文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年10月1日】8月20日、私は明慧ネットで掲載された師尊の新経文『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』を読みました。翌朝、座禅の中で以下の光景が見えました。広々とした宇宙空間の中で、無数の神々は黄色い旗を敬虔に掲げ、そこには師尊の新経文が印字されていました。神々は師尊の新経文を世界各地に送り届けに行きました。その光景を見た瞬間、私は2年間の出来事を思い出して、師尊の衆生に対する偉大で、壮大な慈悲を同修の皆さんに知って頂くべきだと思い、この文章を書くことにしました。
それは丁度、2014年7月中旬、経文『それでも狂態を続けるのか』が発表されるときでした。当時、私は同修のAさんと一緒に、外部の要素にひどく妨害されている同修のBさんを助けていました。Aさんと一緒に発正念をする際、天上の神々が敬虔に黄色い旗を掲げ、その旗には『それでも狂態を続けるのか』が印字されているのが見えました。天上では、師尊の経文が法旨と称されています。神々の一部は経文を他の神々に送り届け、一部は大法弟子に送り届け、一部は洞窟にいる修行する者に送り届けられました。次元の限りによって、私はすべてを見ることができませんでした。
発正念を終えて、私の見た光景を同修のAさんに伝えました。私たちは新経文『それでも狂態を続けるのか』[1]を一緒に繰り返し、繰り返し読むことにしました。
暴威を振るい、狂態に満ち
虚言を吐く代弁者は 遠吠えするオオカミのよう
人間は悪魔のごとく邪悪になり 狂気の勢いを助長している
善なる念がなければ 道義心が消え失せてしまう
秋風が吹き始めれば 赤が黄色に変わる
狂態が続かなくなり 恐慌状態に陥る
今生で応報に遭い 漏れる者はない
悪事を働けば必ず償う
それでも狂態を続けるのか
ちょうど私たちが大声で勢いよく朗読していた時、突然、私は「再戦」と書かれた赤い旗が見えて、それが旧勢力の出してきた挑戦状だと分かりました。再度発正念を行う際、私は数人の邪神が、Bさんの主元神を激しく殴る画面が見え、周辺で応援する旧い神々もいて、それらの邪神や旧い神々が正神によって最終的に滅し尽されているのを見ました。
休憩する間、私はそれらの邪神の師父が事情を知り、その師父の師父も事情を知って、弟子や孫弟子たちをあちこちに向けて情報伝達に派遣し、各界の道友たちにも手伝いにきてもらうよう誘っている様子が見え、もう一度、正邪の大戦がまもなく起きると分かりました。
夕方6時頃、発正念を終えた私は、師尊の法像の前に様々な形態を持つ生命や修行者がたくさん集まり、師尊が開示される法理を聞いているのが見え、不思議に思うと同時にその場面に震撼しました。彼らの多くは師尊の説いた法理に賛同し、叩いて礼を述べた後に立ち去りました。少数の生命と修行者は首を傾げたり、両腕を胸の前で組んだりして納得いかず、断固としてまだ勝負してみたい様子でした。それを見た私は「慈悲なる師尊は彼らに良い未来があるよう再度法理を開示されました。しかし、彼らはなぜ目を覚まさないのでしょうか?」と思いました。
7時頃の発正念の中で自分の空間場を整理するとき、私は6千年の修行経歴を持ち、功柱が銀河系よりはるかに高い2人の修行者を見ました。私は彼らを消すことが忍びなく、躊躇(ためら)い、大法弟子と敵対しないように繰り返し言い聞かせました。1人の修行者は躊躇(ちゅうちょ)した後、立ち去りました。もう1人は去るどころか、「お前はまだ十数年しか修行しておらず、われわれを消すことは無理だ。お前の師父でさえ、当初法を伝える前にわれわれに声を掛けなければならなかったはずだ。お前は何者か!」と言いました。これらの修行者は3千年、2千年、あるいは数百年も修行してきた者たちで、その中には付き物を持つ者もいました。
私は再三に躊躇して掌を立てず、その修行者が退くことをしきりに願いました。しかし、彼はますます気焔(訳注:きえんとは、燃え上がるような盛んな意気)を蔓延させてきました。その時、耳元で「もう待つ必要はありません!」という神の催促の声が聞こえて、掌を立てました。すると、ある正神が金槌を持ちあげて、その6千年も修行した者を1枚の紙ほどの薄さにぺしゃんこにさせ、その死体を大山の麓(ふもと)に置きました。他の敵対勢力も、正神によって次々と消滅されました。
