子供弟子をちゃんと教育できているか
■ 印刷版
 

文/海外の大法弟子

 【明慧日本2015年6月14日】師父は『スイス法会での説法』で「また多くの子供は優れた神通を持っています。どの家が未来に法を得るのか、上にいる神ははっきり見えているので、なるほどこの家の人が法を得るのだと見て、按排して転生して来るかもしれません。転生すれば法を得られるからです」とおっしゃいました。

 先日、次女をベビーカーに乗せている同修のAさんと久々に会いました。彼は長女が「お父さんは以前この国の歴史上のある王様でした。あの時も私と妹はお父さんの王女で、現世、私たちはまたあなたの娘になりました……」と言ったと私に話しました。大法弟子の子供たちは大法弟子とこれほど深い縁がありますが、それでは同修の皆さんは、ご自身の子供弟子をちゃんと教育しているでしょうか?

 一、子供弟子がテレビやゲームに時間を長くかけることは問題

 私の周囲の多くの大法弟子の家庭、特に両親が共働きの家庭は、子供たちにテレビを見せたり、ゲームをやらせることが、なんと親を育児から解放させて、自分の自由時間を確保するための主な手段となっています。しかし子供にとってはこの方法はとてもよくないのです。

 師父は説法の中で現代社会の混乱、表面空間から他の空間までに存在する妨害要素に言及され、大法弟子が妨害を排除するには、見ない、聞かないという要求を出されています。今、たとえ子供番組でも、厳選されたゲーム内容でもやはり常人が創作したもので、争う行為、敵対意識、醜いキャラクターなどがあります。

 修煉者でさえ、自ら招いた妨害を排除することはとても困難なのに、子供はなおさらです。子供弟子を守る最も良い方法は、彼らに悪いものと接触させないことです。実は、たくさんテレビとゲームに心を奪われた子供弟子はすでに気性が激しくなり、体が弱くなり、周囲に関心を持たず、衝動的になっています。テレビやゲームのなかにある悪い要素は子供弟子らの先天的な善良な本性を抑えていることは間違いありません。

 『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』で師父は「このゲームはあまりにも危害が大きく、大法弟子の子供だけが対象にされているのではありません。人にとって大きな誘惑であり、常人にも非常に消極的な作用をもたらしています。そのせいで、人々は真面目に働かず、睡眠も休憩もちゃんと取れません。人間の情が薄れていき、家庭を顧みず、学生はそれで勉強をおろそかにし、はまってしまい、どっぷりのめりこみ、同様に人類をダメにしているのです。ゲームメーカーは普及させるために、絶えず新しい機種を開発し、力を入れて行い、宣伝しています。人類はこれほど巨大な罪業を作り、どのようにすればいいのでしょうか? これは人類を堕落させているのです」と説かれました。

 では、子供に付き添う時間をどうしても作れず、どうしたらよいかと困惑する修煉者がいると思います。実は伝統的な家庭教育の中で子供にたくさんのことを教えることができ、親は修煉者として子供にたくさん教え諭すこともできます。例えば、布団を畳み靴を片付けるなどの簡単な家事を教え、信号を守って道路を渡ること、周囲の人に挨拶や感謝の言葉をかけ、謝る事を教え、党文化を帯びた言動でなく穏やかに周囲の人と友好的に付き合うことを教えます。また、子供に『洪吟』を教えて一緒に暗記し、家に帰った子供に一日の学校生活を尋ねる時に、真・善・忍を基準にしたかを聞くことも教育の一環です。西洋人の子供なら中国語の勉強も考慮に入れることができます。

 二、親として、大法弟子は観念を変えなければならない

 親として、大法弟子は常人の親と異なることをまず認識しましょう。我が子を愛するのは当然の情で、修煉者は少しずつ情を取り除きますが、我が子に対する情があり子供を溺愛することも、理解できないことではありません。一方、修煉者としては進んで意識的に常人の情を除去しなければいけません。子供を溺愛する親は、我が子が「いじめられる」ことや「傷つけられる」ことを見て、過剰に反応します。それによって「我が子をいじめて傷つけた人や子供」に対して陰でやり返します。それは「善」ではありません。慈悲をもってすべての人に優しく接する基準に比較したら、すぐその差が分かります。

 子供弟子の教育をめぐって東洋人の親と西洋人の親はそれぞれ特徴があります。東洋人は道徳の教育をたいへん重視して、子供に誠実、善良、倫理、礼儀を教え、知識を覚えることを重視します。しかし知識以外の能力と思考、創造的な考え方を身に付けさせることをあまり重視していません。親のメンツを立てることを子供に求め、親が達成できない人生の目標を子供に託します。教育方法において、励ますより強制と叱ることが多くなります。

 一方、西洋の教育は、子供の人格、プライドと気持ちを尊重することを重視します。しかし親子の感情や物質の満足をあまりにも重要視するため、子供が大きくなったら、快楽と幸せを追求するために生きる人間になりがちです。子供に過剰な自信を持たせる教育は、子供が運命や自然に任せることの大切さを理解することが難しく、それによって生じる煩悩も少なくありません。親は尊重と溺愛の境界線をはっきり見分けられないケースも多くあります。

 三、修煉者である親は自分の修煉を向上させなければならない

 子供が生まれると、多くの修煉者は家事に時間を取られてあまり学法できなくなり、精進できない状態に陥ります。そして、最も容易に現れる現象とは、夫婦双方が互いに文句を言い合い相手を責めることです。責める内容は、常人レベルで正しいか間違いかを言い争い、あるいは大法の法理に照らして相手の不足を指摘するのです。そのようなことを長く続けると、修煉の決心が動揺してしまうケースもあります。それはとても恐ろしいことです。

 大法弟子の皆さん、心に手を当てて自分自身に尋ねてみましょう。一、大法弟子は輪廻の中、明かされない迷いの中で、栄耀栄華も享受し苦しみも耐えてきました。何でも経験してきたのですが、目下の些細ないわゆる幸せにまた執着するのでしょうか。二、どの修煉者も修煉して衆生を救い、円満成就することを目標にしています。しかし最後の一歩が失敗に終わると、自分が何千年にわたって嘗めた苦しみに対して申し訳ないのではないでしょうか? 自分がこの大法を得るために何回も何回も命を落としたことを、多くの修煉者は知る術もありません! 三、宇宙は今大きく変動しています。修煉者は宇宙の主に直接済度される現在、もし円満成就できなかったら、他空間にある自分、および自分と関連のある衆生の未来には、壊滅の結末しか残っていないのではないでしょうか?!

 実は、修煉と学法を緩めた最も主要な原因とは、家事が多くなったのではなく、法理をはっきり分かっておらず、修煉の厳粛さと大切さについて認識が足りないからです。長年修煉して来た古い学習者ならば、いったん目覚めたら、奮起して精進していた自分を取り戻すのは、さほど難しいことではありません。

 常人の小説に「幸福な家庭はどれも似たものだ」という言い方があります。実は修煉において精進している大法弟子の家庭も似ています。つまり、両親も子供も時間を切り詰めて学法をし、何か起きたら内に向けて探し、修煉と結び付けるように子供を教育する責任を両親が果たせば、子供の心はとても純粋になり、共に向上して、衆生を救い済度することを互いに協力し、円満成就に向かって努力する家庭になります。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/2/5/304043.html)
 
関連文章