明慧法会|常に法理に照らし、初心を忘れず修煉する(二)
■ 印刷版
 

文/湖北省の大法弟子

 【明慧日本2012年11月28日】

 三、比して学び、比して修す

 師父は弟子に「比して学び比して修す」環境を作ってくださり、私は大切にしていました。7.20の前に地元では法会や交流会が多く、私は真面目に同修の修煉体験を聞き、同修のすぐれているところを覚えて、自分の短所を正そうと思いました。集団で煉功をする時、同修が足が痛くても下ろさないのを見て、私も下ろすのは恥ずかしいと思って下ろしませんでした。私は比して学び比して修し続けて、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」(『転法輪』)と、静座の痛みを何年も耐えてきました。インターネットができるようになった後に、明慧ネットの修煉体験の文章は全部読みました。同修が良く行った文章を見ると、心の中にはいつも自責の念が出てきて、時々読みながら涙が出て、同修の長所をいつも心に覚えました。私は自分が比して学び比して修すだけではなく、読んだ内容を集団学法の同修たちに伝えて一緒に交流しました。

 着実に修煉する中で、私はいつも大法に照らして、真相資料を配る時いつも正念を堅持しました。ただ一度だけ、私は資料をほとんど配り終えた後、資料がもう少しだけになったので気が緩んでしまい、ただ任務を完成したという人心を持った時、すぐに旧勢力に隙に乗じられました。私は人に泥棒だと言われて、全村の人に監視され、派出所のパトカーが来ましたが、私は怖くなく、すぐ師父に助けをお願いしながら、内に向けて執着心を見つけました。その時パトカーは私を職場の入り口に送ってくれて無事でした。その事件が唯一の例外で、それから私は二度と人心を持ちませんでした。

 「比して学び比して修する」中で、法を学ばず人から学ぶようなことをしないで、逆に同修がどうすれば法に同化できるかを法理に照らし合わせました。一度、私たちは数十メートルの大きな旗を掛けようと決めました。場所を選んでから、私たちはまず集団学法して状態をよく調整し、夜中の1時ぐらいに旗を賑やかな交差点のビルの下に掛けました。順調にできたため、歓喜心が出てきました。掛ける前に風が吹いていましたが、掛けている時に風が止み、歓喜心が出てきてからまた風が吹いてきました。みんな一緒に歓喜心を取り除こうとした途端に、風は止みました。本当に心が動じなければ風は止むのでした。

 すべての事を法に照らせば法は超常さを表し、逆に人心を持って実証すれば問題が出てきます。一度、私は真相資料を配るために真っ暗な夜中に共同墓地を通った時、人心が出て恐ろしいと感じました。私はすぐに法に照らし、師父の法身が守ってくださり、天龍八部が法を守ることを思い出した途端、完全に怖くなくなりました。気持ちが落ち着かない時や、何か物事に出遭う時にいつも法に照らすことが私の習慣になりました。師父の法理を真面目に学んでよく行えば、どんなことでも法に照らして、すぐに執着心がはっきり見え、隠すことができませんでした。今もし衝突やあることが突然出てきたら、私はすぐにそれは偶然ではなく法理に照らして自分が間違ったのか、どこがよくやっていないのか、他人は損を受けて耐えられるのかなどを考えました。旧勢力が按排したことが表れたら私はすぐ認識できました。それは全て事々対照した結果なのです。

 四、真相を伝え、法理を理解し、初心を忘れず修煉する

 2002年初めに私は、地方の中心都市の洗脳班に連行され、転向させられましたが、数日後にすぐ目が覚めました。出た後に私は再度北京の天安門広場に法を実証しに行き、無事に帰ってきました。私は失敗から学び、昔からずっと取り除いていない闘争心があったため、転んだのです。それから、私は完全に変わり、どんな指摘でも受け入れることができ、事に遭うときに落ち着いて不快なことを聞くといつも自分に不平不満の心があるかどうかを捜し、怒ることなく穏やかに人に接して謙虚に物事に対処することが習慣になりました。

 三つのことはずっと着実にやっていましたが、精進している同修に比べると恥ずかしく思いました。四つの正時に必ず正念を発しましたが、ほかの正時にはあまりやらなかったのです。資料を配ったり、貼ったりして、真相もよく伝えました。一度、清明節に実家へ帰るとき、乗ったバスの運転手さんに頼んで、バスのなかで神韻のDVDを再生してもらい、バスの皆はとても興奮しました。中の1人は50元でDVDを買いたいと言いましたが、私は「ただであげるので売りません」と返事しました。隣の人が小さい声で私に「彼は外地の国家安全局に勤めて、法輪功のことを担当する私服警官なので、安全に注意してね」と言ってくれ、私は「どうもありがとうございました」と返事しました。

 私の親戚に公安部門で仕事をする人がいて、中には法輪功修煉者への迫害を担当する人がいました。彼らの中に、共産党を脱退していない人がまだいましたが、私はずっと真相を伝え続けました。彼らは因果応報を心配したので、法輪功を迫害してはいけないと分かっていました。私は彼らに全ての条件を使って大法弟子を守ってほしい、絶対に傷つけてはいけないと伝えると、彼らは黙って良いことをやりました。

 私は真相資料を政府機関のテーブルに置いたり、『九評共産党』を上司や幹部に渡したりして、真相を中央の指揮機関まで伝えましたが、すべては師父が加持してくださったのです。高校で教えていた数年間に、授業を受けた学生は皆深い影響を受けました。私は起源と原理から分析して、少しずつ真相を伝えていたため、聞いた学生たちに深い印象を残し、論理性を強く保ちました。私は真相を伝えるために、たくさん基礎の仕事を準備しておき、工場や村からの講座の誘いがあった時(中に私が伝えた真相を聞いて、深い印象が残った人がいたため)、たくさんの人が集まって、物語を聞いているような情況でした。しかし、この数年来、私が三退させた人は多くなく、数千や万以上の人を三退させた同修に比べると、私は非常に恥ずかしく思いました。

 この数年間に、私は法理上で悟り、心性を守って無謀なことをしないという法理をよく覚えていました。心を修めて欲望を断ち、明慧不惑の法理を忘れず、何層も重なる色欲を着実に取り除いていきました。世の中の利益や常人の好みをだんだん軽減して情熱がなくなりました。1年365日私は学法や煉功をしなかった日はありませんでした。学法と煉功、心性を修めることは私の生活で自然な習慣になり、いつも人々を救い済度することを肝に銘じました。それは恩師から任せられた史前の大願でもありました。「法を学びて法を得る 比して学び比して修す 事々対照し 做すところ到るはこれ修なり」(『洪吟』「實修」)は、もう生活の必然になり、すべては当然なことのように、情熱を減らすことなく、初心を忘れず修煉していきたいと思います。

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/22/249151.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/4/129852.html)
 
関連文章