【明慧日本2016年8月19日】これは私の身の周りに起きた本当の話です。
一、大法を修めた障害者に転機
同僚の彼女は、色白できれいな顔をしていますが、心は鬱々としていました。小学校の時、遊んでいる最中、鉄棒から落ちてしまい、その後、最適な治療時機を逃して、怪我を悪化させ、結局、腰椎椎間関節症になってしまいました。腰椎からお腹まで化膿して、膿と水が出て、さらに、脊椎骨の第二、第三関節が病変したため、長く歩いたり、立ったり、座ったりすることができません。どこの大病院も治療できないと言われました。そのため、彼女は10代の時から家に閉じこもり、窓から外の世界をみることしかできませんでした。20歳の時、腰が曲がった身体障害者として、私の勤め先に就職しました。長く座ったり、立ったりすることができない彼女は、一日何もしなくても大変なのに、生活のために痛みに耐えて仕事をしました。しかし、1995年、彼女の人生に大きな転機が訪れました。
1995年、職場のもう1人の同僚は胆嚢炎が長年治癒しないため、法輪大法を修煉し始めました。修煉して間もなく、病気が全快しました。それを聞いた彼女も法輪大法の修煉を始めました。修煉してしばらく経つと、彼女は長く座れるようになり、腰はまだ曲がったままですが、仕事はもうそれほど辛くなくなりました。普通の人と同じように仕事や生活ができるようになった彼女は、明るくなり、笑顔も戻ってきました。その後、彼女は農家に嫁ぎ、夫について田舎に戻り、農業をするようになりました。体に障害があるため、最初の頃、夫の実家では馬鹿にされていました。農作業は大変な重労働ですが、彼女は一日の畑仕事を終えて、家に帰ってから、食事の準備、掃除、洗濯をしなければならず、ちょっとした不注意で、舅と姑に怒られたりもしました。しかし、彼女は不平不満を言わず、時々刻々大法の法理に従って自分を律し、舅と姑に優しく対応しました。こうして、1年後、舅と姑の彼女に対する態度はすっかり変わり、法輪大法の素晴らしさを認め、夫も彼女の修煉を応援してくれました。
二、修煉を放棄し、暗黒に向かう
2009年のある日、彼女は泣きながら、私に電話をかけ、助けを求めてきました。彼女をわが家に迎えて、その後の話を聞きました。1999年7.20以後、狂気に満ちた迫害を目にして、彼女も夫も怖くなり、大法の書籍を廃棄し、修煉を放棄してしまいました。その後、夫は記者の仕事をはじめ、毎日、外で東奔西走して家に帰らず、たまに家に帰ってきても、威張ったような態度で、なんでも彼女に世話をしてもらい、ちょっと機嫌を損ねると、かんしゃくを起こし、生活費もくれませんでした。それだけではなく、彼女の500元の生活費まで奪い、使ってしまったそうです。夫は彼女に、「あんたは這ってでも俺の世話をやれ」と言ったそうです。また、外で女を作り、酒色に溺れ、さらに、携帯電話で撮った写真を彼女に見せながら、「俺は、いっぱい女に囲まれるのが好きだ」と言いました。仕方なく、生活のため、彼女はアルバイトをしながら、崩壊同然の結婚生活を守っていました。こうして、2年が過ぎて心身ともボロボロになり、ベッドに上るのも大変で、何の仕事もできなくなりました。
従妹と病院に行って検査をしたら、医者は検査結果を見て、慌てて「患者さんを運んできてください」と言いました。彼女は「私が本人です」と言うと、医者は「そんな筈はない。この写真なら、この患者は寝たきり状態でしょう。歩けるはずがない」と言いました。彼女は「本当に私です」と言うと、医者は彼女に「すでに四つの椎骨節は重症化して、もう治療できません。家で安静にしてください」と言いました。それから、従妹に「彼女は余命2年でしょう」と告げました。彼女がその結果を夫に話すと、夫は心配するどころか、離婚を迫ってきました。
彼女は絶望して、飛び降り自殺しようとしました。しかし、何と言っても自分は大法を修煉した人間で、大法に泥を塗ってはいけないと思い、リストカットをしようと思いました。しかし、手首を切りたくても、切れませんでした。
最後に、彼女は、「おばちゃん、私はどうしたらいいでしょうか。生きていても、だれにも愛されず、死にたくても死ねない」と泣きながら言いました。「ほかの方法はありません。あなたを助けることができるのは大法だけです。師父しかいらっしゃいません。大法修煉をまた始めましょう」と私は言いました
