横断幕が完成しました。師父のご加持に感謝します。嫉妬心を取り除くことを手伝ってくれた同修に感謝します。
時々法を暗唱する時、なかなか落ち着かないことがある時、「プリンターの音がうるさくて法の暗唱に影響しているのではないかとか、あるいは、妻が歩き回っているから法の暗唱に影響していないかとか」と外に向けて見たりしていました。後になって、外部の環境と関係なく、私の心が清浄ではないからです。自分の心が清らかであれば、法の暗唱を妨げるものは何もないのだとわかりました。
プリンターのノズル部分が目詰まりすると、焦ったり恨み言をこぼしたりしました。法を学んで内に向けて探すと、プリンターに恨みを言うのは外に向けて見ることではありませんか! やはり自分が間違っていました。明慧ネットの同修の言葉に「機械を修理する前に自分の心を修めなさい」というのがあります。故障は機械にあるのではなく、私自身にあるのです。私自身の焦り、早く制作するよう求めたり、いろいろな人心があって、自分自身を着実に修めていないので、目詰まりになるのは当然でしょう。私が内に向けて探し、しっかり修煉するようになると、私のプリンターは再び、きちんと動くようになりました。
三、同修に法を暗記するよう促す
私は法を暗記する良さに気づいてから、同修たちに法を暗記するように勧めました。まず家族の同修から勧めました。妻は記憶力が良いので、私は妻に法を暗記するように勧めました。妻は修煉を始めたのが遅かったのですが、現在、『轉法輪』を一回暗記し終えて、すでに二回目の暗記を始めました。この過程は、私自身が修煉する過程でもあります。最初の頃は、私は妻に『轉法輪』を暗記するように勧めるとき、妻が修煉を緩めている時期で法を暗記する気がなかったのです。師父は 「環境によって影響されることがあります 」(『轉法輪』)と説かれました。私は、私が繰り返し妻を説得するより、法を暗記する環境を作ったほうがいいと思いました。
そこで、私は毎朝、妻が出勤する前に、法の暗記をしていました。それと同時に、私が法を暗記する体験を共有しました。このようにして、師父のご加持の下で、妻は去年7月に『轉法輪』を一回暗記し終えました。妻は学法グループで同修に法を暗記する経験を話しました。同修も心を動かされ、何人かの同修が法を暗記し始めました。
同修である父に、私はずっと前に法を暗記するように念を押したのですが、父はなかなか始めず、始めてもまたやめたりしたのです。ですから、私は父に会うたびに法を暗記するように促しました。時々、私が慈悲ではなく、情によって勧めていたため、口調が良くないに気づきました。そのたびに自分を修めました。今、父は一回『轉法輪』を暗記しましたが、また、法を暗記し続けています。
修煉の中で、自分の忍耐が足りないことに気づき、同修に法を暗記するように言うだけで、暗記する方法を教えませんでした。この点で、妻はよくやってくれました。妻は同修と一緒に法を暗唱したり、法の覚え方を教えたりしています。内に向けて探すと、私はまだ苦を嘗めたくない心と怠惰の心があるので、この点については、今後、自分自身を修めるつもりです。
四、観念を変え 正念で問題を見る
法の暗記と着実に修煉することを通して、私は修煉を妨げる要因の一端が自分の観念にあることに気づきました。例えば、以前は同修の欠点に目を向けることがよくあり、それによって同修に対する観念を形成し、その観念を使って同修の言動を見ていました。後になって、これは外を向いて見ていること、自分を「懐中電燈」のように、自分ではなく他人だけを照らしていることに気づきました。今、私は同修に正念を加えることを学びました。同修に欠点があると、私は心の中で静かにこう言うのです。「同修が内に向けて探し、大法に照らして欠点を正し、師父のご加護を願う!」。同修に否定的な考えを加えることはしません。私は真相資料を作った後、資料に向けて「すべての衆生が見るように。衆生は資料を大切にし、大法のことを理解し、救われますように!」と正念を発しています。
以前は、修煉で挫折した時、避けたり逃げたりすることが多く、時々関を乗り越えられないと「自分は本当にダメな人間だ」と落ち込んだり、「自分は修煉に向いていない」と否定的に考えることさえありました。しかし、法を暗記し、勉強し続け、今ではそのような考え方が変わり、物事を消極的にとらえることはなくなりました。もし関をうまく乗り越えることができていなかったら、なぜ乗り越えられなかったのか、その理由を探してみます。「自分の主意識が緩んでいるからでしょうか? それとも最近法をよく学んでいないからか。それとも何かの執着心が原因なのか」と自分の内に探しています。問題がわかった時、私は自分に「今回できなかったから、教訓を得て、次回はよくできるように」と言い聞かせます! 今、関に遭う時、心の中で「師父、どうかご心配しないでください、私は関を乗り越え、合格します!」と、静かに言うのです。
恥ずかしながら、長年修煉してきましたが、両足を組んで座るのは静功を煉る時だけで、法を学ぶ時は両足を広げることが多く、せいぜい片方の足を上げるだけでした。法の暗記で私は業力の転化の関係を理解し、法を学ぶ時に他の同修が両足を組んでいるを見て、自分もこの方面で改善する必要があることを知り、苦を嘗めるのは良いことだとわかりました。このように、法を学ぶときに両足を組み始めてから30分しか続かなかったのですが、今では両足を組んで『轉法輪』の一講を読み終えるのです。しかも、自分の家での学法も両足を組んでいます。
結び
法を学び、しっかり修煉の中で、師父は私に大法の素晴らしさを体験させて下さいました。例えば、何日も私の皮膚に淡い金色の光の層ができたのを見ました。師父は私に遠隔透視、他心通などの功能も体験させて下さいました。これらの超常的なことは私の修煉の励ましになっています。
今、私は法の暗記、法の通読に加えて、法を学ぶ方法として毎日法を写しています。学べば学ぶほど、師父の教えが本当に明確であることに気づきます! 学べば学ぶほど、この大法は本当に貴重で、探しても見つけることができないものだと気づきました。時々、師父に会いたいと思いますが、師父の写真が微笑んでいるのを見ると、これは師父の励ましだと感じます。師父が中国に戻って来られる日を楽しみにしています!