肉を食べることへの執着と歯の痛み
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2025年3月25日】私が大法を学び始めた頃、我が家はとても貧しく、1年のうち数回しか肉を食べることができませんでした。そのため、肉に対する執着心を取り除くとき、特に感じることはありませんでした。というのも、私は数カ月も肉に触れることがなかったので、肉を食べないことに慣れていたからです。

 中国共産党(以下、中共)が法輪功を迫害し始めてから、私はやむを得ず家を離れることになりました。数年間、中共の不逞(ふてい:けしからぬ態度や行い)なやからにひどく追い詰められ、命の危険にさらされ続けましたが、最終的に生活はある程度安定しました。自分で働いてお金を稼ぎ、そのお金で資料を作る場所を設けました。家にいた頃よりも生活はずっと良くなりました。そのため、肉を食べる機会が増えましたが、それでも肉の味を感じることはありませんでした。

 その後、私は肉の味を感じるようになり、よく肉を食べるようになりました。肉を食べると、よく歯が痛くなり、最初は話すことで業力を作っているせいだと思い、口を修めようとしましたが、それでも歯の痛みは治りませんでした。それから、これは過去の業力を取り除いているのだろうと考えました。しかし、また別の考えが浮かびました。もしかして、肉が硬いことに関係があるのではないか? なぜなら、私はよく肉を炒めて硬くしてしまうからです。その後、肉が硬くならないように煮るようにしましたが、何度煮ても硬くなり、結局、歯の痛みは頻繁に起きました。

 時々私は思いました。「これは肉への執着を取り除くための修煉過程なのだろうか?」というのも、毎日肉を買って食べることが少し不自然だと感じていたからです。そして『轉法輪』に書かれていることを思い出しました。「彼のこの心を無くさせるためには、どうすればよいでしょうか? 肉を食べるとすぐに腹痛が起きるが、食べなければ痛くない、という状態が現われてきます」それを読んだとき、私は思いました。「私はお腹が痛くになっていないのです」

 このようにして、私は結局、肉をよく食べ続けました。何年も肉を食べ続け、何年も歯は痛み続けましたが、それが肉への執着を取り除く修煉の一環だとは気づきませんでした。

 その後、歯の痛みに耐えられなくなり、私は「もしかして、この歯の痛みは肉への執着を取り除くための啓示ではないか?」と考えました。しかし、考えたものの、私はまた肉を買ってきて、煮て食べようとしました。ところが、すぐに歯の痛みが再発し、肉を食べることが楽しみではなく、むしろ苦痛のように感じました。そこで私は決心し、肉を断つことにしました。その瞬間、歯の痛みがすぐに治ったのです。しかし、すでに煮て準備した肉を捨てるわけにもいかず、結局また食べましたが、歯は再び痛みました。ただし、その痛みは少し軽くなりました。ようやく肉を食べ終わった後「もう戒めよう、戒めよう、絶対に食べない!」と心に誓いました。そして、肉を食べなくなった後、歯の痛みは本当に治まり、歯も丈夫になりました。以前は、歯がぐらぐらしていて、とても弱く痛かったのです。

 しかし、実際には肉への執着心を完全に取り除いたわけではなく、ただ我慢しているだけでした。しばらくして、また我慢できずに肉を買ってきて、今回はそれを餃子に包んで食べました。少し怖い気持ちで食べましたが、再び歯が痛くなるのではないかと心配でした。翌日の朝、ふと気づくと、口の中の歯がすべて歯茎から浮き上がり、落ちそうな感じがして、とても驚きました。その時から、もう肉を食べないと心に決めました。すると、歯は次第に安定し、もとの状態に戻りました。私は執着心を取り除いた後に肉を食べることを期待しませんでした。なぜなら、執着していたことが本当に意味のないことだと感じたからです。

 なぜ他の人は肉への執着が強いとお腹が痛くなるのに、私は歯が痛くなったのだろう? 私は何年も歯の痛みが執着を取り除くためのものだと悟ることができませんでした。それは、お腹が痛くならなかったからです。後になって、私はこう思いました。大法の教えがあまりにも明確だったので、その通りに行えば、自分で悟ることがなくなります。なぜなら、修煉は悟りを通して進むものです。もし肉を食べるたびにお腹が痛くなっていたら「これは肉への執着を取り除くためだ」とすぐに分かり、それでは悟ったことにはなりません。自分で悟らなければ、それは修煉とは言えません。だから、師父は私に悟らせるために、別の方法を使われたのです。

 (編集責任者:李明)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/15/491160.html
 
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