文/中国大法弟子
【明慧日本2023年8月7日】明慧編集部による記事「お世辞と自分の心より魔が生じること」を読んで、いくつか思うところがあり、自分自身と同修への戒めになればと思い、書き出しました。
修煉の過程で、ある面でうまくいったと感じると、多かれ少なかれ、人心が現れやすくなるように感じます。歓喜心、顕示心、自我への執着などが生まれやすいのです。重要なのは、随時に注意を怠らず、雑念を取り除き、内面に目を向け、自分自身の考えや思いを修めることです。
「他人に媚びる」「自分を誇示する」という現象が出現したことで、修煉者、正法時期の大法弟子として、私たちは一つ忘れていることがあります。つまり、私たちが持っているものはすべて、師父から与えられたものなのです。私たちを救い、さらに多くの衆生を救うために、師父は各層を下り、どれほどの苦しみに耐えてこられたのか、私たちは知っているのでしょうか?
師父は、我々にこう説いておられます。「この数年の修煉の中で、わたしは皆さんのためにあまりにも多くのことを受け持っただけではなく、同時に、皆さんの向上のため、絶えず皆さんを悟らせ、皆さんの安全のために皆さんを見護っていて、皆さんが圓満成就できるよう、皆さんが異なる次元で造った借りを片づけているのです。これは誰に対してもできることではなく、常人にしてあげられることでもありません。ただ、それらの人はあまりにも理智を失っており、大法と修煉の機縁を大切にすることを知らないだけです」[1]
私たちが普通の人間として持っている技術、技能、工芸、さまざまな業績などは、師父から与えられたものであり、実際、すべての人の人生は師父から与えられたものなのです。修煉の過程、風雨の中、私たちを一歩一歩導いて下さったのは師父です。そう思うと、歓喜心、顕示心、膨張した人心などは一瞬で消えてしまいます。
自慢や他人にお世辞を言うとき、なぜその人を褒めたり、お世辞を言うのでしょうか。彼が持っているものはすべて師父から与えられたものです。この瞬間、私たちの師父と法を敬う心はどこにあるのでしょうか?
私たちが誇りに思えることは何でしょうか? そう考えると、「他人にお世辞を言う」「自分を誇示する」という行為は、とても恥ずかしい気持ちになります。他人を褒めることは、他人を妬むことでもあり、他人を喜ばせることでもあり、嫉妬心を生みやすいのです。人を真似、法を学ばずに道を踏み外すことは、とても容易なことです。他の同修が成功を収めているのを見ると、私たちはただ黙って正念を加えるだけです。それは、同修の成功も師父の加持によるものであることを私たちは知っているからです。それでも彼を称え、賛美することができますか? 師父に感謝しかないのです。
法を正す中で、私たちは最大限に常人社会に適応し、修煉することを臨んでいます。特に海外の環境では、真実が語られる余地が十分にあり、誰もが「実力を発揮」できる広い舞台があるため、自分の強みや才能を発揮する機会がたくさんあります。私たちは修煉者です、師父は私たちを加持してくださっています。ただ、あなたには人々を救おうという考えがあり、それを実行することがあなたの昔からの誓いなのかもしれません。そうすれば、師父はあなたを加持し、達成出来るようにしてくださいます。しっかり行うことができれば、少しの努力で倍の成果が得られます。
しかし、花束と拍手に囲まれるような環境中で、それを把握するのは容易ではないため、常に警戒し、内に目を向けることがより重要なのです。考えてみてください。神を信じている普通の人でも、良いことに出会ったり、功績があったりすると、神に感謝するのです。 言うまでもなく、私たちは大法で修練された大法弟子なのです。
長年にわたり法を実証し、人々を救うために、感じることや体験文章を書いてきました。文章を書くとき、書こうと思いついてから全神経を集中させると、すぐに書き上げることができました。それは師父の加持によって、知恵を啓発してくださったことを知っています。おそらく私が学んだことは、長年の願望と誓いであり、自分が基準に満たしていないことを恐れていました。
しかし、文章が発表されると、歓喜心や顕示心、いい気になるなどの人心も生まれやすくなります。その瞬間、すべては師父の加持の下にあること、編集者同修の協力もあることを自分へ注意喚起し、警戒するようになりました。私はただ、真・善・忍に同化し、師父が法を正すことを手伝い、衆生を救おうとしていること、真・善・忍に符合しない、あらゆる人心と雑念を取り除きます。そう考えると、すべてが平和になりました。
これで、私自身と同修への戒めとなることを願っています。自らを修め、常に警戒し、修煉の道から外れないようにし、法をすべての行いの基準としなければなりません。あなたが逃げ出し落ちぶれると、喜ぶのは旧勢力なのです。
修煉の機会は限られているので、機会を大切にして、一緒に精進し、そして使命を果たし、師父を安心させたいのです。
法に合わないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。合掌。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
(責任編集:李明)