「茹でガエル」現象に気を付けろ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年11月5日】大法弟子が修煉しなくなった主な原因は二つあります。一つは迫害を恐れているからです。もう一つは常人社会の誘惑でトラブルに陥り、修煉しなくなったことです。後者は茹でガエルのように気付きにくいのです。

 Z同修は、1995年に法を得た古い学習者です。1999年前まではとても精進していましたし、迫害が始まってからも修煉を続けていました。しかし娘の離婚が原因で家庭内のトラブルが絶えず、疲れ果てたZは修煉の気持ちまで薄れました。そして外地へ出稼ぎに出たのをきっかけに、Zはだんだん修煉から離れていき最後には完全に修煉しなくなりました。

 常人社会の金銭と名利の得失や、家庭のトラブルや、またいろんな面倒と困難などの如何なる事も修煉者の執着心を引き起こすことができます。少しずつ修煉者を常人に戻らせ、そして現実に惑わさせることによって、修煉を放棄させることができます。まるで「茹でガエル」のように、感覚のないうちに修煉をやめさせることができます。

 このような例が多くあります。例えば、ある学習者は配偶者に浮気されました。苦しみに陥ったその学習者は個人の苦しみから抜け出すことができず、だんだん修煉しなくなりました。ある学習者は親戚にたくさんのお金を貸しました。返してもらえないばかりか、かえって怒られてしまった学習者は、この事を納得することができず、正念を失いました。仕事の忙しさ、或いは商売の浮き沈みに陥ったことで、自分まで失ってしまった学習者もいました。また自分の子供や孫に煩わされ、修煉できなくなった学習者もいました。病業に至り、最後には人身を失った人もいました。

 上記のいずれも自分の感情と得失を、修煉と大法よりも重視しているから、徐々に修煉から遠ざかっていき常人に戻ってしまったのです。

 師父が「世の中にこれほど多くの人がいるのに、なぜ大部分の人が修煉することができないのでしょうか? なぜ更に多くの人が圓満成就することができないのでしょうか? つまり人間は人間のことを放下することができないからです」[1]と説かれました。

 常人社会には情があります。情には魔難や誘惑や恨みが伴います。すべての人心を放下できなければ、修煉に打撃を与えてしまいます。人間を放下できなければ、神に成就することができません。更に(旧宇宙の)自分のためという本性を放下できなければ、新しい宇宙の覚者に成就することができません。最後の道を正しくしっかり歩むように、私たちは互いに助け合っていきましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『米国中部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/25/318049.html)
 
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