堅い選択(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年11月16日】

 全身の病気が治った

 私は1998年から法輪大法の修煉を始めました。修煉を始める前、私はお腹の中にこぶができて、胆嚢に結石がいっぱい詰まって、それから心臓病や関節炎など、全身の至るところに病気を抱えていました。こぶと結石は病院で検査したら、手術が必要だと言われました。主人に伝えると、主人はまずこぶを取り除いて、体が回復したら、次に結石の手術をしようと言いました。そうしたらどれだけの医療費がかかるでしょうか。主人が一人で仕事をしているため、三人の在学中の子供を養うのですでに大変でした。それに私自身は毎日病気に苦しんで、体が骨だらけになるまで痩せて、その苦しみは言い表せませんでした。

 自分ではどうしようもない時、同じマンションに住んでいた仲の良い姉妹が私に「大法を習ってみませんか? 今晩幼稚園で師父の講法ビデオを放送するから、見に行きませんか」と声をかけました。私は特に気にしませんでした。

 私は毎日病院へ行き、1回50元で点滴を受けていましたが、効果がなかったので、その日はやめようと考えて、病院へは行かない事にしました。

 それで、私は夜にマンションの下で散歩をしたのですが、おかしなことにいつもなら人がいっぱいいるはずなのに、その日はなぜか一人もいませんでした。それで私は幼稚園へ行ってみると、床に座布団がいっぱい敷いてありました。皆は私を見てとても親切で、座禅も教えてくれました。それから少し時間が経つと、師父の講法のビデオが放映され、私は何も考えずに、そこに座って静かに見ていて、無意識に目を閉じると違う格好の師父が見えたので、師父は普通の人ではないと思いました! 家に帰って気分もだいぶ良くなって、一晩良く眠れて、不思議だなと思いました!

 九講の講法を見終わって、体力もつきました。私は毎朝公園へ煉功に行って、夜は皆と法を勉強して、時には外地へ法を広めに行きました。私はまるで迷子が母親を見つけたように、とても嬉しかったです。しかし、私は一年しか学校に通ったことがなく、大法の本を読めなくて、家に帰って焦りで泣いてしまったこともありました。それから家族に教わって、また師父が下さった知恵により、だんだんと本が読めるようになりました。法を得た日から私はテレビを見なくなって、毎日法の勉強と煉功に集中しました。

 堅い選択

 修煉を始めてから一年も経たないうちに、邪悪による迫害が始まりました。こんなに良い師父とこんなに良い大法なのに、邪悪な共産党は許せないと思い、私は焦りを感じると同時にとても辛かったです。主人は「家でやってください。誰もかまう権利はありません」と言いました。大法の中で益を受けた私としては、私に新たな生きる道を与えられた師父が無実の罪を被せられ、大法が迫害されるのを見ていられませんでした。同修は機械を買ってきて、真相資料を作り、私は配りに行ったり、同修に資料を届けに行ったりしたので、これを見た主人は私を配達員と呼びました。

 ある日、真相資料を持って外へ出かけようとするとき、主人はかんかんに怒って「あなたには家なんていらないんじゃないか?」と言ってきました。私は「要ります!」と答えました。主人はどうしても私を外へ行かせませんでした。私は「あなたの良心はどこに行きましたか? 大法から益を受け、しかし大法が迫害に遭った時、あなたはよく知らないふりができますね。私はこの家も要るし、人も救い済度します。今私を止めたら、私は北京へ法を実証しに行きます。どっちにするかあなたが選びなさい」と言いました。私の堅い意志を見て彼は妥協しました。

 時に主人は外で、邪悪の人に私をよく見張るようにと言われ、彼は家に帰って来て私に弱音を吐きました。私は「以前、私にできたこぶが良性なのか悪性なのか、あなたは知っていますか? 2回の手術代だけで数万元かかるのを、あなたに払えましたか? この命は師父が下さり、大法が与えて下さったもので、大法を実証するのは私の責任です」と言いました。その日から、彼は家にいる時、いつも私と一緒に資料を配り、横断幕をかけに行きました。

