大法を盗み、破壊する一切の行為を根絶しよう
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 明慧日本2012812日】「奇人甲」というシリーズ文章が大紀元などのメディアから削除されたことについて、事件に関与した当事者全員、そしてこの件を見聞きした全ての大法学習者は今一度深く考えるべきです。なぜこのような文章が書かれたのでしょうか? なぜ多くの学習者は熱心にそれを薦め、宣伝してきたのでしょうか? 修煉者としての状態保たれていますか? なぜ事態がますます深刻化たのでしょうか?

 師父の話を自分の話とし、師父の法に自分の認識を混ぜ込んで話し、また皆に「最も難解な問題、答えが見つからない問題」の全てを自分に提出させ、そうして「まとめて回答する」などなど、このような人と事の現れ初めてではなく、このよう事を運んでいるのは一人ではありませんが、しかし、この類の事の性質非常に悪く、既に大法を盗み、大法を破壊しています。 

 師父が大法弟子に伝えられている法古来にない唯一の真法で、未来の新宇宙に関わる真相であり、仙人すら知らなかった天機です。真の大法弟子の修煉状態にいるなら、師父の法に恩を知り、恭しい心を抱き、「法を師とする」気持ちで着実に自分の心性を修め、大法を実証し衆生を救うことが第一だと思うべきであって、法を盗んで自分を実証し、師父の真法を他人を誘導するための自分の道具にすべきではありません。正しい修煉状態にいるなら、見聞きした他の道理などに惑わされず、何か変動があれば容易にその大言壮語する人、何でも大胆に言える人、そして天目で見たものに正しく対処できない人に追随しないでしょう。

 異なった意見を表明し、新しいものを創出したり、自分を実証したり、好奇心や歓喜心、そして顕示心など、これらの人心いつまで除去できないなら、宇宙にいる良くない生命はこれらを利用し、師父法を正し衆生を救うことに妨害引き起こします。心を正しく持てない場合、往々にして壊されるの自分だけではありません。

 師父は転法輪第三講の中で、偽の法門の発生と変遷過程について説かれました。精進要旨』「佛性に漏れなしの中でも、「わたしは法の中で幾度となく説いたことがありますが、釈教の経書と末法の出現は、主に一部の人が自分の話、自分の認識を佛法の中に混ぜ入れたことによって引き起こされたことです。これは歴史上、最大の教訓です。ところが、どうしても常人の心を取り除くことができず、弁才、文才を顕示する心に執着する魔性に利用されて、知らぬ間に佛法を破壊している弟子がいるのです。」のように説かれました。北米第一回法会での説法の中で、師父は以下のように弟子を訓戒しました。「つまり、あなたがこの法から何を会得したのか、それがどういうものなのかを話せば良いのです。更に、この法の中に非常に大きな内涵があり、これは私の今の境地で会得したものだけだと付け加えればよいのです。これは大法を破壊しているのではありません。または先生がどのようにおっしゃったのかを言って、本人に認識してもらえばよいのです。」また、転法輪法解』「済南での講法質疑応答の中で師父はおっしゃいました。「わたしの法とはつまりわたしが話したことで、統一的なものです。わたしが話したことは、わたし個人の観点を話す時、せいぜい本の中にはどうこう書いてあるとか、あるいは先生はどうこう話したとか言うことができるだけです。最も良いのは本を読むことです。あなたはわたしの話をあなたの言葉として話してはいけません。そうすると、それはもうそのような効果を及ばさないばかりか、しかも法を盗む行為になります。」

 師父の法が世に伝えられてまだ二十年ですが、一部の弟子、学習者は既にその教えを忘れてしまったのですか 師父の法の中の警鐘と訓戒を忘れ、何あればすぐに破壊作用を働くなら、それ修めることですか? 自分がいかにして新宇宙に済度され、いかにして師父法を正し衆生を救い済度することけられますか? 全ての大法弟子が大法を大切にし、修煉を大切にすることを願います。そして理性と正念を持って自分をよく修めることによって初めて神聖な誓いを果たすことができます。

明慧編集部        
2012811       

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/11/261450.html)
 
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