三、窮すれば道は開ける
彼女を家に泊まらせ、一緒に法を学びました。最初の日、私たちは『轉法輪』を学び、2日目の午前中も『轉法輪』を学びました。午後、私たちは一緒に師父の『オーストラリアの学習者への説法』のビデオを見ました。彼女は泣きながら見ました。最後に、彼女は「おばちゃん、分かりました。すべて分かりました。私は間違っていました。修煉を放棄すべきではなかったのです。大法から離れ、全く常人と同じように、名誉、利益、情の為に争い、最後に破滅への道を歩んだのです。これから、何をどうすればよいか分かりました。師父、ご安心ください。私は必ずしっかりやります。おばちゃん、私は帰ります」と言いました。
彼女が家に帰った後、なんと夫が家に戻ってきました。離婚のことを聞かれて、彼女は、「離婚はしません。今まで私が悪かったのです。これからはしっかりやります。あなたのことを怨みません。これからもあなたに変わらず優しくします」と言いました。夫はその話を聞いて黙って何も言いませんでした。3日目、夫が車で彼女を我が家に送って来ました。学法するために送ってきたのです。いままで、彼は絶対に私との付き合いを許さなかったのです。
3日間の学法で、彼女の心性は高まりました。彼女の夫も変わっただけでなく、彼女の体にも変化が起きました。6階にある私の家まで、歩いて上れるようになり、また私の家に来るとき、タクシーを頼まず、バスに乗れるようになりました。それから、絶えず法を学び、心を修め、心性を高めることによって、夫は彼女に給料を強要しなくなり、自ら生活費を渡し、家事も手伝い、専用のパソコンを購入してくれました。そのため、彼女は明慧ネットにアクセスできるようになりました。そして、夫は女遊びの悪習をすっかり改め、大法の真相伝えを手伝い、三退を勧めたのです。彼の影響により、周りの記者たちもみんな共産党の本質を見抜き、邪悪の組織から脱退しました。
2010年、夫の両親が病気で相次いで寝たきりになり、流動食を食べ、おむつを使うようになりました。2人の兄は誰も世話をしたくなく、両親も彼らと一緒に生活したくありませんでした。長男の嫁は、「私はお母さんとお父さんと一緒に生活をしたいのですが、しかし、あの兄弟ですと、親を虐待するのではないかと心配しています。やはり妹と一緒に生活したほうがよいでしょう。彼女は法輪大法を修煉しているから、両親に優しくしてくれるでしょう」と言いました。夫は泣きそうになり、「2人の年寄りを世話するのは、健康な男でも大変なのに、私は仕事でいつも家を空けているし、彼女は身体障害者で、どうすればいいでしょうか」と言いました。
孤立無援の夫と年を取った両親を見て、彼女は、「他の人が面倒を見なくても、私は両親の面倒を見ます。私は法輪大法の弟子ですから。出遭ったすべての問題は、大法の要求に基づいてしっかりやらなければなりません。師父は私達に無私無我で、他人を先に、自分を後にするように教えておられますので、私は問題を他人に転嫁しません。両親をたらい回しにしません。師父は私にあまりにも多くのものをくださいましたから、師尊の恩に感謝してもしきれません。唯一できることは、師父のおっしゃった通りに行うだけです。あなたは心配しなくて結構です。両親を迎えてください。私が面倒を見切れない場合、人を雇ってもいいでしょう」と言いました。こうして、両親を迎えました。その後、夫は出張に出かけました。長男の嫁も1週間手伝って、帰りました。
彼女は毎日両親にご飯を食べさせ、おむつを替えました。時に、両親が怒ったりもしますが、彼女は恨みも持たず、根気よく2人の世話をし、毎日両親に法輪大法の説法録音を聞かせました。両親の病状は次第に改善し、舅は口を開いてご飯を食べられるようになりました。夫は帰って、両親の様子を見て、とても感心して、心から大法の威徳に敬服しました。
1年後、両親は相次いで亡くなりました。夫の甥は、「あなたがよく世話をしないから、亡くなったのではないか」と彼女を非難をしました。彼女は大法の要求通り、甥を責めず、相変わらず2人の兄に優しく接しました。彼女の行動を通して、周りの人はみんな大法の素晴らしさを実感しました。夫は、「我が家は今とても順風満帆です。何をしても順調です。一番難しい記者の資格も取れたし、市内で家も購入でき、本当に大法のおかげです」と言いました。