正念をもって同修に協力し、生死の関門を突破する(二)
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2013年9月21日】その時、一部の同修は理解できず、彼らの帰宅の提案を受け入れないと、私に言いました。それに対して、私は彼らと多くは話しませんでした。私は師父の法を思い出しました。「神は違います。神は彼の能力の範囲内で宇宙の中の全ての粒子において同じ問題がどういう結果になるのかを見ています。神が立体的、全方位から物事を見ているので、神が按配したことは多くの目的に達することができます」[2]。その時、私は夫には命の危険がない、それは時間の問題だけだと思いました。それより多く考えたのは大法の不思議さを常人たちに目撃させることでした。私は衆生を救うために来たのであり、決して衆生を損ねるために来たわけではありません。彼らの執着心に焦点を絞って、彼らを済度しなければならないと思いました。

 8日目の夜、私は心の中では少し不安を覚えました。病床上の夫を見て思いました。「彼は今、迫害されています。できるだけ早く彼を退院させてあげなければならない。早く回復させなければならない」。翌日、医師は7日目のCT検査の結果を見て、私達に対して言いました。「2、3日様子を見て、退院していいですよ」。そして夫の妹には、「あなたの家族の看病が最も良かったです。良い人には天象があります。本当に奇跡です!」と言いました。

 家に帰って、環境は変わりました。しかし、大法の私達に対する要求は変わっていません。修煉者と常人の間では、多くの問題に対する考え方、方法が異なっています。どうすれば円融できるか、大法の原則に背反しないで、常人にも理解してもらえるか、それぞれを掌握することはとても難しいことです。まず薬を飲むか飲まないかの問題がありました。退院時、病院から幾つか薬をもらいました。主に血圧を下げるものでした。

 私は夫に薬を飲ませないことにしましたが、家族は理解できませんでした。彼らは大法の不思議さを目撃しましたが、しかし、急に彼らの考え方を変えることは不可能なことです。これらのことについて、同修は夫と交流しました。まず、夫にしっかりと正念を持つように、同時にみんなは発正念の力を強め、空間場をさらにきれいにし、すべての妨害の要素を一掃しました。姑は理解できないため、私は姑と少し対立して、姑を見張り、薬を飲まさせないようにしました。その後、夫は私に「あなたとお母さんとはあまりにも対立している。薬を飲むことをあなたは気にしないで」と言いました。私は内に向けて探し、薬を飲ませるのを恐れている心を見つけました。「しかし、修煉とは向上のために修煉しているのであって、あなたはすでにこの執着を捨てられたというのなら、なぜ、執着を恐れること自体も捨てないのでしょうか? 漏れることなく捨てることは、さらに高い次元の捨ではありませんか?」[3]。私はその執着心を平然と放下しました。

 同修達も姑を説得し、夫も姑と交流しました。姑はついに安心してくれました。 

  その後私は、夫が動くことができず、排便、排尿もできない状況に直面しました。発正念、学法、交流を通じて、これらのことも順調に突破しました。法理に対する理解もますます明確になり、煉功時間も少しずつ増え、まず1式、そして2式、3式と増えていきました。夫もとても強くなり、煉功する時、汗が滴り落ちて床に溜まるほどでした。大法弟子の金剛のごとき意志は邪悪の陣営を突破しました。夫は体調が急速に回復し、そして歩行できるようになり、1カ月後には、運転もできるまでに回復しました。

 これらの事実を前に、家族は大法の不思議さを目撃しました。また、心から大法弟子の無私な援助に脱帽しました。特に取り上げたいのは、夫の妹婿が徹底的に変わったということです。彼は心から私達に言いました。「以前、私は大法を理解していませんでした。今回、私は本当にあなた達を知って、本当に理解することができました。あなた達同修の助け合いは無私であり、いかなる利益もなく、あなた達が心からしているのを私は見ました。私達の身内でさえできないことをあなたたちはしています」

 私自身が体得したことは、「苦難を前にして、すべてを師父にお任せして、師父の加持のもと、師父のお導きのもとで、私は一つの山のように、金剛不動に達することができました」

 偉大な師父に感謝いたします。私の修煉の道で、師父の慈悲なるご加護とお導きがなければ、私に何ができたのでしょうか? 私にできたのはただ執着の苦を放下することだけでした。同時に、私が困難にあった時、私を助けてくださった同修に感謝いたします。再び感謝の意を表します。

 以上は私の次元で体得したことです。同修の皆さんの慈悲なるご叱正をお願いします。

 私は師父のお言葉をもって、今回の交流を終わりにしたいと思います。「もしも、みな一人一人が心から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現であり─強大なる佛法のこの世での再現なのです!」[4]

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『転法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「漏れるところなし」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/9/7/279098.html)
 
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