生き残った修行者は大山の麓に置かれた修行者のためにお悔やみを言いに行き、泣きながらこう訴えました。「兄弟弟子よ。私たちは同じ師に就いてきました。3千年前の商朝の晩期に、師祖は『聖人はこの濁世を一掃されている。聖人とぜひ縁を結びたい』とおっしゃいました。1千年前、師祖はまた『聖人と縁を結びに行く』とおっしゃって、師父と私達にこう言い聞かされました。『絶対に、末法時期の聖人の弟子たちと敵対してはならない。あなたたちには彼らの由来が見えないが、私よりはるかに高いのは間違いない。彼らは悠久の歴史の苦難を乗り越え、非凡なものを持っている。絶対に自分の基準で彼らを計ってはならない。彼らには彼らの修煉方式がある。法が伝えられるとき、私も彼らと縁を結びに行く。あなたたちに4つの言葉を残す。絶対に忘れてはならない。『大法の弟子に優しく接し、自分の法門をしっかり管理し、微動だにせず、劫難を乗り切るように』。師祖のお言葉は、そのまま門柱に刻まれていました。私たちはなぜそれを忘れていたのでしょうか? 私も危うく命を落とすところでした」。その後、修行者は涙を拭き取りました。
遠く遥々(はるばる)から来る私の視線を感じ、彼は私に向かって拱手の礼をして、「退くように助言して頂き感謝しています。今後、私は至る所を住み処とし、大法の弟子に優しく接するよう道友たちに忠告します。あなたが圓満成就された時、どうか私をお助け下さい」と願い出ました。私は頷いて承諾すると、修行者は立ち去りました。去る2年間、私は何回かこの修行者を見かけました。彼は四方に走り回って道友を訪ね、自分の経験を伝え、大法に敵対しないように呼びかけていました。1年前、偶然に彼を見かけた時、彼は遠くから「私はすでに創世主に、今生において大法の使者として努めることを請願し、許可を頂きました。兄弟弟子が正神によって滅されたことを目撃したときから、生死は一念によるものだと痛感し、絶対に気ままに動いたりはしません。創世主にすでに私の行方を明示して頂きました。あなたのお助けは不要となりました。あなたに感謝しています」と伝えました。この文章を書く時点で、その修行者の顔つきや功力は、以前と比べものにならないほど高くなっているのが見えました。
時々、2年前の師尊がそれらの生命に法理を開示する壮観な場面を思い出して、未だに震撼を覚え、師尊の衆生に対する慈悲や心労を痛感しました。
今回の新経文が発表された後、私は無数の神が厳粛な表情で師尊の新経文を世界各地に送り届け、十方世界の一切の衆生が跪いて法旨を受け取る場面を見ました。
毎回、師尊が説法を行われるとき、宇宙の津々浦々の各界はみな知っています。師尊の毎回の新経文発表は、宇宙の一大事です。また、毎回師尊が説法された後、宇宙の全生命が正され、整理され、正法の進展も前へ前へと推し進められています。
私たちは見えようが見えまいが、宇宙の津々浦々で様々なことが起きています。例え私たちは何が見えても、それは起きている多くの出来事のごく一部であり、さらに震撼される一幕一幕が発生しているかも知れません。
師尊はこうおっしゃっています。「修煉の中で絶えず各境地で最も偉大なる一切を皆さんに与えて、圓満成就の後に皆さんがそれぞれの最高の境地の位置へと戻れるようにしているからです。これは皆さんに教えられることですが、さらに多くのことについては、皆さんは今はまだ知ることはできません」 [2]
私が書き出したのは自分が見えたほんの少しであり、見えていない部分はまだ無数であると思います。皆さんも天目で見えたものに執着しないで下さい。何が見えようが、何が聞こえようが、私たちはいつまでも法を師とし、大法の要求に従って行動すべきです! それが私たちの向上の根本であるからです。
師尊は衆生を慈悲に思い、再度法理を明示されました。開示された法理を前に、師尊の広大な慈悲を前にして、すべての生命よ! 過去に発生した一切を参考にくれぐれも自説を固執せず、自分の位置を正しく置き、この万古にない機縁を失わないようにしましょう!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟 四』「それでも狂態を続けるのか」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「法を正す時期の大法弟子」
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/9/7/158591.html)