日本明慧
■印刷版   

80年代以降に生まれた大法弟子の体験


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は80年代以降に生まれた青年で、大法弟子として少年時代を歩んできた私は、おそらく他の同年代の青年同修と、似たような人生を歩んできました。
 
 十数年来、法を得た当初の喜びと精進する姿があり、7.20の困惑の中での正念もあり、大学に入り、社会に出て恋愛し、結婚した後の迷いと気の緩みがありました。しかし最後になって、異なる機縁と師父のご加護のもと、私は法に基づいて再び精進し始めました。しかし、私たちの時代の同修たちは、望みは高いが能力が伴わず、責任感が弱くて、私心が強いのです。、しかもこれらの心に全く気づいていません。これは私たちの共通の欠点です。
 
 年配の同修たちは本当に、一歩一歩着実に修煉して来ています。彼らの心の容量は徐々に増しています。しかし、私の状態は彼らと違って、熱心さと着実にこなそうとする心がありません。大きな思いがありますが、実際には少ししかできません。
 
 法を得た当初の少年時代はとても純粋、善良で、気楽でした。しかし現在、様々な圧力と生活様式の変化、仕事と修煉の間で迷いが生じ、魔性が強くなったこともありました。でも怖くはありませんでした。なぜなら修煉は自分を正すことができるからです。今、私が直面している最も大きな問題は、平常心を長く保つことができないという事です。一時精進し、その後怠けて、また精進し、また怠けて、また精進する。この悪循環が今の私の状態です。
 
 ほかの同修の修煉の過程を見ると、私は本当に恥ずかしく思います。私の怠ける心の理由が何か分かりませんが理由があります。その理由を正念で解きほぐすしかありません。明慧ネットという交流の場はとてもすばらしいです。師父の肖像と説法があり、同修が法を実証する文書があり、本当にすばらしいです。耐え難い寂しさを感じるとき、明慧ラジオの曲を聴くと、心が落ち着きます。明慧関係の同修に感謝します。 
 
2011年07月08日

■関連文章
新しい修煉者の修煉体験
正念を持って正しく行い、法の中で精進する (一)
法輪大法は家族に幸せもたらした
大病院に見放された重病人が九死に一生を得る(二)
大病院に見放された重病人が九死に一生を得る(一)
学法の重要性について悟る
表面で精進を判断してはならない
秘めている執着を掘り出す
ひとりの兵士が修煉を始めた不思議な体験
ダイナマイトが爆発して金属片が体に30数箇所刺さる