 ある日、同修は警察を家に連れて来て、大法の本を奪い取り、私と家をビデオカメラで撮影し、テレビで半月も放送しました。また私を警察署へ連行して、経文はどこからもらったのかと聞きました。私が自分で写したと答えると、彼らは怒鳴りましたが、私は怖がりませんでした。師父が無実の罪を受け、大法が迫害されていることを思うと、私は黙ってはいられなかったので、自分が修煉してからどんな病気でも治ったことから始めて、ずっと彼らに伝えました。

 息子は放課後家に帰り、めちゃくちゃになった家を見て、体も震えて、周りの同郷たちに私が連行されたと告げました。彼らはあちこちと私を探し回りました。警察は主人の会社へ電話をかけて、会社の科長が警察署に来たとき、同郷たちも辿り着きました。私は相変わらず彼らに伝え続け、その時はまだ真相を伝えることは知らなかったのですが、彼らは怖がって私に目配せをしました。それから警察は私を家まで送りました。夜、司法局の所長が来て、私に修煉しないよう命じました。私は「あなたたちはみな間違っています。かつて私のお腹に二つのこぶがあり、胆嚢に結石がいっぱい詰まって、2回の手術が必要でした。主人1人の収入で、両親と子供を養うのが精一杯で、治療に使うお金はどこから手に入れるのですか? あなたたちが借りてくれるのですか?」と言いました。私を説得できないのを見て、私があまりにも深く迷信に入り込んでしまったと言いました。

 彼らは主人に家へ帰るように電話をしました。その夜、主人は電車に乗っていた時、車内で、法輪功を撲滅できないわけがない。彼らを捕まえたら全部死刑にしてやると言う人を見ました。主人は、あなたたちはそういうふうに言うべきではありません。彼らも自分の健康のためにやっているのだから、何の罪を犯したのですか? なぜ死刑まで受けるのかと言いました。彼らは、それはそうですねと言い、再び何も言いませんでした。

 家に帰った翌日、区内から数人の私服警察が来て、私を連行しました。彼らは代わる代わる私を転化させようと考えましたが、師父が知恵を下さり、彼らは返答に窮して、机を叩いたり、板で殴ったりしました。正午の12時まで続きましたが、私は怖くありませんでした。それから私を説得して署名させようとしましたが、私が署名を拒否したため、彼らは場が収まらないと見て、私に無理やり拇印を押させました。

 家に帰って私は大いに泣きました。師父と大法に申し訳ございませんし、自分にも済まなかったです。主人は泣かないよう慰めてくれて、師父はきっと許してくれると言いました。それから住民委員会の主任が区の人を連れ、三書を書かせ、サインをもらいに来た時、私はすべて断りました。私は彼らに問いました。「私が何の悪い事をしたのですか? テレビで半月も放送されて、もし私がこのような目に遭ったため、どうして耐えられなくて死んでしまったら、あなたたちは邪悪な共産党の迫害で死を招いたと言うのではなく、きっと法輪功をやっているから死んだのだと言うのでしょう」彼らは「それはそうですよ。あなたが死んだら、中央テレビ(CCTV)までも放送するでしょう」と言いました。「あなたたちも分かっていますよね。あなたたちに心の底から本心を言います。もし私の命であなたたちが法輪功を修煉することに換えられるなら、私は自分の心を取り出して差し上げてもかまいません」「私の師父は世界一番いい師父です。師父と大法のおかげで、私の命を救えました。ただし、私の師父は私から水一滴、ご飯一粒すら取らず、なおさら一文のお金も取りません!」と泣きました。彼らは「それなら、家でやってください」と言いました。

 武装部長もやって来て、彼は、私と同じ名字で元々一つの家族だから、将来あなたの息子が部隊へ入るなら私に任せてくださいと言いました。彼の目的は私が知っているので、この手段で私を騙そうとしていると思って、彼の思い通りにさせるわけにはいきませんでした。私は彼に真相を告げ、彼は私を説得できないと見て、私の長女を呼んできました。私は娘に本当のことを言ってあげてくださいと言いました。お母さんが法輪功をやってからどうかと彼が娘に聞くと、娘は「とてもありがたいと思います。以前は病気で毎日薬を飲んでいましたが、今は体が良くなったので、私は反対しません」と言いました。彼は「この母親にして、この娘ありだ」と怒りました。それから誰も私のところに邪魔をしに来ませんでした。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/3/264662.html)
 
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