大病院に見放された重病人が九死に一生を得る(一)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は1996年の春に法輪大法の修煉を始めました。ある日、煉功点で煉功を終えて、家に帰ったとき、突然目の前が真っ暗になり、その場で倒れました。しかし、心の中で師父の名前を呼んだ瞬間、目が覚めました。私は魔が命を取りにきたのだと分かりました。しかし、「本当に正道によって修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりすることはできません。それにわたしの法身に守られているので、何の危険も起こらないのです」(『転法輪』)のとおり、師父が私に第二の命をくださいました。
個人修煉の時期はよかったのですが、1999年からグループ学法の環境がなくなり、家で学法しなければなりませんでした。それから私は精進しなくなり、修煉者の神聖な状態はありませんでした。数年後、子供が結婚して出産した後、基本的に学法や煉功をやらなくなり、毎日家事ばかりをして心性は常人にまで落ちてしまいました。
2008年末のある日、私は突然病にかかり、意識不明の状態になりました。夫と息子が私を病院に送り、検査をしたところ、卵巣がんと診断されました。その日の夜、私はすぐに大きな病院に移り、2日目に手術をし、2万元かかりました。手術後から9日間、私は意識不明の状態が続きました。医者たちも慌てましたが、原因が分からず、検査してみても、ただ脳の部分に暗い影が写っていただけでした。そして私は、脳外科、婦人科へと回されましたが、治療する方法は全くありませんでした。危篤状態と医者から言われたとき、私はまだ49歳でした。家族、親戚や友人は涙を流して、私の最後を看取りに来ました。
このような時、妹(同修)が病院にきて「法輪大法はすばらしいですか?」と意識不明の私に質問しました。「すばらしい」と私は言いました。妹に「帰ったら修煉しますか?」と聞かれ、私は「修煉する」と答えました。2日後、家に帰って奇跡が現れました。私はその日、意識が戻りました。夫(常人)はとても驚いて、うれしくなり、師父の写真の前で線香に火をつけました。私は目を開いたとき、壁に貼ってある「法輪大法はすばらしい」というスローガンを見て、それを心の中で念じました。その頃は、まだご飯を食べるのに補助が必要で、自分で食べる力も無く、卵を半分しか食べる事ができず、おかゆも半分しか食べる事ができず、40日間起き上がることができませんでした。
(続く)
2011年07月01日
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