明慧法会|鍛煉
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文/重慶市の大法小弟子

 【明慧日本2012年12月3日】私は14歳の大法子ども弟子です。両親が共に修煉しているため、私は生まれた時から自然に大法の恵みを受けて育ちました。

 両親の話によると、私には幼い時から多くの不思議な出来事にあったそうです。例えば、道路で猛スピードで走ってくる車に轢かれそうになった時、その車は私とすれすれで走り去り、私は無事だったことや、コンセントからプラグを抜く時、220Vの電流に触れた時も、私はちょっと麻痺を感じただけでした。私は小さい時から双盤ができ、小学校に通う前から『転法輪』を通読出来るようになっていたそうです。

 今、私は中学校に通っています。多くの家族はこの時期の子供を心配しています。なぜなら、子供は成長と共に外部からの汚染を受けやすく、今後の成長に影響が残るからだそうです。

 小学5年の時、私はマンガにはまり、勉強にも影響をきたしました。それを意識できた時は既に遅く、マンガのいろいろな画面がいつも脳裏に浮かび、親からのどんな説諭も受け入れませんでした。母親からはしっかり学法するように勧められました。学法の際、師父の説法の一節一節がまさに私の事を言っているように感じ、私は学法を通じて徐々に自分の執着の本質を見抜いて、マンガへの未練を捨てました。

 中学校に入ってから私は新たな問題――仲間外れに遭いました。私は現代化された変異した音楽や美術、服飾、娯楽などに興味がなく、友達の雑談にも加わりたくなく、段々と寂しく感じるようになりました。その後トラブルが相次ぎました。成績が落ち、毎晩12時を過ぎても宿題を終えることができず、唯一の友達が突然私と反目するようになり、両親は私に大法弟子らしさがないと言い、早朝の煉功時も起こしてくれませんでした。さらにまずいことに、私は一人の男性に好感を持つようになり、いつもドキドキして、どうすればいいか分からなくなりました。当時、私の修煉状態は非常に悪く、多くのトラブルが一気に来て、全く経験のない私はよく一人泣きして、思想業力も脳裏の中で川のように流れて、雑念で頭がいっぱいでした。師父がおっしゃるように、「百の苦一斉に降る、其の如何に活くかを看る」(『洪吟』「苦其心志」)でした。

 私は修煉を続けるのか、やめのるか、真剣に考え始めました。私はまだ修煉者でしょうか? その時期、私はいつも一人でじっくり考えていました。修煉をやめてはいけません。私は多くの奇跡と心身の大きな変化を経験してきました。消えては現れる人心によって、私は両親の話を耳障りに感じましたが、友達を怒らせたくもありませんでした。しかし、いくら辛くても、私に出来るのは学法だけだと思いました。ストレスと迷いの中で学法する時、何とも言えない気持ちでした。自分はまだ修煉者であるかどうか疑いながらも、心を落ち着かせて法を読まなければなりませんでした。身近な同修と交流する機会がないので、私はよく明慧の文章を読んでいました。

 学法を多くするにつれて深い法理が分かり、私に他の選択はないことに気付きました。私がここに遣わされたのは大きな使命を完成し、自分の誓約を果たすためでした。「迷いに満ちる人生の歩みに苦難は絶え間ない。人間として生まれ前は天上の王である。探し求め、法を得る為に世に下り、法を得た以上は精進のみとし、登り道に歩を誤ってはいけない」(『洪吟三』「尋」) 千万年の輪廻でも私の本性を覆い隠せないのに、一時の事で足踏みしてはいけません。法による指導により、私はもう迷いませんでした。

 その後、私は毎日自分の執着と戦い、友達が怒れば穏やかに言葉をかけ、両親の聞きづらい話を私は出来るだけ法に沿って判断し、情の問題に関しては、私は出来るだけ自分を抑制しました。毎回トラブルに遭う際、私が自分に言い聞かせたのは、「大丈夫、法があれば何も恐れる必要はなく、時が過ぎればよくなる」でした。当時、自分が直面した関の本質が何だったのか、よく分かりませんでしたが、自分に対して自信を持つようになりました。

 師父はこう説かれました。「悟りが先にあって見えるのは後のことで、心を修めて業を取り去り、本性が現れて初めて見ることができるのです」(『精進要旨』「何のために見えないのか」) 私が自分を少しずつ正していくうちに、周辺のすべても徐々に変わっていきました。友達の怒りに私は徳を持って接することで、周囲のクラスメートも私に近づくようになりました。また、両親と交流を試みた際、彼らは自分の問題を認識し、大法弟子らしくない発言を控えました。あの情はすごい勢いで来たのですが、私は妥協せず、慈悲を修めるように努力しました。今その男の子が私の隣席に座っていますが、私には良くない念が全くありません。最も変化が大きかったのは私の友達でした。私は大法の法理を彼女に聞かせ、彼女も徐々に穏やかになりました。ある日彼女にこう聞かれました。「あなたは多くの人を変えたでしょう。そして私も変えたね」 私は微笑みながら「真に人を変えられるのは大法です」と答えました。中学2年の終わり頃、担任の先生が私の期末評価にこう書かれました。「あなたには正気が漂っています。先生はあなたに安心し、クラスメートはあなたに敬服しています」

 1999年7.20以後、新旧の修煉者は修煉を続けるか、やめるかの選択を迫られました。この巨大な魔難は私達の各種の人心に対する大きな試練となり、多くの修煉者は自分の心性を高め、人心を取り除き、真の大法弟子になりました。実際、1999年の前に法を得た人であれ、その後に法を得た人であれ、皆が一度この試練に直面しなければなりません。私は真に自分を修め、多くの人に真相を伝え、大法の素晴らしさを知ってもらうことで師父の御恩に報いるしかないと思います。

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/8/264956.html)
 
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