文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月29日】 私は大学在学中の1997年に法輪大法の修煉を始めました。現在は専門的な技術の仕事に従事し、職場で働く傍ら自分で会社を起こし、経営はうまくいっています。 私たち夫婦は、互いに元の相手が2人とも病気で他界し、2つの異なる都市から不思議な縁で一緒になった再婚同志です。 一緒に暮らし始めてから、主人や主人の周りの同修と知り合ううちに、同じ大法弟子である自分は、彼らとの差があまりにも大きく、それに比べると自分はただ大法の良さを知っている常人に過ぎないことに気づきました。
私は師父の大法弟子という肩書きに対し慙愧に堪えません。 主人の影響を受けて、私は自分の欠点を知り、修煉に注意を払うようになりました。 師父は私を見捨てず、私を目覚めさせるために同修を手配し、私を一歩一歩家路に連れて行ってくださいました。
まず、私は学法することから始めました。以前、私は学法するのがとても面白く、休暇中ほぼ毎日一冊のペースで師父の各地での説法を読み終えていたことを思い出しました。
しかし、自分は任務を遂行するという執着心が強かった為、修煉において著しい向上は見られませんでした。 今回、同修の家族から「法を学ぶのはゆっくりでいい」、「法は心に留めなければならない」と教わりました。 また、明慧ネットで学法についての交流記事に焦点を当て、注目しました。その記事の内容の殆どは、同修たちが大法を学び始めたばかりの時、法理に対する認識上の向上を体感できないという内容でした。何年間も向上できず、様々な魔難が現れて、修煉の支障をきたす経験をし、そして、同修たちのゆっくりと法を学び、入念に法を学ぶことを通じて、徐々に突破していきました。ゆえに私の突破口は学法にあることだと気づきました。
法を学ぶ時、私は量を求め、焦りで心が乱れました。しかし、清浄心を持ち、ゆっくり法を学び始めたら、すべての法理が展開され明らかになり、それぞれ異なった内涵を体感できたような気がしました。 私は法がすべての問題を解決できることを悟り、法の威力を知り、正しい状態でない同修も法に則って認識できたことを目にしました。また多くの法理が私の脳に映し出され、すべての法理が同修の間違った観念を打ち破ることができるのです。 これも私が20年以上経験したことの中のわずかな貴重な体験です。
以前は、トラブルに遭遇した時、内に向けてどう探せば良いのか、自分はどう修めれば良いのかは分からなかったのですが、このように法を学んでから、ようやく内に向けて探すことができるようになりました。 私の学法するスピードをまとめると、1時間に3〜4ページくらいです。
また発正念をするときにも、そこに座っているのはこの身体だけでした。心の中でどんなことも考えてしまい、荒唐無稽な考えを全く抑えることができませんでした。 今は、そこに座っているとすぐに集中でき、顔と頭全体がしびれたような感覚になります。気が散ることもありますが、はっと気づいて、妨害を取り除くことができるようになりました。
心を修めることは、本当に心をえぐられる思いです。 同修である夫と私は、まだ修めきれてない人心が二人の日常生活の中で非常に目立ちました。主な理由は、私は強い性格を持っているということです。党文化の影響が非常に深刻で、思う通りにいかない物事に遭遇すると、着火剤が花火についたように一瞬にして炎上します。また、 夫の性格も頑固で、何か過ちを起こすと(または見解が不一致になると)常に自分の問題に直面せず、いろんな口実を作り、弁解し、理屈ばかりを並べます。師父が言及された、よく見られる共通の問題を抱えた中国大陸の大法弟子のようです。彼はまた、少し怠惰であり、 そのため、私たちの間の衝突は次第に目立つようになりました。
ある日、私と夫は心性の関に遭遇していました。ちょうどその時、同修が家を訪ねてきました。 私は同修に「ここ数年、夫と夫の家族を経済的に多くの援助してきたのですが、それでも彼はいつも私に文句を言い、私に求めてばかりいます。私はすでにこの世の俗情に執着しておらず、この点に関して彼に対する要求は何もなかったのですが、彼の私への要求は耐え難いものです」と話しているうちに、私はふと、このようなことは、「師父が、すべて私の向上のために利用されているのではないか…」と気づきました。 師父は、私たちがそれぞれの強みを活かしてお互いを補い合い、お互いに相手を成就させるのです。 そう思うと、不平不満で一杯だった気持ちが瞬く間に消え去りました。悪業を消して下さった師父のおかげで、見上げた空が澄み渡るように感じ、その感覚は素晴らしいものでした。
今年のお正月は、些細なことでまた揉め事になるのが怖かったのと、休みを利用して家で学法をしたかったため、夫と一緒に帰省しませんでした。 一人で家でくつろいでいた時、なぜ夫に対する恨み、不平不満、嫌悪感がこんなに強いのかについて考えました。
心性の 交流記事ではよく、恨みを抱くことの危険性が語られていますが、今回は心を静めて、 徹底的に怨恨心の根を掘り起こして取り除かなければならないと心に決めました。 原因を究明してみると、すべては利益心から生じていることがわかりました。 家庭内も家庭外も、私は経済を支えています。党文化思想の影響で、私は物質的な基盤が決定権を握れる上層部の位置づけの決め手だと言う考えを持っています。日常生活に少しでも不満を感じれば、すぐさま激怒してしまいます。私はそれが一家を養う為に、受けた仕事のストレスが原因であると以前は考えていましたが、今は利益心が根源であると理解できました。
では、どうすればこのよくない心を取り除くことができるのでしょうか? 私は、もしかしたら前世の因縁関係によるものかもしれないので、つけがあれば積極的に返さなければと思いました。 また、もしかしたら私の個人的な業力のせいかもしれないし、このように運命は既に按排されているので、放下できないことはあと何があるでしょうか? このように考えていたら、心が軽やかになりました。
私は、「自分の私有物に見えますが、お金を稼いだのも、別荘や車を買ったのも、すべての出費を払ったのも、一見全部私であるように見えますが、実は主人がそれらを所有する運命 であって、私はただ一時的に保管していたのです。このような形を通じて、私はそれらを放下できるかどうかが試されているだけなのです。私は手放すことができないものを天国まで持って行くことができるのでしょうか?」と悟りました。その時、自分の身体という容器の中の汚物がたくさん溢され、身体は少し浮き上り、ずいぶん楽になったように感じました。
その翌日、些細なことが原因で私たちはもめました。私は彼がもっと寛大になれば、衝突も避けられるだろうと心の中で呟きましたが、 突然、私は気づきました。「なぜ私は内に向かって修めることができず、外に向かって探していたのだろう? 今回は必ず師父が按排してくださったこの天上にのぼれる機会に背いてはならない。あの制御できない怒りの自我は、本当の自分ではなく、私的な自分なのだ」。少しずつ私の心が落ち着いてきました。 執着心の根っこが掘り起こされました。 これから先、嫌なことがあっても自分をコントロールできるはずです。 私はようやく修煉することを習得できるようになりました。
以上は、現段階での個人的なちょっとした認識であり、足りないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。