目に見えるものが必ずしも真実とは限らない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年12月8日】私は1997年に修煉を始めたのですが、実際に修煉を始めたのは去年のことです。夫は私の修煉に反対していますが、娘は私と一緒に大法を学んでおり、お互いに励まし合い、お互いに間違いがあればその場で指摘しています。この点で、娘は私よりよくできています。しかし娘が私の執着心を指摘すると、私は常人の母親のようなやり方で対応し、長年にわたって、その家庭環境をずっと突破することができませんでした。

 慈悲なる師父は、執着心だらけの弟子を見捨てられませんでした。師父の法身のご按排の下で、今年ようやく学法グループを見つけることができました。しばらく集団学法をした後、同修の助けを得て、特に明慧ネットにアクセスできるようになり、法会での交流文章を読むことができました。その時、これまで自分の修煉があまりにも良くないことに気づきました。私は一切の人心、顕示心、闘争心、嫉妬心、恐れる心、安逸心、怨恨心、人に言われたくない心等を見つけ次第取り除き、精進して実修する決意をしました。

 最近、私にとって非常に衝撃的な出来事がありました。修煉がしっかりできていなかった為、これまで私には神の行いが現れることはありませんでしたが、昨日、師父の導きを見ることが出来ました。

 私は綺麗な服を見るのが好きで、買わなくても何か理由をつけて見に行くほどで、この執着がとても強かったのです。師父はこの心を取り除くために、私に恐ろしい場面を見せて下さいました。

 ある日、家で服を入れている包みを開けたところ、買ったばかりの新しい服に蟻がびっしりとたかっているのを見つけました。私はすぐ服に薬をスプレーして、袋で密封しました。それから家中のあちこちにも薬を散布しました。

 私は冷静になり、全てが偶然ではないことに気づきました。そして、自分の執着心を見つける為に座り込み、発正念をしました。「もしこれが低次元の邪悪な存在によるものなら、徹底的に根絶します。もし師父が私に「綺麗な服が好き」という執着を取り除かせようとしておられるのであれば、師父に「弟子は間違っていました、この執着心を必ず取り除きます」と言います。

 翌日、袋を開けて中の服を洗おうとしました。しかし、袋の中には服しかなく、一匹のアリの死骸すら見当たりませんでした。

 私はこの執着は物質であり、実在する悪いものであることに気づきました。私たちのそれぞれの執着心も非常に汚い悪い物質ではないでしょうか。私たちはまるでごみの山の中で、ごみを抱えて手放せないような状態だったのではないでしょうか。そして、目の前に見える全ては偽物ではないでしょうか。つまり自分の心がどう動くかによります。学法を通して、私は気づきました。世間の全ては偽物であり、その偽物に執着しても仕方がないのです。人間としての全てを手放すことで、私たちは圓満成就できるのではないでしょうか。物を手放してこそ、神の境地に向かうことができるのです。

 以上は個人のわずかな体験であり、法に符合していなければ同修の慈悲なるご指摘をお願いいます。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/9/484834.html
 
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