迫害終結への執着心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【日本明慧2025年5月1日】私は大法の中で既に29年修煉してきました。師父の慈悲深い救いに心から感謝しています。師父は、自己に執着し、業力に満ち、気性の良くなかった私を、人生の真理を理解し、感謝することを知り、物事に遭遇したとき他者のことを考えられる大法修煉者へと変えてくださいました。その過程には師父の数え切れないご苦労とご心労が注がれています。私は師父が衆生を救うために何の見返りも求めておられないことを知っています。師父が私たちに求められるのは、法の中で善に向かって高まる心だけです! ただ絶えず精進し、より多くの人を救うことしかできません。

 以下は、思想業力の干渉を突破し、迫害終結への執着心を取り除き、法の学習の力を強め、修煉初期のような体験を取り戻した経験です。

 1999年7月、中国共産党(以下、中共)が大法を迫害し始めた後も、私は中共の悪辣な嘘の宣伝に恐れをなすことはありませんでした。当時私はまだ職場で働いていましたが、心の中では、私が選んだ法輪大法は正法であり、師父は世の人々を救っておられることを明確に知っていました。私は修煉の精進において干渉を受けることなく、大法を疑ったことは一度もなく、ましてや師父を疑ったこともありません。年月と日々が過ぎる中、私は三つのことを行ってきました。

 しかし、3年間の中共ウイルスの大流行の中で、中共の野蛮な「ゼロコロナ」封鎖政策や、耐え難い核酸検査に直面し、本当に人の忍耐力は極限まで試されました。中共に対する怒りも極限に達しました。その時、私は毎日法を学び、功を煉り、正念を発し、時には出会った縁のある人に真相を伝えましたが、外出する人はほとんどおらず、皆家に閉じ込められていました。検査のために外出したときだけ人に会えたので、その機会を利用して真相を伝えました。しかし、私の心の中の中共への憎しみはすでに非常に強くなり、善悪応報に対しても疑問を抱くようになりました。官僚たちが中共に従って悪事を働き、大法弟子を非情に迫害し、疫病を利用して中国人全体を迫害しているのに、なぜ報いを受けないのかと思いました。中共の悪徒たちは権力を握って威張り散らし、罰を免れています。一方、真・善・忍に従って良い人になろうとする何億もの修煉者は、その非人道的で残酷な迫害に苦しんでいます。人間社会では「大悪」が「大善」を迫害する悲劇が演じられているのに、天理はなぜ善悪応報の法則を示さないのでしょうか? 心の中の疑念や混乱は消えず、法を学び、功を煉り、正念を発することにも影響しました。思想が静まらず、法を学ぶときに心が静かにならず、あれこれ考え、法を学んでいる最中に思考が遠くへ飛んでしまいました。脳裏には過去のこと、仕事のこと、中共の恥知らずな嘘、海外での邪悪の浸透などが映画のように次々と上映され、まさに大波のように押し寄せてきて、抑えることができませんでした。

 最も苦しかったのは、法を学ぶとき思想が集中できないことでした。法を学び終えると脳がとても疲れ、何かに掴まれているようでした。一講を学ぶのに何時間もかかり、効果も良くありませんでした。以前法を学んでいたときの軽やかでスムーズな感覚はありませんでした。時には一つの文を何度読んでも心に入ってこないので、何度も、時には十数回も読み、大法が心に入るまで続けました。私は自分に原因を探し始めました。法を学ぶとき、なぜこのような状態になるのでしょうか? なぜ善悪応報の天理を疑うようになったのでしょうか? 静かに考えてみると、それは思想業力が作用していることに気づきました。思想業力が法の学習を妨害し、心を静めさせず、正念を弱め、あらゆることを疑わせていました。中共への憎しみが思想業力を強めていることに気づきました。そこで思想業力と憎しみを標的に正念を強化し、法の学習を強め、大法を心に入れるために、この過程で再び『轉法輪』を暗記しました。普段は心の中で絶えず『轉法輪』の「主意識は強くなければならない」という節を暗誦し、絶えず思想業力を排除しました。

 私はずっと自分には迫害終結への執着心がないと思っていましたが、去年の夏のある日、第二式の抱輪功法を煉っている時、思想が清浄でなく、心の中で突然この迫害がすでに25年も続いており、まだ続いていることを考えました。このように修煉を続けて本当に修煉を成し遂げることができるのだろうか? 内なる修煉も外の形勢も何の変化も見えない漠然とした状況で、前方に希望が見えませんでした。中国全体の環境は中共によって混乱させられ、人心は腐敗し、美しい景色を少しも見ることができません。私は師父と大法を疑ったことはありませんが、ただこのように内心の苦しみに耐えられず本当につらいのです。この苦しみは修煉における苦からくるものではなく、中共による大法弟子への迫害の形勢からくるものです。この暗黒の日々はいつ終わるのでしょうか? 迫害はあとどれくらい続くのでしょうか? この邪悪な中共はいつ解体するのでしょうか? 私は迫害終結への執着も邪党への憎しみから生じていることに気づきました。

