「一切の褒めたたえはみな試練なのです」
■ 印刷版
 

文/海外の大法弟子

 【明慧日本2023年10月31日】師父は「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」(『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」)と説かれました。

 個人的な理解では、褒めたたえとお世辞は、出発点と目的が異なります。お世辞は、相手を喜ばせるために不本意に相手を褒める行為です。修煉者に対して、褒めたたえられることが試練ではありますが、お世辞の場合は罠の可能性もあるのではないでしょうか?

 褒めたたえやお世辞に面して、罠にはまらないためにどう対処すればよいでしょうか? 「他人から褒めたたえがあったら、自分自身がいかに優秀かと思わず、真・善・忍に従っている大法弟子の言行から表われた大法の美しさが彼らに見えたと思うべきでしょう。常にそう思うようにすれば、わずかなことで歓喜心を起こしたり、自分が偉いと思わなくなるし、自分が偉いという念が表われた途端に直ちに滅せば、旧勢力の段取りに従わずに、自分の心より魔が生じることはない」と私は思います。

 常人に三退を成功させた同修を褒める時に、強い正念を持つことで邪悪の段取りを解体したことが天目で見えても、同修を崇拝したり、同修が偉いと思ったりせずに、すべては大法の威徳がこの世で表われたと考えるべきです。そうでなければ、同修に害を与えるしかありません。

 あらゆる褒めたたえと栄光は皆偉大なる師尊と法輪大法のものです。

 (注:文章の観点は作者の現時点の修煉による認識ですので、同修と法を学び、修煉できたらと思います。)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/25/467419.html)
 
関連文章