「忙しい」同修と切磋する
文/未署名
【明慧日本2014年6月3日】いつも、私は同修のためにパソコンを維持しています。この前、自分の修煉状態がよくなかったせいで、数人の警官が私のところで嫌がらせをしました。ですが、師父の加護により無事に切り抜けることができました。
つい最近、私はいろいろ考えました。普段、仕事に追われて毎日が忙しく、疲れが取れませんでした。学法と煉功の時間も保証できませんし、時間が経つにつれて、悪循環になります。当然、それは自分の修煉に関わっております、あるべき状態に達していないことが分かります。私は「修煉状態がよい場合は、毎日必ず学法、煉功をしたり、毎日、体が軽く感じ、何をやっても疲れを感じず、活力に満ち溢れています」と思いました。
皆を手伝うことによって、自分自身の利益を放棄したことは良いことだと思います、しかし、常人の心を放下していません。例えば、疲れたときにいつも、常人のビデオを見たり、リラックスする時間を取ったりしました。ですが、かえって学法と煉功の時間はありませんでした。「怠けている心」も放下しないといけません。私達は大法弟子なので、常人のように娯楽をやる余裕はないはずです。ですから、常人の心が取り除くべきです。さもなければ、常人の心の巻き添えになってしまいます。
修煉の要求を高まるにつれて、残された時間が少なくなることが分かります、わずかの時間でも学法と煉功をしなければなりません。こうすることによって、私は師父の要求についていけると思います。
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/12/10/283737.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/1/20/144509.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/1/20/144509.html)