環境による修煉状態への影響について
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文/海外の大法弟子 明岳

 【明慧日本2016年8月2日】18年間の修煉過程を振り返ると、私はずっと精進していなかったと思います。以下に、環境及び周囲の同修による私の修煉状態への影響について述べてみたいと思います。

 1998年、大法の修煉を始めた当初、グループ学法やグループ煉功を重視している周囲の同修達を見て、私も積極的に参加しました。同修達がよくできているのを見て、寝坊に慣れていた私も、自然に早起きするようになりました。

 しかし、その数カ月後に、中国共産党による迫害が始まり、修煉環境を失ってしまった私は、修煉から遠ざかりました。2000年初頭、再び同修と連絡が取れ、明慧ネットのことを知りました。そこで同修達の感動的な修煉体験を読み、私も早速大法が迫害されている真相を伝えることを始めました。のちに、その1年足らずの修煉過程を振り返ると、学法をしていたものの、煉功をまったく行っておらず、真相資料を配って法を実証することは多くしましたが、着実に自分の心を修めていませんでした。

 海外に来てから、五式の功法を毎日きちんと煉る同修が少なく、長い間煉功していない同修もいるのを見て「皆は法を実証するプロジェクトに忙しいから、これが普通なのだろう」と思いました。そもそも煉功を持続しなった私も周囲に流されて、段々煉功を怠っても大した問題ではないと思い始めました。

 その間、自分に厳しく律し、非常に精進している同修とも接したことがあり、師父からの教化もたびたびありました。海外にきてからの初めての職場に、年配の同修がいました。彼女は毎日法を大量に学び、五式の功法をきちんと煉り、顔にしわ一つなく、疲れを知らないと言っていました。彼女は任務を終えるという感じではなく、真心から学法と煉功を行っているようでした。

 その後、あるプロジェクトに参加していた際、全体的に煉功が軽視されている環境にもかかわらず、毎日煉功をきちんと行っている2人の若い同修がいました。彼女たちから良い刺激を受けて、毎朝時計のアラームをセットし、頑張ってみようと思ったのですが、あまりにも深く根付いた安逸心に勝てず、ここ数年ほとんど早起きできませんでした。

 数年前、ある中年の同修が突然病業で世を去りました。聞いた話では、彼は煉功をほとんどしていませんでした。そのころ、私にも頑固な病業が現れてきました。ようやく煉功の重要さに気づき、その後周辺にグループ学法とグループの早朝煉功の環境ができて、ようやく寝坊を克服しました。

 振り返ってみると、長年、早朝の貴重な時間を浪費してしまって、ほんとうに後悔しています。私が最終的に早朝に起きれるようになったのは、やはり以前から精進する同修達の姿を見てきたからです。彼女たちから良い刺激を受けた直後や、その後の数年間は、私はきちんと煉功してこなかったのですが、彼女たちのことは深く印象に残っていました。彼女達は自身の行動で法を実証し、大法を大切にしていることを周囲に示しました。それが周囲の同修たちにプラスの作用を働きました。

 煉功に限らず、他の方面における環境や、同修たちの私への影響も大きかったのです。周囲の同修たちが心を静めて学法したり、心を修めたり、発正念をきちんと行うなどの良い事例を見ているうちに、私も徐々に良い方向へと変わっていきました。

 師父は常にグループ学法、グループ煉功、グループ交流の重要性を強調されています。個人的に思うのには、違う状況に置かれ、違う業力を持ち、法理に対して違う認識を持つ同修達はどうしても、個人修煉において、これを重視すればあれを疎かするという状態に陥りがちです。同修達同士の「比べて学び比べて修す」[1]が非常に重要です。そうすることで個人の限られた認識による不足を互いに補い合い、ともに大法の大切さを真に認識し、多方面において向上することができます。

 個人的な認識ですが、一つのプロジェクトに長く関わっていれば、プロジェクト内の同修たちは似たような認識や人心を持つようになります。知らず知らずのうちに同じ執着を持ち、問題認識においても一定の制限がかかってきます。

 そのとき、他のプロジェクトの同修と接したり、交流したりすれば違う角度から問題を見ることができて、自分の修煉に大いに役立つと思います。国際法会に参加すれば、地域の制限を突破し、多くの収穫を得ることができます。明慧ネットで同修の修煉体験を閲覧するのも同じ効果が得られます。

 以上は個人の修煉体験ですが、妥当でない部分があれば慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩辞:『洪吟』「着実に修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/30/332083.html )
 
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