明慧法会|同修を助ける際、自分をも修めなければならない(二)
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文/北京の大法弟子 静思

 【明慧日本2012年12月15日】 

 二、同修Cさんを助けて、内に向けて探すことの醍醐味を体験した

 私は小さい時から親切でよく周りを助けました。大きくなってからいわゆる「思想教育係」の仕事をしていたので、ある程度弁舌の才を持っています。 しかし党文化の害毒を受けて、大言壮語の説教っぽい習慣が身につきました。修煉してから、それは大法の中で規正できたと思います。! 修煉を始めて17年来、ちょうど今回、集団学法の環境に溶け込み、Aさんを助けることを通じて、修煉者のすべての能力は大法から与えられたもので、その能力を正しく活用すべ きと悟りました。修煉とは何か、どのように内に向けて自分を探すか、どのように自分の考えを正すかも悟ることができ、修煉の奥深さと不思議も感じました。

 Aさんを助ける経験のあと、私たちはまた数人の病業に出遭った年配の同修を助けて、乗り越えてもらいました。ここでみんながCさんを助けた過程を記録して、皆さんと分かち合いたいと思います。

 1、同修に正の要素を増やす

 年配の同修Cさんは1996年に修煉を始めた古い弟子です。修煉の初期、皆さんがかろうじて両足を組める時、彼女は既に長時間両足を組んで座禅をすることがで きました。時には2時間座禅を組んでも、苦に耐えられる人でした。しかしせっかちな性格でよく家族とけんかしました。6年前に脳血栓、高血圧の病状が現れ、何度も入院して、今でも普通に歩くことはできませんが、体の不便を克服して積極的に真相を伝えています。

 6年もの間、同修たちは進んで彼女と交流し、集まって長時間、彼女のために発正念をしています。しかしCさんは長期にわたって病業から抜け出すことができず、 主意識が弱く、内に向けて探すことを知らず、集団で発正念をする時、よく魔性が現れ、でたらめなことを喋りました。体をあちこち揺らして、自分をコントロールすることができませんでした 。みんな彼女に反感を持ち、彼女自身が変えないと他人も仕方がないと思いました。しかし彼女の状況をやはり気にかけて、同修は彼女に会ったら必ず情況を聞きます。彼女に何も変化がないのを見て、怒る口調で彼女を責めました。

 Aさんを助けた経験があったため、Cさんの状態では当分大きな学法チームに参加しないで、まず彼女の家に行って一緒に学法したほうが良いと決めました。私は仕事があって平日にはCさんの家に行くことができないので、Aさんを助けた経験がある同修のDさんと一緒に毎週日曜日にCさんの家に行くことにしました。同修 の間で長期にわたって存在している不満とCさんにもたらした良くない物質を一掃するように、Cさんに早く主意識と正念が戻るよう にと、同修たちは毎日発正念をしました。

 CさんもAさんと同じように、最初の1週間でとても良くなり、意識がはっきりて、発正念をする時に体も揺れなくなり、以前より歩けるようになりました。しかし1週間後、学法する時にじっと座ることができなくなり、喋ることはでたらめで、杖を使わないと歩けなくなり、失禁も始まりました。もともと和やかでない家庭関係は、いっそう緊張しました。彼女の夫は彼女が寝たきりになることを心配して、彼女に薬を飲ませようとして、2人は そのために口論をしました。最後に、Cさんは夫に抵抗できずに薬を飲み、主意識がもうろうとなり、以前の薬を探し出して飲むようになり好転の兆候が現れて2週間もしないうちに、状況はまた悪化しました。

 私とDさんはこういう良くない現状にも心が動じることなく、学法の回数を増やして、平日の仕事の帰りにもCさんの家に行きました。不思議なことに、私たちの気分が良くなく頭に良くない考えが現れる時、Cさんの状態も悪くなり、私たちが穏やかな時にはCさんも落ち着きました。私たちが愚痴や責める様な言葉をCさんに投げない時、Cさんも楽しそうに穏やかに過ごすことができました。

 私とDさんはしっかり自分を修めました。執着心が現れれば、見逃さずに修めて除去し、また現れれば、また見逃さずに修めて除去しました。探して、悟って、除去し、また探して、悟って、除去しました。同修との間に正の要素だけを加えて、旧勢力に間隔を作る隙を与えませんでした。私たちが内に向け て自分を修めることができるようになれば、Cさんの状態はきっと良くなる、と私とDさんは信じました。

 常人のために考え、大法弟子の風貌を表す

 Cさんの夫は来週の土日に出張するため、家にはCさんの面倒を見る人がいないことに焦っていました。これはちょうど局面打開の機会ではないかと私は思いました。 Cさんの家の困難を解決して常人に大法弟子の優しさを見せることで、Cさんの家族との距離を縮めることができますし、私たちとCさんはもっと多くの学法と交流ができ、近距離にいれば、きっと多くの執着心も暴露できます。なんと貴重な機会でしょうか!

