嫌なことがあっても人に八つ当たりしない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年5月23日】これまで、何かあった時、私はある年配の同修にぐちを言っていました。彼女は毎回、微笑みながら私のぐちを聞いてくれます。しかし、私は彼女の表情を見ると、「この人はどうして『同情する心』がないのか?」と思ってしまい、さらに怒ってしまいます。私の実家はほかの市にあり、両親も近くにいません。身の回りで一番親しい人はこの同修だけです。私は同修を親戚のように思い、悩みや面倒なことがあったら、同修に相談しました。同修が私の話を理解してくれ、さらに、慰めの言葉をかけてくれれば、私の気持ちは良くなります。しかし、毎回、この年配の同修と話をした後、私は悲しくなります。このような状態が長く続きました。あるとき、私は突然悟りました。同修は、私が「不満に思う」という欠点を消去することに手伝ってくれているのではないでしょうか。

 孔子は自分の弟子の顔回(がんかい)のことを褒めたことがありました。孔子は「顔回は怒りを覚えても、決して他人に八つ当たりすることもなく、また二度と同じ過ちを犯すことはありません」と話しました。古人は良くない感情を人に伝えることは、不道徳であり、私利的な行為だと分かるのに、大法弟子として、どうして出来ないのか? 師父は「どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます。それはあなたが衆生を救い済度するためであっても、法を実証するためであっても、または個人の修煉の向上のためであっても、魔難は同じです」[1] と説かれました。修煉の道に偶然なことはありません。良いことばかりなら、私が人心で同修に不満を訴えていることは、本当に悟性が低かったと思いました。

 法理が分かれば、観念も変わります。それから、私は同修に何の不満も言わないようにしました。難関に遭った時、私は大急ぎで学法をしたり、煉功をすると、知らないうちに、師父の法理が目の前に現れてきました。世の中のことは一目瞭然です。内に向けて探せば魔がいなくなり、心性の足りない部分と旧宇宙の生命の悪い習慣を少しずつ修めていきます。「人頼みは神頼みに及ばない」素晴らしさを深く体験しました。

 師父は「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保てば、問題が起きた時には、余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[2] と説かれました。私はしっかり覚えました。

 同修達がいろいろな難関を乗り越えて、今日まで歩んでくることは容易なことではありません。これから、私は同修達のことを大切にしなければなりません、自分の消極的な思いを同修に八つ当たりしないと決心しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/10/12/281087.html)
 
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