 静かに心を落ち着けて自分を見つめると、なぜ前途に対する心配があるのでしょうか? 私は中共への憎しみと思想業力が心の不安定さを引き起こし、自分の堅持に対して動揺を生じさせ、自分が修煉して向上できるかどうかを疑うようになったことに気づきました。さらに掘り下げると、安逸心も見つかりました。迫害が早く終わってほしいという気持ちや、この暗黒で抑圧された恐怖の日々がほぼ限界に達していることです。このとき、師父のある法の一節が私の脳裏に浮かびました。

 師父は『轉法輪』でこうおっしゃっています。「功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛まぎらわしく思い、迷ったりすることが起きます。将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません。動揺するかどうかを試すのです。絶対動揺しないという決意があり、いざという時に本当に動揺しなければ、あなたはおのずと乗り越えることができます。なぜならあなたの心性がすでに向上しているからです」。 私はすぐに警戒しました。心の中で「私は必ず堅持できる! 私は必ずこの暗黒の時期を乗り越えられる!」と言いました。

 初めてこの法を学んだとき、私はこのような状況にはならないと思っていました。自分が修煉が上達できるかどうかを疑うことはないと思っていました。しかし、29年修煉してきて、中共の迫害の形勢に直面し、中共への憎しみから、自分の修煉が上達できるかどうかを疑うという疑念が生じました。口では師父と大法を疑わないと言いながら、実は自分の内心の執着を覆い隠しているだけです。私は師父のこの法の一節を書き写し、時間があるたびに暗誦しました。翌朝起きると、心の中の暗い靄が消え、心も軽くなり、悲観的にならなくなりました。修煉に対してもかつての精進状態を取り戻し、まるであの落胆した気持ちなど全くなかったかのようでした。さらに重要なのは、法を学ぶときに心を静めることができるようになったことです。

 私に安逸心を取り除かせるために、師父はあらゆる方法で私に手がかりを与えてくださいました。その晩、明慧の文章を読んでいると、米国フロリダのある同修の投稿「魔難との長い旅』について悟る」を読みました。その中で引用されていた師父の『スイス法会での説法』の一節が、まるで私に語りかけているようでした。師父はこう言われています。「人は常人社会で、非常に楽に過ごし、災いも難も無く、毎日とても快適で、自由自在で、お金も足りていて、必要なものは全部あると感じると、神が人間に慈悲深く、人にとても優しいと思います。あなたに教えますが、神はこのようではありません。もし本当にそうなら、それはあなたに対してとても良くないのです」。私は突然理解しました。修煉とは苦の中で心性を向上させ、執着を取り除き、業を消す過程なのです! どうして安逸心を持って目の前の修煉環境から逃げ出そうとするのでしょうか? 中国大陸の修煉環境も師父の正法の配置であり、大法弟子としては師父と史前に交わした約束であり、必ずしっかりと果たしてこそ使命を完成できるのです!

 私は気づきました。中共への憎しみが思想業力の強大化と執着心の発生の根源です。憎しみは中共の本性であり、邪悪の具体的な表れです。修煉者はこの憎しみを取り除かなければなりません。師父は私の思想業力と憎しみの物質を消してくださり、さらに安逸心も取り除き、私の思想を正してくださいました。師父は私たちを救い成就させるために、本当に心を尽くしてくださいました! 師父は常に弟子のそばで守ってくださっています。

 私は自分に言い聞かせました。人心で法難の終結時期を想像してはいけません。すべては師父の正法が必要とする配置の中にあるのです! 師父はまさに衆生を救いに来られたのであり、弟子一人一人の状況をすべて非常に明確に把握されています。どんな執着を取り除くべきか師父はすべて配置されています。

 私はただ絶えず精進し、多く法を学び、法の中に溶け込み、いつでも正念を保ち、師を信じ法を信じる心を変えないことで、初めて師父の正法を助ける歴史的使命をしっかり完成させることができるのです。師尊に感謝します! 大法に感謝します!

 現段階の修煉経験について、同修の皆様のご指摘をお願いします。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/26/491018.html
 
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