望みがない中での偉大さ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年9月24日】宇宙全体で法を正すことは終わりに近づいています。しかし、身近な同修の間で多少の消極さと怠ける心が現れています。甚だしきに至っては、一部の同修は名利のために奔走しています。師父は説法の中で「修煉の中で、皆さんは苦を嘗めることがとても難しいと感じていますが、実はこれは最も難しいことではありません。苦しいことは、いくら苦しくても、乗り越えると分かるようになります。しかし、望みのない寂しさの中で黙々と修煉し、希望が見えず、これは最も難しいことです。いかなる修煉もこのような試練があり、このような道を歩むのです。ですから、終始一貫して、絶えず精進することこそ本当の精進なのです。このように話していますが、行うことは本当に難しいのです。ですから、初心を忘れずに修煉していけば、必ず正果を得ることができると言われています」[1]とおっしゃっています。

 数日前、明慧ネットでこのような文章が掲載されました。「ある同修が一つの巨大で邪悪な空間に入りました。そこには光も音もなく、少しの活気もありませんでした。同修は自らの安否も危うく、自分の力では到底そこを変えることができないと感じました。しかし、そのような望みがなく、死の匂いの漂う環境の中で、同修は絶えずそこの衆生を救うことを思い、最終的にそこを正し、活気が溢れる空間に変えました」

 師父は「最も貴いのは、この厳しい環境下と圧力の下で、希望も見えない情況の中で、絶えず精進できれば、これこそ最も貴重なことで、最も素晴らしいことです」[1]とおっしゃっています。

 イエス様に関わる物語の中に、このようなストーリーがあったのを覚えています。イエス様は弟子たちを率いて大きな船で航海していました。イエス様がデッキで眠ってしまったとき、暴風が吹き始め、巨大な波浪で船が激しく揺れ動き始めました。弟子たちは怖くなって、イエス様の目覚めを待っていました。しかし、いくら待ってもイエス様が目を覚まさないので、弟子たちは仕方なくイエス様を起こしました。イエス様は船首に上がり、海と風に向かって怒鳴られました。すぐさま風が止み、海も穏やかになりました。イエス様は振り向いて、弟子たちに「あなた達の勇気はどこに行きましたか?」と尋ねられました。

 望みがないことは恐ろしいことですが、そのような環境下でこそ、大法弟子の偉大さが顕現されます。望みがない時期を乗り越えることは難しいですが、それを乗り越える過程でこそ、大覚者の意志の堅さが試されます。

 次元に限りがありますので、妥当でない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  注:
  [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/14/334613.html)
 
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