正々堂々と大法を修煉する(一)
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2013年10月12日】「修煉」という言葉を、私は小説と映画でしか聞いたことはありませんでした。それは私にとって、神秘的であり、なぜか憧れていました。1998年の夏、ある偶然の機会に、私は同僚から借りてきた『轉法輪』を通読しました。本を読んだ私は、著者が博学多才で、古今東西にわたり、天文地理などの知識に精通していることに感心しました。それ以上に、その中の道理は私が身を処する基準と同じでした。更に重要なことは、これが人に修煉を教える本だと分かったことでした。  

 それから、私の心はなぜかいつも喜びに満ちていて、毎日通勤しても、家事をしても疲れを感じず、時間さえあれば、本を手に取って読み、片時も手から放せないほど夢中でした。私は本をなかなか返却しようとしませんでしたが、1998年秋の末頃、同僚に本を返して欲しいと言われ、私はやっと当時の大法書籍全巻を取り寄せました。それから、私は修煉の道を歩み始め、今日に至りました。この短くて長い歳月の中で、私はあまりにも多くのことを経験し、あまりにも多くの収穫を得ました。それらのすべては、師父の慈悲なる加護のもとで歩んで来たのです。

 ここでいくつかの事を書き出して、師父と同修達にご報告いたします。

 一、すべての病気がいつの間にか消えた

 修煉前、私は結核性肋膜炎を患っており、胸水は深刻で、6カ月入院治療をしましたが、治りませんでした。私はこの病気を治療する薬にアレルギーを持っており、注射にも異常反応をするため、胸水は自ら吸収してくれるのを待つしかありませんでした。最後に、胸に卵ぐらいのこぶができ、胸腔癒着で、横隔膜角鈍化になりました。毎日午後になると、37度の微熱を出し、背中の左側はいつも大きな臼を背負っているように重く、くしゃみ、あくび、咳、腰を伸ばす時、左胸が痛くてたまりませんでした。医者はこのような状況は一生続くと言いました。そのほか、私は腎臓結石があり、時には左側の腰は汗が出るほど痛いのです。医者は石を排出する漢方薬を飲ませ、飲んだ後は、ぴょんぴょん跳びなさいと言いました。石を下へ出させるためだそうです。その苦しみは言葉で言い尽くせないものでした。その他に、気管支炎の持病もあり、冬になると症状が出て、呼吸はとても苦しくなります。また出産によって痔が出来て、焦ったり冷やしたりすると大変辛いものでした。最も耐え難いのは、私にはノイローゼの病症があり、毎晩よく眠れず、頭がいつもこんこんとしていました。そのころ、私はしょっちゅう休みを取り、いつも仕事を遅らせ、生活にも多くの不便をもたらし、同僚達は私のことを「現代の林黛玉」と呼んでいました。私はまだ40歳になっていないのに、今後の人生をどう過ごしたらいいだろうか、と悩みました。

 驚いたことに、修煉後、これらの病気はすべて知らないうちに消えてしまいました。その上、私は体がなくなったようにとても軽く感じて、どんなにたくさんの荷物を持っても、重さを感じませんし、階段を上っても疲れません。歩く時、自分が羽毛のように浮きあがるような感じで、その感覚はとても素晴らしいものでした! この時、私はやっと師父が私の病気を取り除いてくださったことが分かりました。

 私は感謝の気持ちで、いっそう精進し、真善忍の基準で自分を厳しく律して、絶えず自分の道徳水準を高めました。家族も同僚も非常に不思議に感じ、誰もが私は別人のように変わったと言いました。私は毎日元気いっぱい、力いっぱいで、あの林黛玉の片鱗すらなくなりました! このため、何人かの同僚も『轉法輪』を拝読するようになりました。

 二、人生の本当の意味を知り、道徳が向上する

 修煉した後の気持ちはとても言葉で言い表せません。生まれてからの悩み、嫌な事はすべて雲散霧消して、楽しみと幸せだけが残っているような感じでした。毎日、仕事、家事をする以外、すべての時間は法を学ぶことに費やし、会社と家にはそれぞれ一冊の『轉法輪』を置き、時間があれば法を読みました。朝3時半に起きて煉功し、『轉法輪』を早いときは、3日で一度通読しました。真に修める弟子は必ず真善忍に同化して、常人の中の名利情を捨て、よい人の中のよい人にならなければならないと分かりました。

 当時、家には80歳の姑と小学校に通う子供もいて、夫は仕事が忙しく、よく出張しました。私は仕事をしながら、家族の世話をしました。体調が万全だったため、毎日4、5時間だけ寝ても眠くなく、いつも元気いっぱいで、体中に使っても使い切れないほどの力がありました。体調が悪いせいで、仕事を遅らせることもなくなりました。会社では、自分で立て替えた薬代をまとめて請求していましたが、修煉後、同僚は私になぜ薬代の請求をしないのかと聞きました。私は「病気にならないから薬代の請求はありません」(修煉前、毎年2000~3000元の薬代を請求しました)と答えました! しかし同僚達はみんな私が馬鹿だと言い、自分が病気にならなくても、家族の薬代を請求すればよい、請求しなければ損だと言われました。私は真剣な顔で、「私は大法弟子です。私のものでなければ、わたしは要りません。得はしません。さもなければ、修煉者ではありません」と言いました。上司もこれに対してとてもよく理解してくれ、「さすがに大法弟子は違う」と言いました。

 私はその時まだ勤め先の図書館と書籍の仕入れの仕事を兼業していました。何人かのセールスマンは、私に本を購入させるため、1000元もする古典書籍のセットを贈ってくれました。修煉後、それは間違ったことだと分かり、私は自発的に本を図書館に返しました。次に本を買う時、私は購入価格を一番低い値段まで抑えて、会社の多くの費用を節約しました。セールスマンは「その値段の3割はあなたのものです。あなたは全部会社に返してしまう」と言いました。私は彼に「私は法輪功を修めています。本心に反することをしません」と言うと、彼は「あなた達の地域で、多くの企業や政府機関が私のところから本を買っています。あなたのような人はいません、本当に感心しました! 法輪功は本当に素晴らしいですね!」と言いました。

 私は修煉をしてから、心に表裏がなく、人に優しく、些細なことを一切けちらなくなりました。私は真善忍に基づいて厳しく自分を律して、何事も内に向けて探し、心はますます純正になり、同僚や友人は私をますます信用し、関係はますます良くなりました。

 修煉するに従って、道徳水準も絶えず向上し、大法の不思議をますます感じるようになりました。大法は人に善を教えるだけでなく、さらに人の道徳を先天の本性にまで昇華させ、つまり返本帰真させ、本来の素晴らしい天国の世界に戻らせ、私達の本当の故郷に帰らせることができます。それこそ人生の本当の意味である、と分かりました。また、師父がなぜこの大法を伝えられているかも少し分かりました。私は修煉の決意をさらに固めました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/1/280384.html)
 
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