発正念の時、掌が倒れることについて
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月25日】同修の中に、発正念のとき、掌が倒れている現象がよく見られます。時間が経つにつれて非常に深刻な問題になっています。つまり、三つのことをしっかり行っていないのです。言い換えれば、三つのことの中で、二つのこと、あるいは一つのことだけを行っています。自分は大法弟子だと自称して、表面から見ると、大法と師父のことを非常に信じています。しかし、師父がおっしゃった「做すところいたるは是れ修なり」[1]に従っていないのです。私もこの面で身にしみる体験がありましたので、この文章を書き出して、私達の戒めとすることができればと思います。長期に発正念のとき、掌が倒れることを正して、同修たちともに向上したいと願っています。

 刑務所から戻ってきた自分の修煉状態は非常に良くなかったのです。発正念をすると、すぐ眠気を感じたり、掌が倒れたりしました。最も危ないことは、自分の脳ははっきりしていても、掌を立てた途端、目に見えない巨大な力で私の掌を抑えました。生死の関を乗り越えるとき、普段、座ることすらできない私は、やっと座れるようになったら、直ちに発正念をしようと思いましたが、そう思うだけで、まだ掌を立てていないのに、ある無形の力が私の体をベッドに押さえ込み、すると、私は意識不明の状態になりました。30分後、再び発正念をしようと思いますが、掌を立てようと思っても立つことができませんでした。

 私ははっきりわかっていますが、自分がしっかり修めていないのです。普段、発正念のとき、長期に掌が倒れることで、自分の空間場に黒い手と卑しい鬼、法を乱している神などが、水のように自分の体を浸し、体の内部に満ちています。これで、どうして三つのことを行えるでしょうか? これは自分の主意識がはっきりわかる状況下での体験です。旧勢力は自分を加害するつもりでいることがわかりました。

 私は「旧勢力よ、あなたは狂っている、私はあなたを認めない」と大声で怒鳴りました。そして、私は一晩真面目に『轉法輪』を読むことにしました。つまり、1時間の学法の後、15分の発正念をします。12時間の学法を終えたら、私は眠気がなくなり、頭がすっきりし、発正念のときも、掌が倒れなくなりました。

 それから5年経ちました。私の修煉状態はずっと良く、三つのことも良くできています。実は、師父は私の空間場、体内の邪悪生命と腐敗している物質を全部取り除いてくださったのです。師父は私の命を救ってくださいました。当時の状況から見ると、私は余命僅かになり、何ができるのか? という状況だったのです。

 私の体験から言うと、掌が倒れる状態から抜け出すことは難しいことではありません。宇宙を正すこの特殊な歴史時期にめぐりあい、偉大な師父は私達を救い済度してくださいました。この千古にも会えない貴重な機縁を大切にすべきです。私たちは本当に師父の教えに従い、やり遂げることができるなら、師父は私達を支持してくださると思います。旧勢力に勝手気ままに悪事を働かせてはいけません。

 数年間の修煉の中で、発正念のとき、掌が倒れることは普遍的に存在しています。三つのことも良くできていないため、落ち込んだり、怠けたり、全然精進していない同修もいます。実は、旧勢力は私たちの人心と観念、執着などを操っています。いまだに、発正念のとき、掌が倒れる同修も少なくありません。三つのことをしっかり行っていないのに、どうやって衆生を救い済度するのでしょうか?

 自分の認識ですので、適当でないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『洪吟』「着実に修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/20/337931.html)
 
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