妨害から内に向けて自分を探す
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年10月8日】

 明慧編集部の文章「大法を盗み、破壊する一切の行為を根絶しよう」を読んで驚きました。小説『蒼宇劫』の事件からもう一度、戒められました。これは本当の修煉者としての状態でしょうか? どうして長年の修煉を経ても、理性的になり成熟することができないのでしょうか? 執着があって回覧したり、議論したり、理性的に把握できませんでした。「大法を盗み、破壊する一切の行為を根絶しよう」の中に書いてあった通り、「異なった意見を表明し、新しいものを創出したり、自分を実証したり、好奇心や歓喜心、そして顕示心など、これらの人心をいつまでも除去できないなら、宇宙にいる良くない生命はこれらを利用し、師父が法を正し衆生を救うことに妨害を引き起こします。心を正しく持てない場合、往々にして壊されるのは自分だけではありません」書いた方も読んだ方も、これらの執着心があり、同じく危険です。

 内に向けて探すと、原因は主に修煉の厳しさに対する認識不足でした。師父は法の中で何回も私達を注意されました。修煉は厳しいです。ちょうどこの面の修煉が足りておらず、大法のことをしても自分の好みが入り、出来た物も不純になり、衆生を救う効果が得られず、これでは悪い影響を与えるのではないでしょうか? 恐らくその通りです。好奇心から、私も宣伝しました。例えば、ある同修はインターネットをしないため、私の所へインターネットでダウンロードしたものを取りに来たとき、私はインターネットで見たニュースをよく同修に伝えました。これがよくないことなのは知っていましたが、「一つ執着をあげるよ」と冗談を言っていました。また、大体の時は把握できるのですが、時々同修の要求に従って、小さな御守りとか、少し大きなカードを作りました。いつの間にか夢中になって、学法に支障をきたしてしまい、修煉状態も悪くなりました。自分の修煉がよくできた時、師父から頂いた能力をよく運用して、確かに私は師父が法を正すことを手伝うことができます。しかし、常に冷静で理性的にはなれず、執着心から誤り、曲がりくねった道に入って、身も心も疲れ果てて、進歩できませんでした。大法弟子の状態におらず、三つのこともよくできないし、執着心も放棄できないし、邪魔がたくさんありました。

 主意識が弱いのも妨害の一つです。学法するときは落ち着かない状態で、読んでいても、まったく心の中に入りませんでした。静功をするときには寝てしまったり、発正念するときは掌が倒れてしまいました。主意識がなくなり、他人のために煉功しました。これは私の悩みですが、集中して取り除きたいと思います。慌てて目的を達成しようと思うのも執着心です。落ち着かなければ進歩できません。表面的には忙しそうですが、学法するときは仕事のことを考えています。仕事をするときは学法のことを考えています。かえって何もできなくなりました。

 師父と大法を信じることについて、自分の内に向けて自問します。他空間のことを書いた文章を読んだり、天目から見た素晴らしいことを聞くのを楽しんでいます。私が思うに、師父が話した内容は他の誰が話した内容よりも素晴らしく、もっと多種多様です。低次元の内容を追いかけるのは本末転倒ではないでしょうか? 私がこの原因を探すと、師父のお話が良く見えないことには理由がありました。大法は高くて登れないし、理解できない法がいっぱいあり、間違って悟ることもできないし、さもなければ師父と法に対して不敬になるから、やはり難しいと、私は感じていました。しかし、同修が書いたものは違います。中身が人目を引くものほど、楽に読むことができます。執着心は人間の情と符合することで楽になります。これらの物を見ることは、低次元からの妨害ですから、さらに修煉者の状態から離れていきます。探していないときは何ともなかったのですが、探してみたら驚きました。これはとても危険です。この執着心を取り除いて、本当に師父と法のことを信じて、もっと真剣に学法します。天目が見えるかどうかに関わらず、私が知りたいことは全て法の中にあります。

 不適切な部分があれば慈悲なご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/27/262037.html)
 
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