「忙しい」同修と交流する
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文/未名

 【明慧日本2013年12月16日】私は普段、同修のパソコンを保守する面で協力しています。先日、修煉状態が良くなかったため、数人の警官が私の所にやって来て、嫌がらせをしました。しかし、師父のご加護のもと、事なきを得ました。

 内に向けて探しました。私は普段とても忙しくて、法を学び、煉功をしっかりしていませんでした。これは自分の修煉と関係があり、あるべき次元に達していないことに気づきました。私が思うには、良い修煉状態とは、しっかり法を学び、煉功することができ、毎日、全身が軽くて、心身ともに充実し、何をしても疲れません。しかし、今の私はそうではありません。学法も煉功もおろそかになり、毎日とても疲れて、休みたくなります。このような状態が長く続けば、悪循環になってしまいます。

 同修に協力するに当って、自身の利益は犠牲にしましたが、常人の心を放下していませんでした。疲れた時、法を学び、煉功するのではなく、かえって常人のビデオを見て、少しリラックスしたくなります。このように見えてきて、私の修煉に対する要求が本当に高くなったと思います。少しも常人の心を持ってはならず、僅かな時間でも法を学び、煉功をしなければならないと分かり、残った時間は非常に少ないため、もっと大切に使用すべきです。

 怠惰な人心も取り除かなければなりません。通常、常人の中ですべきことをしっかり行って、余裕があれば、力の及ぶ限り同修に協力します。ほんの少しでも時間があれば、法を学び、煉功します。常人の娯楽に時間を費やすようなことはしてはなりません。常人の心を全て放下することができるなら、正法の進展に追いついて行くことができると思います。つまり学法と煉功を重要視し、時間を按排し、大切に利用します。さもなければ、常人の心にかき乱され、そのために妨害されるしかありません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/12/10/283737.html)
 
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