 学法チームのみんなは相談して、来週土日に自分の家のことを置いて、Cさんの家で2日間付き添うことで合意しました。Cさんの夫にこのことを伝えると、とても喜びました。そこで、数人の大法弟子がその土日にCさんの家に行きました。ここでCさんと面識のない弟子について特に書きたいと思います。彼女は今年72 歳で、定年退職した教師です。この2日間にCさんの家に泊まる必要があると聞くと、彼女はすぐ寝泊りの用具を準備して、みんなについて来ました。無私に協力する彼女の 姿勢に私はとても感動しました。

 皆さんはまずCさんの家を大掃除して、窓ガラスを拭き、キッチンの油汚れもきれいに拭いて、家は塵一つないほどきれいになりました。同修たちは和やかな 雰囲気の中で学法をして交流しました。Cさんが内に向けて探すことができるように、何かあったら他人のために考えることを覚えられるように、魔性を除去して主意識がはっきりするように、みんなは頻繁に発正念をしました。

 Cさんの状況は時に良くなり時に悪くなり、他の同修の状態にも波がありました。しかしみんなはすぐ内に向けて自分を見ることができ、正念を持って良くない物質を 除去しました。学法をして正念を強め、内に向けて自分を探すという良性循環の下で、Cさんは次第に好転してきました。

 このような感動的なシーンもありました。日曜日の午前、学法と交流の後、大法弟子には病気があるべきでなく、旧勢力の按排を全面的に否定すべきだとCさんは悟ったので、私と他の同修はCさんに立ち上がって歩いてみましょうと励ましました。Cさんは杖をついてゆっくり居間に来て、私たちは『洪吟二』の「正念正行」を読みました、「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」。一句読んで、Cさんは一歩歩き、一句読んで、また一歩歩き、数分後にCさんは杖を捨てて一歩一歩と歩けるようになりまし た。同修たちは師父と大法に感謝して涙を浮かべました。

 たった2日間で、Cさんはまるで別人のようになりました。めったにベッドを降りない状態から、杖をついて歩き、そして杖を捨てて歩けるようになりました。先日まで、トイレに行く時には夫が特製した高さ20センチの階段を踏まないと行くことができませんでしたが、今はその階段を必要としなくなっています。夫は帰ってきた時、家の環境と妻の心身の変化を見て、大法弟子の力強い援助にたいへん感謝しました。その時に同修たちはただ「どういたしまして、これは私たちのするべきことです」と微笑みました。

 誤解された時でも、自分の不足を探す

 またこのような出来事がありました。初めてCさんの家に行った時、部屋は散らかりCさんは片付ける能力もないのを見て、彼女の意見を聞いてから、私は掃除 と整理をさせてもらいました。まず引き出しの中にある師父の各地の説法を時間順に並べ、部屋を掃除して衣服などを整理しました。彼女の夫は出かける 前に私に「ここ2日間の食事の仕度をお願いします。買い物の金はテレビの上に置いてあります」と頼みました。2日ほどなら冷蔵庫に残っている食材を食べたら十分だと思いましたが、彼の頼みに「了解しました」と言いました。しかし数日後、ある同修から「あなたが部屋を掃除した時、夫が残した300 元をごみとして捨てた、とCさんが言っていますよ」と言いました。突然のショックで私は思わず頭の中で「しまった! こんなに誤解されるなんて、もうCさんとは話をしない」と思いました。しかし冷静になったら、「いいえ、これは本当のCさんではなく、Cさんのは旧勢力に妨害されているのです。私は修煉者なので、内に向けて探せば、この出来事にきっと自分が除去すべきものがあるはずです」と考えました。

 私は数日前に明慧ラジオ放送局から聞いた、『誣告されても弁解しない、屈辱を忍耐し徳を修める』を思い出しました。古代の常州に魏という医者がいて、病人を診察した時に銀を盗んだと誣告されました。銀を盗られた病人にこれ以上辛い思いをさせないために、魏さんは何の弁解もせずに十両の銀を病人に渡 した、というストーリーでした。魏さんはただの常人で、無実の罪を着せられても心が動じることなく、自分を誣告した病人の気持ちを心配してあげることもできるのに、 私は大法の修煉者なのに、私は常人にも及ばないのでしょうか?

 師父は『精進要旨・忍とは何か』のなかで「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」と説かれました。

 私は心を静めて自分を探しました。Cさんの家を掃除した時、自分には多少自慢の心や顕示心がありました。そしてCさんの手伝いをしているといえども、彼女の了承を得ずに勝手に引き出しや衣類などを動かして、自分のやりたいようにやり、彼女の気持ちを考えませんでした。それは党文化の「自己中心」の現れです。誤解されたことに耐えられず、弁解したい心がありました。お金に絡むトラブルなので、自分にはきっと金銭に対する執着がまだ残っていたのでしょう。これらの執着心は必ず除去すると私は強い正念を発しました。その時、自分の空間場が透き通るようになったことを感じました。私は内に向けて探す中で向上したのです!

 内に向けて探したために、外部の状況も次第に変わってきました。数日後、Cさんから家でお金が見つかったと聞きました。トラブルは熱い鍋に入れられた氷のように、瞬時に姿を消しました。修煉とはこんなに簡単なものなのでしょうか!

 同修を助ける中で、師父のご加護と啓示があり、集団での修煉環境の機会があり、同修間のトラブルもあります。衝突とトラブルを経験し、心性の摩擦に耐えて、内に向けて探して修めることを私は本当に教わりました。

 済度してくださった偉大な師父、ありがとうございます! 同修たちの無私なる助けに感謝します!

 (完)

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/20/265183.html)
 
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