他空間からの自身への妨害と破壊を取り除くことに注意しよう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年10月16日】最近「真に修めなければならない」という交流文を読んで、周りの状況とあわせて、他空間からの私たちの修煉への妨害と破壊を取り除くことにおいての自分の認識を話してみたいと思います。

 私は長い間、修煉上において精進することが出来ず、突破したいのですが、どうしてもできないと感じていました。その時の認識は、自身の修煉への決意が足りないためだと思っていましたが、最近同修が書いた数編の他空間からの私たちへの妨害についての文章を読んで、新たな認識が生じました。私たちが精進できず、または魔難の中に陥る原因は往々にして、よく行なっていないからではなく(大法弟子のよくできていないところは法の中で正される)、時には他空間の邪悪からの妨害を軽視したため、人為的に魔難を増やしてしまったことにあります。師父が『精進要旨』「道法」の中で説かれました。「魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することがでず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています。本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです」

 大法弟子が関を乗り越えられなかったことも、ただ修煉における過程であり、真に修煉する弟子は大法の法理に基づいて段々と正されるのだと私は悟りました。他空間の邪悪は私たちの修煉の不足を利用して、執着を拡大し、加えた妨害と破壊は壊滅的なものなので、決して認めてはならず、受動的に耐えることはなおさらしてはならず、必ず厳粛に取り除くべきです! 師父は『精進要旨』「正念の作用」の中で明確に説かれました。「わたしが弟子たちに正念を発するようにと指示したのは、それらのいわゆる邪悪が実は何者でもないからです。しかし、大法弟子の慈悲が旧勢力に利用され、そうしたものの保護下にある邪悪な生命が故意に迫害しているため、大法弟子はすでに自分自身の業力だけではなく、邪悪な生命による迫害の下、耐えるべきではないものまで耐えているのです。しかも、それらの邪悪な生命はまた極めて次元が低く、卑劣なもので、法を正す中でいささかの作用も果たす資格はありません。大法、さらには大法弟子に対する迫害を軽減するため、わたしは弟子たちに正念を発するように教えました。それらのものが法を正すことに故意に及ぼした破壊の作用を一掃することによって、迫害の中で大法弟子にとって耐えるべきではないものを減らすと同時に、衆生を救い済度し、大法弟子の世界を圓満なるものにしているのです」

 私は他空間からの妨害と破壊を一掃すべきだと悟ってから、すぐに長時間の正念を発し始め、自分の空間場を一掃する時間も増やしました。正念を発する中で以前悟っていなかった多くの法理が分かるようになり、今は段々と頭がはっきりするようになり、以前いつも疲れを感じていた体も軽く感じ、今までは朝の座禅の時、いつもうとうとと眠りそうな状態でしたが、現在ははっきりして、家庭と周囲の環境の良くない状態もそれに伴って変わりました。しかし、これはただ数回の正念を発しただけなのです!

 私の周囲の同修の中には、家庭の魔難の中に陥った人もいるし、邪悪に迫害され病業で亡くなった人もいました。彼らは他空間からの迫害を軽視したために、魔難の期間を延ばしたのかもしれないと、今振り返って悟りました。あるいは正念を発しても、理性的に認識できず、その形式を捉えただけかもしれず、そのために大きく作用を発揮できなかったのです。もう一つは継続することで、邪悪を一掃することは最後になくなるまで続けなければなりません! 以上のことを全てできたら、すぐに魔難から抜け出す事ができると思います。

 今なお家庭の魔難や病業と戦っている同修は『精進要旨』「道法」、「正念の作用」、「忍の限界」、「大法弟子の正念は威力あるものである」などの経文をたくさん読んで、消極的かつ受動的に迫害に耐えることのないように提案します。すべての大法弟子が法理をはっきり認識し、正念を持って正しく行い最後の道をより良く歩むことを願っています。

 以上は個人の悟りです。不適当なところは指摘をお願いします!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/14/263976.html)
 
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